第一話「激動の始まり」
朝、身支度の終わりに姿見鏡を見て決まっているかどうかを確認する作業に入る。
「髪よし、服よし、他も全部いつも通り!」
いつも通りなショートカットの黒髪に可愛らしい顔をしている自分自身にほれぼれしながら私は学校指定のカバンを持って学校の敷地内にある学生寮の部屋から出た。
この祓魔高等学校に来て、もう少しで一ヶ月ほど経過するがあまり祓魔の学校に通っている感じがしていなかった。
最初は祓魔の学校に入れられて騙されたと思っていたが、入ってみれば全く不自由のない生活を送っていた。何より、私の目的が果たされているからであった。
「おっはよ~!」
「きゃっ!」
歩いていると後ろから突然抱き着かれて胸を揉みしだされていることに驚いた声を出してしまったが、その声とこの行動をする人に見当がついているため、顔をそちらに向けた。
「もぉ、いきなり触らないでよ。桜」
「いきなりじゃなかったら良いのかなぁ? えぇ?」
「そのテンションは何? それにいきなりじゃなくてもダメです」
「良いじゃぁん! 減るものじゃないんだからこの触り心地の良い胸を触らせてよ~」
「あなたにも立派なものがついているでしょ」
「自分の胸を触っても意味がないの。他人の胸で、あえいでいる声を聞きたくてしているの!」
「もっとダメじゃん……」
私の自慢な胸をタダで触っている長い桃色の髪をハーフアップにしている女の私でも美しいと思える美貌の持ち主である女性、桜・バレンタインがしてはいけないようないやらしい顔をして私の胸を触り続けている。
「やっぱり、この胸はたまりませんなぁ……ハァ、ハァ」
「はいはい、早くどいてね」
いつものように顔を紅潮させて呼吸を乱し、私の胸にむしゃぶりつこうと考えているかもしれない顔をしている桜。性別が違えばもう豚箱に行くことは確定している。この状態でも豚箱に行かないことが不思議なくらいである。
「もうこの胸の柔らかさ、弾力、ハリ、どれをとっても満点だわ! これはお持ち帰りしたいわぁ」
「お嬢さま。そこら辺でおやめください」
興奮を加速させている桜に引いているところに、桜の真後ろにいる女性が桜に向かってそう言って私から桜を引きはがしてくれた。
「申し訳ございません、伊能さま」
「ありがとう志穂さん。それに私は保乃花で良いよ?」
学校指定の女子制服ではなく、執事服を着ている白髪をアップスタイルにして髪色に良く似合う白い肌と儚げな雰囲気の女性、桜沢志穂さん。
「まだぁ! まだあの胸を触りたいの~!」
「もうやめてくださいお嬢さま。それは伊能さまに失礼です」
「そんなこと関係ないわ!」
「関係あります。度が行き過ぎればもう胸を触れなくなりますよ」
「む~、それは困るわね……」
志穂さんが桜を止めてくれたことでどうにか私の胸は助かったようだ。不意に桜に触らせてしまっているが、この自分でも分かる極上の胸はそんなに安くないのだ。例え一億円を積まれようとひと揉みくらいしかさせないくらいだ。
「今日は残念だけどここまでのようね」
「明日からも胸には触らないでね」
「私に死ねと言っているの⁉」
「そんなことで死なないよ」
「いいえ、死ぬわ! 断言するわ! もう保乃花の胸を知ってしまってから、一日に一度は触らないと生きていけないようになってしまったわ……」
「わー、そうなんですね。それはそれは、大変なことで」
「酷いわ! 保乃花がイジメてくるわ!」
「それはお嬢さまの自業自得では?」
私と桜が会話して、ちょいちょい志穂さんが会話に入ってくるこの日常みたいな感じ。私が思っていたものと少し違うものがあるが、大体はこんな感じで内心ニヤニヤとしていた。
私と桜が並んで歩き、その後ろに志穂さんがいるといういつも通りの感じで学び舎に向かっていた。周りにも私たちと同じように学生寮から出てきた祓魔高等学校の生徒たちが歩いている。
「そう言えば、もうすぐで入学から一ヶ月経つけれど、祓魔は全くしていないわよね?」
「うん、私もそれは思っていた。まだ学校に慣れていないからそこは配慮してくれているのかな?」
私がさっき思っていたことを桜も思っていたようで桜は話題に出した。祓魔、人にあだなす悪鬼を祓う行為の全般を指す言葉で、その祓魔を行う人の通称〝祓魔師〟を育てるためにこの学園があるはずだが、実戦を全く行っていない。
「そんなこと気にせずにやってくれればいいのに。保乃花の胸が無ければ今頃退屈で発狂していたところよ!」
「別に私は発狂してくれてもいいよ? それで私の胸の安寧が取り戻せるのなら」
「発狂したら保乃花の胸を揉むどころか、吸いつくしてやるんだから!」
「……ねぇ、志穂さん。どうしてこの変態はつかまっていないの?」
「本当に申し訳ございません……」
私が桜の言動で志穂さんに聞いたところ、すごく申し訳なさそうな顔をしてきたため私もそのことで申し訳なくなってきた。
桜がかなりやばい女というのが今の私の認識だ。発狂してもしなくても結局は私の胸に安寧は来ない。いっそのことお金を取ろうかと思ったが、それができてしまうのがバレンタイン家であるためやめておくことにした。
