悪い男だとしても
夏祭り編のクライマックスです!
神社の境内へ続く階段を駆け上がる最中、それが俺の耳に届いた。
「ひぃっ?!アッ、アーッ!」
この声……穴山か?!
今までに聞いた事も無いような断末魔の悲鳴を上げた穴山が心配で、俺は全力で階段を駆け上がる。そして、境内に到着した時、その光景に俺は戦慄した。
先ず、目に着いたのは、尻を突き出した恰好でビクビクと痙攣を繰り返す親友である穴山の姿。そして、その隣で、股間を押さえて転がり回っている、見ず知らずの大男。
彼らの奥には、へたり込んでいる砂川さんの姿があり、その瞳と俺の視線が交わった瞬間、彼女がか細い声を発した。
「平……くん?」
「砂川さん?!」
俺はすぐさま砂川さんの元へ駆け寄り、彼女を抱き起こす。
「砂川さん、怪我は無い?!一体、何があったんだ?」
「……解らないわ。私、気を失ってたみたいで、気が付いたら、将一があんな感じに……。」
そう呟いた砂川さんの視線の先には、今尚、奇妙な恰好で痙攣をしている穴山がおり、その奥の暗がりにはさらに二つの人影があった。
いずれも若い男のようで、その二人は顔を手で覆ったまま、唸り声を上げながらフラフラと彷徨っているようだった。
「何なんだ?それに、この大男は?」
俺がそう言って、転がりまわっている大男を指差すと、ふと隣に気配を感じた。
「穴山さんは、その男にやられたのです……で…ですよね?坂梨さん。」
「そ…そう!そうなの、壮太。私、怖かった……。」
俺の隣に来た橋爪さんと美織が、その綺麗な瞳を涙で歪ませる。
その瞳を見た瞬間、俺の心にその大男へ対する怒りの炎が巻き起こった。
穴山をあんなふうにして、砂川さんに怪我を負わせた挙句、美織と橋爪さんを泣かせた。その所業、許すわけにはいかない!
俺が憎悪に燃える瞳を大男に向けた瞬間だった。
突然、飛び起きた大男が、血走った目でこちらを見据え「フーッ、フーッ」と荒い息を吐く。
「くそっ!ほんなこて、許さんばい!」
目から大粒の涙を流しながらも、こちらを見据える大男のその瞳からは、獰猛な野生動物と対峙した時のような危機感を覚える。
「美織、橋爪さん。砂川さんを頼む。」
俺が砂川さんを庇うように、彼女とその大男との間に入り、ファイティングポーズを取ると、大男も同様にファイティングポーズを取った。
(この構え……キックボクシング?いや、総合格闘技か?)
俺の考えでは、弱いという事はそれだけでネトラレリスクを上昇させる忌むべきものだ。だから、俺は 将来的に恋人ができた時の為に、身体を鍛え、格闘技の“いろは”を勉強している。
勿論、格闘技とは奥が深いもので、座学で勉強したところで実戦を経験しなければ、本当の強者へと至れるはずもない。だが、そのエッセンスを知っている事で、多少は上手く立ち回る事ができる。
俺は大男の構えを観察しつつ、擦り足でにじり寄っていく。
大男の構えは後ろ足に重心を置いたファイティングポーズだ。このタイプの相手は“蹴り”を多用する傾向にあり、下方からくる打撃への厳重警戒が必要だ。無論、ボクシングや兄貴のやっているレスリングにおいても、アッパーやタックルなどの下方から来るアプローチへの警戒は必要不可欠だが。
(しかし……デカいな。兄貴以上か?)
