文学少女も地雷でした
学園に着いた俺達三人は、各々のクラスへ向かう……といっても、俺と穴山のクラスは隣合っているので、昇降口から教室までの道程は同じだ。
野球部である穴山は大きなバッグを担ぎ、帰宅部で、最小限の荷物しか持って帰らない俺は小さな鞄を片手に持って歩く。
「なぁ、壮太」
「ん?」
廊下を歩き、教室へ向かう最中、穴山が何時になく真剣な面持ちで口を開いた。
「お前、俺と坂梨の事、何か誤解してないか?」
「いや、別に?」
飄々と答えた俺に、穴山は「だったら、いいんだが」と、続く言葉を飲み込んだ。
いや、実際に美織が穴山にBSSされていようがいまいが、俺にはどうでも良い事だ。
そもそも、俺はもう美織に思いを寄せていないのでBSSですら無い。
これからも俺は美織とも、穴山とも友人として仲良くしていきたいと思っている。
「部活の帰りに、坂梨と一緒になる事があるんだ」
不意に穴山が謎の独白を始めた。
「それで……昨日の放課後、俺は坂梨に告白した」
「……うん?」
何の脈絡もなく暴露話を始める穴山に俺が怪訝そうな顔を向けると、彼は何を勘違いしたのか、俺に頭を下げた。
「横恋慕みたいな真似をしてすまねぇ……俺にとってはケジメのつもりだったんだ。当たって砕けるつもりだった。……実際に砕けたが」
ハハッと、自嘲気味に笑った穴山が話を続ける。
「お前と坂梨がお互いに想い合ってる事は何となく察してた。でも、まだ付き合ってはいねぇようだし、ワンチャン期待していなかったと言えば嘘になるが……少なくとも、お前らの仲を拗れさせるつもりは無かった。それだけは信じてくれねぇか?」
ん……んん?
穴山の奴、何か壮大な勘違いをしているのではないだろうか。
横恋慕? 俺と美織が両想い? 拗れた?
頭を上げた穴山は唖然とする俺を見て、首を傾げる。
「さっきのアレ……俺と坂梨の事、気が付いてたんだろ……?」
気が付いていたと言えば気が付いていたと言えるし、そうでないとも言える。
登校中の美織は、穴山を見て気不味そうにしていたし、穴山も空回りしている感じに饒舌だった。
何かがあったのだろうとは思っていたが、告白……告白ねぇ。
(何で、穴山は美織に告白したんだろうな。付き合えたとしても、その先はきっと、いばらの道だぞ……。)
腑に落ちないという表情をした穴山と別れて、俺は自分の教室へ向かった。
授業というのは、案外楽しいものだ。
今は数学の授業中。数学Bという教科の中で確率を学んでいる最中だ。
中学の頃まで、授業中といえば、紙飛行機を折ったり、三国志を読んだり、落書きしたり……まともに講義を聞いたことなんて無かった。
俺は己への戒めとして「自分を磨くべし。」と掲げている。
俺は知っているのだ。
優しい男性は女性に好かれるかもしれないが、優しいだけが取り柄の男性では女性を繋ぎ止めておくことは出来ないと。
釣った魚に餌をやらないという言葉があるが、実際のところ、女性は偶に贈るプレゼントや優しさという餌を与えたただけで逃げ出さなくなるほどチョロくない。もっと打算的で強かな面を持っている。
女性を繋ぎ止めておく為には優しさ+αの“魅力”が必要だ。
特に……相手が美少女の場合、言い寄ってくる男性の数は多いはずで、その男性達の中で自分の魅力が相対的に秀でていない場合、それが致命的なネトラレリスクとなる事も有り得る。
彼女が美少女で無くても、自分のスペックは上げておいた方が良い。そっちの方が断然、彼女が浮気する可能性などを軽減する事ができるはずだ。
無論、俺は六戒の一つに「浮気は許すまじ。」を掲げている以上、浮気を許容するつもりは無いが。
一度の浮気くらい許すのが男の度量?ふざけんな!一度するヤツは二度、三度するだろ、絶対。
そもそも、浮気をするような人間は、強烈な刺激を欲するタイプだと言える。
強い刺激が欲しくて、貪欲なまでに快感を求める……快感ジャンキーだ。ビッチだ!