学生寮から学び舎まではそこまで遠くはなく、徒歩数分でたどり着く。そして校舎に入って一年四組の教室に入りながら桜が話し続ける。
「それでも、祓魔の高校に来ているのだから悪鬼を祓うことくらいさせてくれればいいのに。最初の授業なんて祓魔師や悪鬼の前提を話し始めた時には、そんなこと誰でも知っているようなことだからやる必要がないでしょと思ったわ」
「まぁ、バレンタインという名家に生まれたバレンタインさまには必要ないことでしたね」
「何、その棘のある言い方? 胸揉んで良いの?」
「良いわけないでしょ。そもそもいつも許可なく揉んでくるからその問いに意味があるの?」
「特に意味はないわ!」
「きゃっ!」
会話していたはずなのに、桜は隙あらば私の胸を揉みしだいてくる。それに揉み方も非常にうまく、感じさせようとしてくる。だがそうなる前に私は腕を上げて桜の頭に肘を落とした。
「このっ! 残念美人の変態がッ!」
「ぐへっ!」
淑女がしてはいけない顔をして私の胸から手をはなしてよろけている。そしてよろけている桜の体を志穂さんが支えた。
「お見事でございます、伊能さま」
「……あなた、本当に桜の付き人なのよね?」
主の頭を肘を落とした私に向かってお見事とはどういうことなのかと時折思うが、それもこれも桜の自業自得なため誰も何も言わない。
「そうだよな、ここには祓魔師を目指す名家や実力のあるものだけがいることを許されるんだよな?」
私たちの近くに来て会話に勝手に入ってきたのはガタイの良い男で周りにはチャラそうな男やビッチなにおいがする女、この集団には似つかわない清楚そうな女性がいる。
ガタイの良い男の名前は吉備魁人。日本における名家の一つと言っても良い吉備の次期当主。その周りにいる人間も名家の人間だ。このクラスのトップカーストと言っても過言ではない位置の集団だが、その思想があまり私としても気持ちよくないため苦手としている。
「それは私が決めることじゃなくて、学校側が決めることじゃないの?」
「どうだか。あんな奴を入れるんだから学校の目が腐っているとしか思えないな」
吉備が目を向けた先には、猫背でイヤホンを付け読書をしている黒髪のどこにでもいる男子高校生がそこにいた。彼はこのクラスで悪い意味で一番有名な男子高校生だ。
「何? また彼のことを言っているの?」
私の攻撃から回復した桜は呆れた表情をしながら吉備に言った。
「あいつはこの学校には相応しくないんだ。だからそれ相応の態度ってものがあるだろ?」
「何様になったつもりよ。あなたにそんなことを言う立場なの?」
「俺がその立場じゃなくてもあいつにはやる義務がある! 身分不相応なくせにこの学園に入ってきたんだから、それくらいはしないとなぁ?」
「……ハァ、くだらないわね」
桜がため息を吐きながら冷たい声音で呟いた。そして吉備たちは今も読書を続けている男子高校生の元へと向かった。
「おいっ!」
吉備は足を上げて男子高校生の机に足をつけた。その衝撃に驚きもせず、男子高校生はイヤホンを外して吉備の方を無気力な顔で見た。
「何だよ?」
「あ? 何だその顔は。俺が話しかけてやったんだから、感謝の一つでもしろよ」
「なぜ?」
「お前はここにいてはいけない人間なんだぞ? それなのにここにいられるのは俺たちの慈悲だ。それを弁えてないんだから俺が教えてやったんだよ」
「へぇ……、それは大変だな」
「てめぇのことを言ってんだよ」
吉備は男子高校生の胸倉をつかみ、男子高校生が浮かび上がるほどに持ち上げた。それでも男子高校生は無気力な表情で吉備を見ている。
彼が何かをしたわけではない。彼は何も知らなかったのだ、悪鬼や祓魔師のことを。だから彼はクラスで浮き、イジメの対象となっている。
「俺がその気になればお前をこの学校から追い出すことも可能なんだぞ?」
「そうか……」
吉備の言葉に、男子高校生は適当な相槌を打っていることで吉備の表情は怒りに変わっていった。気が短く、少しのことで怒りだす吉備はとてもじゃないが優良生徒と言えないが名家であることと祓魔師の事情で学校側は何も言っていない。
「あれはまずいわね」
「そうだね。助ける?」
「……いいえ、少し様子を見ましょう」
「良いの? 彼が殴られるかもしれないよ?」
「そうなったら止めるけど、彼を見て」
桜の言葉で私は男子高校生の顔を見ると少しだけ目を鋭くさせていた。そして吉備が男子高校生を殴ろうとしたその時、教室の扉が開け放たれた。
「は~い、席について~!」
教室に入ってきたのは茶髪にルーズサイドテールをしている笑顔が素敵な一年四組の担任、日下部先生だった。それを見た吉備は舌打ちをして乱暴に男子高校生を解放した。それに対して男子高校生はよろけずにその場で止まって席に座ってみせた。
「彼、何かありそうね」
「……そうみたいだね」
桜もそれを見ていたのか私に小声でそう言いながら自身の席に座り、私も席に着いた。
「うん、みんないるみたいだね! それじゃあ今から第一演習場に向かいます!」
日下部先生に突然言われた言葉に、誰もが頭にハテナを浮かべるしかなかった。今日何かをするなんて聞いていないのだから。