こうして対峙してみて痛感するが、大男の体躯は圧倒的だった。
おそらく、身長は190cm前後であろうか。身長176cmで、学園の生徒達の中でも、やや高身長な部類に入る俺と比較しても、俺と大男には15cmくらいの身長差がある。
(穴山……お前、すげぇよ。)
そんな相手に立ち向かった親友へ、俺は心の中で賞賛を贈った。
今日、何度目かの花火が打ち上がった瞬間、俺は動いた。
俺と大男の立ち位置の関係から、花火が打ち上がった瞬間、俺の姿は大男から見れば逆光になる。どうやら、大男は目にダメージを負っているで、頻繁に瞬きをしており、そこに逆光からくる眩しさが加われば、俺に多少は優位に働くと考えたのだ。
肩でフェイントを入れながら、左ジャブを顔面に放つ。
(当たった……が。)
俺のジャブは大男の左頬に直撃したが、大したダメージは与えられず、少し怯ませただけに留まった。そもそも、顔面の位置が高すぎて、顔にパンチを届かせる事自体が難しい。
「ふんっ!」
今度は大男から豪快なミドルキックが飛んできた為、俺はガードをするが――
「がっ?!」
ガードごと弾き飛ばされた俺は、つい苦悶の声を上げてしまった。
何という威力だ。ガードした腕が痺れてる……もし、相手が本調子なら、今の一撃でガードした俺の腕が逝っていたかもしれない。
大男の放ったミドルキックは、そう思わせる程の蹴りだった。だが――
(男の内腿が軽く痙攣している……それで、体が流れて威力が落ちたのか……。)
大男の股に目を向ければ、内腿が軽く痙攣を起こしていた。
パンチやキックの威力は足腰が支えている。遠心力で体が流されない為には足腰がしっかりしていなければならないのだ。
大男は何故か、目と股にダメージを負っているようなので、攻めるのなら今がチャンスだ。
俺はもう一度、大男へと接近し、今度は顎へと右ストレートを放つ。
右ストレートはフェイントだ。先程、芹ちゃんとジュリオくんを襲ったチャラ男との戦いで、俺の右拳は使い物にならなくなっていたのだ。
俺の右ストレートが空を切り、俺は流れに任せてそのまま右のローキックを大男の内腿へ当てる。
スパンと小気味よい音を立てて、大男の内腿へ俺の蹴りが入り、大男は低いうめき声を上げながら後ずさった。
――逃さん!今こそ、間男へ制裁を!
大勢の崩れた大男へ俺は透かさず追撃を開始する。
俺達はネトリストへ屈しない。必ず、己の所業に対する報いを受けさせるのだ!
「うぉおおおおおお!A・N・S……ブースト!!」
俺は自分の心に架したANSのリミッターを解除する。
……一応、言っておくが俺は中二病ではない。人間の脳は無意識下で己の肉体へのリミッターを掛けているのだが、それを解除する事で、火事場の馬鹿力のような肉体状態へともっていく事ができる。
その状態へもっていく為、俺は脳内のアドレナリンを爆発させるよう雄叫びを上げたのだ。
俺は大男へと次々に攻撃を放つ。もう、右拳の痛みに構ってはいられない。
今の俺には数々のNTR作品で絶望ENDを迎えた主人公達の無念が宿っている。負けられない……負けるはずがない!
「ぐはぁ!?」
それはカウンターだった。俺の左レバーブローに被せるように、大男の低空アッパーが俺の左肋を捉えた。
おそらく、肋骨は砕けたであろう。だが、それが何だ!
カウンターを喰らっても膝を突かなかった俺に驚いたのか、大男のガードが一瞬、甘くなった。
その隙を狙い、俺は左レバーブローからの返しとして、右ストレートを大男の鳩尾へと捻り込む。
「ぐ…ぐぇ……。」
大男の上半身がくの字に折れ曲がる。俺の右拳にも激痛が走るが、今は無視する。
それは、不思議な感覚だった。
余計な力が抜けたからなのか、俺の体は驚くほどスムーズに回転していた。
右ストレートを放った遠心力から、流れるように左に回転し始めた体。その回転エネルギーを利用して、俺は右膝を立てる。
――気が付けば、大男の延髄へ、俺のハイキックが吸い込まれていた。
白目を剥いた大男が、ドサリと顔面から地面に崩れ落ち、周りの地面を鼻血で汚す。
「壮太……!」
「平くん!」
その後、すぐに駆け寄ってきた美織と橋爪さん、その一歩後ろで、涙を目に溜めている砂川さんへと、俺は順に瞳を向ける。
「平くん……顔、血が出てる……。」
砂川さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。
正直、体中が痛いのだが、俺は三人を心配させまいと微笑み、ポケットから絆創膏を取り出す。
「念の為、持って来たんだよ。」
絆創膏をヒラヒラとして見せながらの発した俺の言葉に、砂川さんは自身の足に貼られている絆創膏を見つめた。そして、その涙に濡れた笑顔を上げて、俺の手から絆創膏を奪い取る。
「本当に、平く……壮太くんって、とても悪い男ね……。」
砂川さんのひんやりとした柔らかい手で、俺の顔へ絆創膏が貼られていく。
砂川さんの背後には、微笑みを湛えた橋爪さんと、満面の笑みを浮かべた美織が立っている……が、何だ……何なんだ!この謎の圧力は!?
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。良かった……これで、一件落着……だよな?
つ…罪深い……。




