私は幼馴染に愛されている
その光景にいつも微笑みを絶やさない橋爪志緒の仮面も剥がれ、端正で冷徹な顔を覗かせた。
夜闇の中から現れた人物……それは志緒達が期待した通りの人物、穴山将一では無く、190cmはあろうかという背丈に、ずんぐりとした体躯の持ち主であった。
その姿に志緒達は野生の熊を連想する。無論、都市で暮らす志緒達は野生の熊に出会った事は無いが。
「おう……熊門。おせぇから、先におっぱじめるとこだったぜ~。」
志緒達へとにじり寄る男の一人がヘラヘラと不快な笑みを浮かべながら、今しがた現れた大男へ声を掛ける。志緒達にっては最悪な事に熊門と呼ばれた大男は二人の男達の仲間のようであった。
「小便ばしたくなったとだけん、仕方無かばい。それよか、お前、熟女専門じゃ無かったと?」
熊門という名の大男がその野太い声を響かせて、仲間の男達へ手を上げる。
「まぁ、そうなんだが。こんだけ可愛いと……まぁ、JKも有りかなってな。」
その言葉に豪快な笑い声で応えた熊門は、次に志緒達へとその猛獣の様な瞳を向けた。
「こりゃぁ……ほんなこて、上玉ばっかりばい。」
「だろ?マジ、ラッキーじゃね?」
再び舐るような厭らしい視線を向けて来た男達に、志緒は警戒レベルを最大まで引き上げつつ、横目でちらりと坂梨美織の顔色を伺うと、美織も志緒同様、険しい面持ちで男達を見据えていた。
(さすがに困りましたね。)
大男の登場により、志緒達は数という優位性を失った。人数で勝っている内は最悪、砂川瑞穂を見捨てて逃げれば、自分の身は守る事ができると考えていた志緒は、その計算を狂わされた不快感から、わずかに眉を顰めた。
(ですが……まだ、坂梨さんには余裕がありそうですね。)
志緒の視線の先に立つ坂梨美織。美織の表情も志緒同様に険しいものだが、それでもどこか余裕があるように志緒には感じられた。
美織は壮太の幼馴染である。お互いの家に遊びに行った事も何度もある。
壮太の家に出入りすれば、当然、壮太の兄である勇太とも顔見知りの仲となり、美織は熊門程度の巨漢は日常から見慣れていた為、その事が美織に僅かばかりの余裕を与えていたのだ。
躰が大きい者と対峙するという事は、それだけで強力な威圧感とストレスを受ける。それが、自分達に敵対する存在であったのなら尚更である。
その中においても冷静さを失っていない美織は、この状況を打破する為の機会を伺っていた。
そう、必ず訪れるであろう好機を。
一方、砂川瑞穂は絶望からへ足り込み、恐怖に引き攣った笑みを浮かべていた。
美織や志緒とは違い、瑞穂は男性からあからさまに性的な瞳を向けられる事へ慣れてはいなかった。まして、今のように強引に迫られた事もない。
男達の思惑……自分たちを〇そうとしてる。それを理解した瑞穂は、只々恐怖して助けを求めた。だが、願いは届かず、現れたのは穴山将一では無く、熊門という大男であった。
瑞穂にはもはや立ち上がる力は残っていない。恐怖で体が動かない。
自分へ押し迫ってくる三人の男達を涙目で見つめながら震える事しかできないでいた。
その時、不意にドンという音と共に夜空が明るく彩られた。
夏祭りの醍醐味である花火。その一発目が打ち上がったのだ。
この場にいる全員の視線が花火に向いた瞬間、唯一、美織だけが動いた。
素早く化粧ポーチから取り出したそれを男達の方へと全力で投げる。
(壮太、私、頑張るからっ!)
それは手榴弾型の催涙スプレーであった。安全ピンを引き抜いて投げれば、およそ3秒後に催涙ガスが噴出される防犯グッズである。
男達と美織との距離は約15m。毎日バレー部で鍛えている美織は一般的な女子高生よりも身体能力は高いが、コントロールは今一つで、催涙スプレーは狙いを定めた熊門からわずかに逸れ、その手前にいた男の一人へぶつかる。
「あぁ?!」
スプレーを投げつけられた男が、怒りの形相を浮かべて、地面に転がった催涙スプレーを拾おうとした、その瞬間――
「うぎゃあああああああああ!目がっ、目がぁああああああ!!」
催涙ガスが噴き出し、迂闊に近寄った男はそれを浴び、顔を覆い地面へ突っ伏す。
手榴弾のような外見から、男は美織が投げつけたそれを催涙スプレーだとは認識できなかったのだ。
のたうち回る男を見て、美織はニタリと口角を釣り上げた。
(見なさいっ!これが私と壮太の愛の力よ!)
男が叫び声を上げ、のたうち回る度に、美織は壮太からの愛を感じた。
催涙スプレーは美織の身を案じた壮太からの贈り物であり、言わば愛の証。自分は壮太に守られている――それを今、美織は全身に感じ、ゾクゾクとした快感に打ち震えているのだった。
「……やりますね。まさか、これほどの兵仗をお持ちとは。」
不意に呟いた志緒へ、美織はその恍惚とした顔を向ける。
「壮太からのプレゼントなのよ。やっぱり、私って壮太から愛されてるみたい……えへへっ!」
その言葉に眉をピクリと反応させた志緒は、奥歯をギリッと噛みしめた。
(坂梨美織ィ!……いい気になっていられるのも、今の内ですよ!!)
苦虫を嚙み潰したような表情のまま、志緒は男達を見据える。
これで、一人は完全に戦闘不能に陥ったとみて間違いがないであろう。催涙スプレーに直接触れてはいないが、風向きの影響でガスを浴びたらしく、もう一人の男も両手で目を覆って悶絶している。
そちらの男もしばらくは戦力外であろう。
志緒としては悔しく思うが、冷静に機会を見定めた美織の手腕であった。
(ただ、問題は……あの男ですね。)
志緒の視線の先に佇む大男、熊門。熊門は美織が投げた催涙スプレーにもいち早く気が付き、回避行動を取っていた。動体視力、判断力、共に他の男二人を凌駕している上に身体能力は圧倒的。
それは美織も理解しているのか、表情を再び引き締めた。
次回、アナヤマンVSくま〇ン……お楽しみに。笑