話が逸れたが……そういうわけで、俺は何事も真摯に取り組む事にした。
普通科の授業は美織の在籍する特進科に比べれば、簡単な内容の授業だが、しっかり勉強すれば、国立大学に進学する事もできるかもしれない。
穴山みたいに何か部活に打ち込んでいるわけではない俺には、比較的自由な時間が多い。その時間を自分磨きに使うのだ。
今日の授業カリキュラムを終え、放課後。
俺は図書室へと足を運んでいた。
帰宅部の俺は、終礼が終われば、そのまま帰宅して構わないのだが、図書室で勉強して帰るのが俺の日課だ。
高校一年生の頃からもう一年以上、俺は放課後の図書室に足を運んでいる。
いつもの定位置に座り、教科書を開く。
今日の復習から明日の予習まで、俺は黙々と自習に励む。
2時間ほど経った時、図書室入り口のスライドドアが開き、一人の女子生徒が図書室に入っていた。
猫背で歩き、長い前髪で顔を隠すように俯いた少女は橋爪志緒。
一見地味な感じの少女だが……彼女のネトラレリスク偏差値は、なんと圧巻の87だ!
俺は見てしまった……あの長い前髪の向こうにある端正な顔立ちを。
猫背で歩いている理由が「胸が大きい事を揶揄われたくないから」だという、微笑ましい理由である事も知っている。
橋爪さんは美織と一緒で特進科に所属している。
普通科と違い、特進科は夕課外なるものがある為、放課後にすぐに帰宅する事ができないので、橋爪さんは夕課外の終わるこの時間帯にいつも図書館へやってくる。
そして、いつものように橋爪さんは俺の斜め前の席に座り、今お気に入りの小説を開こうとしたところで、俺の視線に気が付き、軽く会釈をした。
「課外、お疲れ様」
「あ…ありがとうございます。平くんも、いつも勉強お疲れ様です」
ほぼ毎日顔を合わせている為、俺と橋爪さんは顔見知り以上の関係だ。
……とはいえ、極度に人見知りをする彼女と普通に会話ができるようになって、未だ日は浅い。
初期の頃は挨拶を交わすだけで、橋爪さんは耳まで真っ赤にさせていたっけ。あれはあれで可愛らしかったが。
まぁ……つまり、橋爪さんはネトラレリスクの塊だ。
絶対的なネトラレリスクを誇る“アブソリュート・オブ・ネトラー”とは、正に彼女の代名詞。
正直、俺は橋爪さんに惹かれかけていたが、彼女の素顔を見た瞬間、その想いは飛散した。
隠れ美少女、隠れ豊満ボディに内気でウブな性格……危険因子の宝庫たる彼女が寝取られない理由が無い。
俺は断言したい。彼女は必ず寝取られると!
橋爪さんと俺が付き合う事になったが最後、おそらくどこぞの不良あたりに「彼氏に迷惑掛けたくなかったら……」と脅された彼女は嫌々嬲られ、その内に自身の心を守る為、行為に慣れ、それはいつしか快感へと変わり、やがて悦楽の海へと沈んでいく……うむ、間違いなしだ。
文学少女は、高確率で不良またはゲス教師に寝取られる。(当社調べ)
きっと、絵に描いたような快楽落ち寝取られ物語が展開される事だろう。
ちなみに俺が自分への戒めに「弱みを見せる事なかれ。」と掲げているのも、そういった脅し対策だ。
迂闊に弱みを見せる事はネトラレリスクになる。注意せねば。
俺の自習が終わり、図書室の閉室時間が近づいてきたところで、橋爪さんも読んでいた小説を閉じる。
そして、二人して席を立ち、図書室を後にする。
いつの間にか俺は橋爪さんと下校を共にするようになっていた。
とはいえ、徒歩で通学できる距離に家がある俺と、電車通学の橋爪さんとでは、途中までしか一緒に下校出来ないのだが。
後三十分も待てば、運動部も帰宅する時間になるが、俺達はそれを待たずに正門を抜けて、帰路に着く。
俺達の間に華やかな会話は無い。
ただ、おすすめの小説やライトノベルの情報を交換したり、時折、感想を言い合ったりしながら歩く。
そして、いつもの分かれ道に差し掛かったところで、橋爪さんは立ち止まった。
最近、彼女は別れ際にこうやって立ち止まり、何か言いたげに形の良い唇を震わせている。
だが、俺は変なフラグが立たないように、敢えて「どうしたの?」とは訊かない。
橋爪さんとこれ以上親密な関係になるつもりが無いからだ。
「じゃあ、また明日」
軽く手を上げて、俺は彼女に背を向けた。