決死の攻防戦
穴山将一は緊張した面持ちで、熊門へとにじり寄る。
その将一を真っ直ぐに見据えながらも、熊門は美織と志緒を視界の隅に納めつつ戦闘態勢に入った。
熊門の足元へ砂川瑞穂の体が崩れ落ちる。極度の恐怖により、気を失ってしまったようだ。
パサリと瑞穂の体が地面に横たわると同時に、穴山が吠える。
「うぉりやぁああああああ!!」
雄々しく叫びながら、将一は一直線に熊門へと駆ける。
日々の部活動で鍛えた将一の足腰は本物だ。
力強く地面を蹴り、熊門へと肉薄する将一であったが、その動きを冷静に見切った熊門は、そのずんぐりとした巨体からは想像できないほどに軽やかなバックステップで将一から距離を取り、蹴りを一閃する。
「ぐっ……?!」
熊門の放ったローキックが将一の外腿に直撃し、将一がふらつき後ずさった。
「ほぉ……凄かなぁ。今の蹴りばくらって立っとれる奴は、なかなかおらんばい。」
膝を突かず、ふらつきつつもファイティングポーズを取った将一の姿に、熊門は感嘆の声を上げた。
190cmという巨体から繰り出される蹴りは、相応の重さと長さからくる遠心力が強く働く。
実際、これまでの経験上、熊門のローキックを受けても膝を突かなかった素人は数えるほどしかいなかったのである。
熊門の蹴りに耐えられたのは、間違いなく、将一が野球で足腰を鍛えていたが故であった。
将一は焦っていた。そして、迂闊に飛び込んだ事を激しく後悔していた。
今、熊門から受けたローキックが、将一にはとても素人が放った蹴りだとは思えなかったのだ。
(やべぇ……こいつ、たぶん、何かやってる奴だ。)
熊門が今、放った蹴りがミドルキックやハイキックであった場合、その一撃で将一は戦闘不能に陥っていただろう。
その事を理解した将一は、焦燥から顔を引き攣らせる。
無理もない話だ。基本的に温厚な性格の将一は、殴り合いの喧嘩をした事が殆ど無い。その上、相手の身長は190cmほど。身長169cmの将一とは20cm程の開きがあるのだ。
それほどの体格差に加え、相手が格闘技経験者となると、将一に勝ち目が無いことは誰の目にも明らかであろう。
一歩、将一の方へと踏み出した熊門から、将一は一歩後ずさる。
(こえぇ……こえぇよ。壮太ぁ……。)
先程のローキックで将一の戦意は喪失していた。それでも、彼が逃げださないのは、そこに将一の守るべき彼女の姿があるからだ。
「お待ち下さい!」
もう一歩、悠然と将一の方へと歩みだした熊門へ、橋爪志緒が待ったを掛けた。
「ん?何ね、姉ちゃん。」
怪訝そうな顔を向ける熊門へ、志緒は一つの打診をする。
「二人を離していただけませんか?私が代わりになりますので。」
その言葉に一瞬、目を見開いた熊門だったが、直後にその提案を鼻で笑い飛ばした。
「そりゃぁ、無理な話ばい。見た目で言やぁ、俺のタイプはそこのボブカットの娘より、姉ちゃんの方ばってんが、姉ちゃんの瞳……カタギにぁ見えんとばいな。」
「っ……!そうですか……。」
実際のところ、志緒は一般人に違いは無いのだが、熊門は志緒に対して、異様な気配を感じていた。
この状況下において、緊張感の欠けた微笑みを向けてくる事。自ら、囚われのヒロイン役に立候補した挙句に、物怖じを感じさせない佇まい。どちらも、熊門には異様に感じられたのだ。
(この脳筋馬鹿熊ゴリラ……。これでは、私の計画が……フラグが……!)
その表情に焦りを浮かべた志緒を横目に、美織は次の機会を伺っていた。
美織の狙いは熊門へ催涙スプレーを浴びせる事で、先程仕留めた男二人のように熊門をのたうち回らせ、最高の快感を得る事だ。
大好きな壮太から贈られた物で下衆共を倒し、壮太からの愛を感じる――その歪な快感に美織は酔っていた。そして、この瞬間――
(穴山くんを巻き込んでも、仕方ないかなぁ〜。)
美織は人間らしい何かを吹っ切った。
突然、瞳に怪しい光を湛えた美織に熊門は生唾を飲み込んだ。
(こっちの姉ちゃんも……相当ヤバかなぁ……。)
普通に考えるならば、美織達の状況は絶体絶命である。にも関わらず、美織と志緒の二人は自分達の敗北を考えていないばかりか、打算的にこの状況を見ている。
場数を踏んでいる熊門は、人の恐怖心には敏感だ。故に美織と志緒が発する気配の異常性を際立って感じられたのだ。
「う……うぅん……?」
騒がしさから、瑞穂が目を覚ました瞬間だった。
熊門、将一、美織、志緒の四人がそれぞれに動いた。
再び瑞穂を盾にしようと動いた熊門と、瑞穂のへ駆け寄ろうとする将一の元へ、狂気の光をその瞳に宿した美織と志緒が駆ける。
将一や瑞穂がいるにも関わらず、躊躇せずに催涙スプレーを噴射する美織と、瑞穂との場所交代を目論だ志緒が激突する。
不幸であったのは、志緒がその手にスタンガンを握っていた事だ。
志緒としては、瑞穂と囚われのヒロインポジションを交代する気ではあるが、熊門に体や唇を許すつもりは毛頭ない。スタンガンはあくまで保険のつもりであった。だが――
「「なっ?!」」
志緒と美織が同時に駆け出し、お互いの肩と肩がぶつかった瞬間、美織の催涙スプレーは狙いの熊門から逸れ、将一の方へと噴射される。
「どぉわああああああ!!」
「ぐぅおっ!?」
不幸中の幸いな事に、美織の発射した催涙スプレーの軌道が熊門の予想外であった為、回避し損ねた熊門にも催涙ガスが微量に浴びせられ、熊門の体勢が崩れる。
そこへ美織と衝突し、弾き飛ばされた志緒が、これまた熊門の予想外の軌道へと突入して来たのだ。それも、予想外の得物を手にして。
「ひぃぎぃいいいあああああっ!!」
志緒の手にしたスタンガンが熊門の股間を掠めたその瞬間、熊門は反射的に飛び退き、股間を押さえて転げ回った。
しかし、勢いのついた志緒は止まらず――
「ひぃっ?!アッ、アーッ!」
その手に持つスタンガンを、今度は将一の後ろの穴付近へと突き刺した。
「ちょっ…ちょっと!何やってんのよ、アンタ!」
「あ…貴女こそ!何て事をするのですか?!」
尻を突き出した奇妙な恰好のまま、ビクビクと痙攣を繰り返す将一と、股間を押さえ、苦悶の表情で転げ回る熊門を他所に、美織と志緒の二人は互いに責任を擦り付け合う。
「え……と、何?何事なの?」
状況が掴めずに唖然とする瑞穂はキョロキョロと周りと見回し、やがてその視線を一点に定めた。
「平……くん?」
その視線の先には、肩で息をしている平壮太の姿があった。
ア…アナヤマーン!!泣




