玖采
なんとすっきりと晴れ渡った空だろう。
皇弟のそばに控える陽騎は、突き抜けるような晴天に、思わず目を見張った。
雲一つない青空は、まるで、これから舞台に上がる華姫の前途を祝福しているかのようだ。
太鳳の手によって、美しく装った雪麗は、そろそろ、舞台袖で控えている頃だろう。
采華祭は学生の祭りではあるが、父兄や親族、外部からの来客もあり、かなりの規模で催される。
また、祭りの終盤には皇帝陛下の行幸もあるとなれば、普段謁見できない皇国民が、こぞって御姿をひと目見ようと押し寄せる、一大行事となるのだ。
華姫が舞を奉納する舞台は、華々しく飾りつけられ、人々が、いまかいまかとその時を待っている。
皇族の席が設けられている一角は、舞台からほど近く、周囲から少し高い位置にあるため、人々が興奮気味に華姫の登場を心待ちにしている様子が、ありありと見渡せた。
「……なーんか、今年はやけに男の数が多くないですかね。」
青劉の背後から、さりげない仕草で眼下を見やっていた陽騎は、思わずじとりとした目で顔をしかめる。
「いくらうちの姫が美しいからって、学生以外の男共がわんさか観に来てるのは、感心しませんね。」
16歳の女の子目当てに、大の大人がこれだけ集まっている状況に、遠い目をしてしまった陽騎であった。
自分の主だって良い歳の男なのだが、それはそれ。これはこれである。
「ほら陽騎、ごらん。
我らがお姫さまの、お出ましのようだよ。」
涼やかな顔で舞台を見下ろしていた青劉の声に、陽騎も一拍遅れて舞台袖を見やる。
豪奢な椅子に腰掛けている皇帝兄弟が、それぞれ感慨深げな眼差しで見守る中、ひとりの女学生が姿を現した。
迷いない足取りで、舞台中央まで歩み出た雪麗は、流れるような仕草で着物の裾をさばき、皇族席へ向かって深く一礼する。
金色の髪は美しく結い上げられ、抜けるような青空との対比で、まるで太陽のように輝いていた。
髪に挿された花の簪が色とりどりに煌めいて、いっそう美しく映る。
太鳳の渾身の化粧は、真っ白な肌によく映えて、口元を彩る紅色が、どきりとするほど艶やかだ。
雪麗が手に捧げ持った神楽鈴が、しゃん、しゃんと澄んだ音色を奏で始める。
幼い頃から皇族の手元で育ち、最高級の教育を受けてきた雪麗の舞は、鮮やかの一言だった。
華姫に選ばれてからは、歴代の華姫の舞に恥じないように、と本人が毎日欠かさず研鑽を積んできたこともあり、ほとんど学生の域を超えて、見事なものに仕上がっている。
豊穣を願う、生き生きとした大地の舞。
国の繁栄を願う、伝統的で優雅な舞。
指先、足先の動きに至るまで、すべてが淀みなく、まるで川のせせらぎのように軽やかに流れていく。
観客も思わず、といった表情で、息を呑んで魅入っており、思わず陽騎は、「うちの姫すごいでしょう」と言って回りたい気分になる。
華姫が舞い終わると、一呼吸ののち、爆発的な拍手が沸き起こった。
雪麗は同じように皇族席へ深く一礼して、舞台を辞していった。
青劉が横で、小さく息を吐き出したのが分かる。
「……小さな雪の精は、いつのまにか太陽の女神になっていたようだね。」
笑い混じりに言った主人の目元で、微かに光っていたものには、気づかないふりをした陽騎であった。
何を隠そう陽騎自身も、雪麗の成長ぶりに、気を抜くと、ひと目をはばからず号泣してしまいそうだったのだから。
舞台袖に控えていた太鳳は、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
雪麗はその顔を見て、ふっと張り詰めていたものがゆるむのを感じる。
思いのほか、緊張していたようだ。
「そんなに泣かないで下さいませ、太鳳さん。
私、きちんとお務めを果たせていたでしょうか?」
「…ぐすっ、姫様、本当にご立派でしたよ…!
傾国の美女だって、裸足で逃げ出すようなお美しさでした。」
「ふふ、陛下や殿下にご覧頂くのは緊張しましたが、太鳳さんのおかげで、自信を持って舞台に上がる事ができました。」
「……ひめさま……っ!!」
太鳳の目から、また滂沱の涙が溢れ出るのであった。
夜。
孔邸では、雪麗を労う宴席が設けられた。
「雪麗、とても立派な奉納だったよ。」
「殿下、ありがとうございます。」
青劉に手放しで賞賛され、照れたように笑う雪麗に、周囲の使用人も和やかに目を細める。
陽騎や太鳳が、雪麗の舞がいかに素晴らしかったかを、屋敷中に伝えたので、孔邸に仕える者たちは、皆一様に誇らしげな気持ちになっていた。
「食事の後、私の部屋へおいで。
そなたに渡したいものがある。」
「……?
はい、後ほどお伺いいたしますね。」
そんな会話を食事の終わり際にしたので、夕食後、自室に下がってからほどなくして、雪麗は青劉の私室へと向かっていた。
青劉の体調が回復してから、ほとんど訪れてはいないが、一時は毎日通っていた屋敷の最奥。
見慣れた廊下を抜け、ひときわ豪奢な意匠が施された部屋の前で立ち止まった。
こんこん、と訪いを告げると、「入って良いよ。」と涼やかな応答がある。
「失礼しま……す……!?」
扉を開けた雪麗が目にしたのは、両腕いっぱいに色とりどりの花束を抱えた青劉の姿。
「ふふ、何より華姫の名に相応しいだろう?」
「……殿下御自ら、こうしてお褒め頂けるなんて、何にも勝る栄誉でございます。」
優しい育て親の、胸が温かくなるような贈り物に顔を綻ばせながら、押し戴くようにして花束を受け取る。
季節の花々が目にも楽しく、芳しい香りが雪麗を包んだ。
「まだあるよ、雪麗。」
そう言って青劉が取り出したのは、小さな桐箱だった。
「開けてごらん。」
抱えていた花束を、かたわらの書斎机に置くよう促されて、小箱を手渡された雪麗は、そうっと箱を開けて息を呑んだ。
「………これ……あの、殿下……?」
きらきらと輝く、花々を模した指輪。
貴重なものだとひと目で分かる宝石の数々が、繊細な造りの指輪を彩っていた。
「………雪麗、よく聞いておくれ。
私は幼い時から、先はそう永くないだろうと言われ続けてきた。
生涯、兄を様々な面で支えたかったけれど、道半ばで終わるだろうことも分かっていた。
だが、あの雪の日。
私の元へ舞い降りた雪の精が、私の命を救ってくれた。
そなたは私の愛する家族であり、かけがえのない大切な女性だ。
……私はそなたの父のような年齢だが、学院を卒業したら、私の妃となってくれないか?」
いつも穏やかな美貌に、ほんの少し緊張の色が混じる。
青劉とて、赤子から育ててきた少女に抱く感情は、家族としての愛が大部分を占めている。
少女が幸せになる相手なら、嫁に出すのもやぶさかではなかったはずなのだが、それでも、陽騎のはかりごと以来、自分の中で、無意識に蓋をしてきた感情が、確かに大きく育つのを感じていた。
「私は雪麗を、愛している。」




