陸采
ゆっくりと進む木製の車椅子が、カラカラと音を立てる。
数年前に皇帝が職人に特注で作らせたそれを、陽騎が主人に負担のないよう注意を払いながら、手慣れた仕草で押していく。
侍女によって寝衣の襟を軽くくつろげられた皇弟は、ぐったりと車椅子の背に身体を預けていた。
もう自分で立って歩くこともままならない青劉を見て、主人には悟られぬように、彼付きの侍女がこっそり目元を拭っていたのを、雪麗は知っている。
魔力の暴走に抗うため、体力を消耗し続けている青劉をむやみに移動させるのは…と渋った周囲に、皇弟本人が「何か起きた場合、室内では対処が難しい」とはっきりと主張したため、一行は孔邸の広い庭へ移動することになった。
車椅子にぴたりと寄り添う少女が、気遣わしげに皇弟の手を握り締める。
これから多量の魔力を注ぐのだから、なるべく吸収はしないようにと青劉から言われたものの、雪麗が頑として譲らなかったからだ。
どうせ既に特大の我儘を言ってしまっているのですから、と開き直って、少女は青劉に関することへの主張は貫き通していくことにしたらしい。
苦笑いの皇弟と少女を見て、陽騎は吹き出すのをこらえていた。
あの主人が、振り回されて言いなりというのも、大変珍しい光景である。
そんなこんなでやってきた裏庭で、車椅子はキイ、と音を立てて止まった。
さあっと吹き抜ける風が、木々の枝葉を揺らす。
太陽の下へ出ると、白黒の二人の対比が、より一層強調される。
陽の光を透かしてもなお、変化しない対極の二色。
そうして、陽騎が二人のすぐそばで控えたのを確認した青劉が、雪麗を見上げて微笑んだ。
「………改めて、お礼を言わせてほしい。
ありがとう雪麗。………私の、奇跡。
優しいそなたのことだ、様々な事を考えただろう。
誰にも言えずに悩んで、………それでもここまで生かしてくれた。
…………貴女の献身に、感謝と敬意を。」
すっと頭が下げられ、握った少女の手の甲に、ふわりと軽い口づけが落とされる。
まるで別れの挨拶のようなその仕草に、少女の頬を、また雫が滑り落ちた。
真っ白な頬を紅潮させて、桜色のちいさな唇が、わななくように震える。
「…………っません。」
「うん?」
「失わせたり、しませんっ……!」
そのために、やるのだ。
ぐいっと涙を拭った雪麗が、にっこりと笑う。
「お覚悟なさいませ、彩無しの底力をご覧に入れて差し上げます。」
大の大人でも気圧されるような、はっとするような美しい笑顔だった。
弱冠12歳の少女が、ここまでしてくれているのに、本気で向き合わなければ、彼女の保護者を名乗る資格も、家族を名乗る資格もない。
青劉もまた、全力で生き残るための方法を模索し始めるのであった。
「手を。」
「はい、殿下。」
雪麗は、握った手から今までとは違う、指向性を持った魔力の波が内に入ってくるのを感じた。
「痛いところは?意識が飛ぶような感覚も?」
「いいえ、特に異常はありません。」
ふー、と息を吐いた青劉が、真剣な眼差しで雪麗の手を握りなおす。
「分かった。続けさせて貰うよ。」
みるみるうちに体内に魔力が満ちていくのが分かる。
温かく、よく馴染んだ青劉の魔力。
青劉の顔色が目に見えて良くなっていくのが分かって、雪麗は思わず微笑んだ。
順調に魔力の受け渡しが行われていく。
だが、ここで陽騎から声が上がった。
「我が君!姫の魔力発露が……!」
パッと手が離され、雪麗はようやく、自身がぼんやりと金色の光を放っていることに気が付いた。
「私も、か……?」
見ると、青劉の身体からも魔力が発光している。
だが、暴走している、という感じではない。
そして、いつもは純黒の彼の魔力が、今日は黒灰色に近いほど薄まっている。
いや。灰色というよりも、むしろ。
「ぎん、いろ………?」
それは劇的な変化だった。
青劉の黒髪が、いぶし銀のような色味に変わり、最後には星が落ちてきたように美しい銀色へ。
瞳も、黒に限りなく近いものの、銀を溶かしたような色へと変わっていく。
対象的に、雪麗の髪は太陽のような金色へと変わる。
瞳はもともと金色だったこともあり、さほどの変化は見られなかったが、輝きを増し、いっそ神秘的な様相で揺らめいていた。
まるで対になるかのような、突然の色彩の変化。
人が持つ色は固有のものであり、生涯変化することはない、はずだ。
なら、今起こったこの現象は、なんだ?
陽騎と雪麗は、あまりの光景に呆然とし、青劉は青劉で、何事かを考えこんでいる様子であった。
異変を感じ取って駆け付けた使用人から、慌てて宮廷へと秘密裏に連絡が渡る。
すぐに皇帝から、日が落ちたらすぐに雪麗も連れて宮廷へ来るように、との内密のお達しがあった。
人目につかぬよう、三人は夜の闇に紛れて宮廷の奥深くへと参内するのであった。
「…………見事に、変色しているな。」
皇帝が、切れ長の目を見張って、いっそ感心したように呟く。
弟と、彼が引き取った少女の身に起きた変化が、生命を脅かすようなものではないだろうとの一応の結論が下りた後、彼らは宮廷内にある、皇帝の私的な空間である華玉宮の一室にいた。
孔 紫慧は勤勉な国主で、国の歴史や変遷に造詣が深かったが、彼が知る限り、このような出来事がこの国で起きたことはなかった。
「ま、分からぬものを今の段階であれこれ言っても仕方あるまい。
色のことは置いておくにして、お前たち、体調は平気なのか?」
「ええ、陛下。
私もこの子も、体調はすこぶる良好と言って差し支えありません。
そして、私に関して言えば。
完全に、制御できている状態です。」
「まさか……、魔力暴走が、止まったのか!?」
「これは仮説に過ぎませんが、恐らくある瞬間に、彼女の魔力と私の魔力が、完全に同量になったのでしょう。
その時から、まるでようやく器の形が安定したかのように、魔力を自在に扱えるようになりました。」
これまでは、後から後から湯水のように湧き出ていた青劉の魔力だが、今は不足する分のみが補充されるようになっているようだ、と皇弟は語る。
長年、この弟の生命を削っていた彼の特異体質までもが変化したというのだ。
にわかには信じがたいが、実際に回復した弟を目の前にしている今、信じるも信じないもない。
「そのようなことが……」
まるで、荒唐無稽な奇跡のような話だ。
皇帝としては、臣下の前でむやみに感情を見せてはいけない。
だが、ここは私室で、そして彼もまた、ひとりの家族だった。
「……そうか、そうか……っ。
雪麗、青劉の兄として礼を言わせてほしい。
本当に、ありがとう……っ」
いつも冷静で、果断な皇帝が、青劉と雪麗を纏めて抱きしめる。
太く逞しく、温かい腕の中で、金色の少女も涙をこぼした。
彼らの大切な家族が、これからも生きていける。
笑って、泣いて、人生を重ねていけるのだ。
その日は、満月。
明るい月の光が、まるで彼らを見守るかのごとく、やわらかに降り注いでいた。
シリアス展開は、これにて一旦終了です。
次話より、長らくお留守にしていた恋愛要素が徐々に顔を出して参ります。
引き続きお付き合いくださると嬉しいです。




