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采華国物語  作者: 橡
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伍采【雪麗】





 雪麗はおよそ12歳、青劉は29歳になっていた。



 およそ、というのは雪麗が生まれた正確な日が不明だからだ。

 彼女が拾われてから、はや11年の月日が流れていた。





 采華国では、慣例として、子どもは6歳になると「学院」と呼ばれる教育機関で教育を受けることとされているが、一方で、すべての子どもが等しく学べる訳ではないというのもまた、確固たる事実だった。


 身分差しかり、魔力量の大小しかり。


 子どもたちが自分ではどうすることも出来ない、出自や生まれ持った性質。


 そんな事で、と思うかもしれない。

 けれど、自分ではどうしようもない事だからこそ、差別化のための線引きが成り立つのだ。

 それはどの世界でも往々にしてあることで、だからこそ、差別や偏見は無くならないのだろう。







 そういった背景もあり、学齢期をとうに過ぎた雪麗もまた、青劉の邸内にいながらにして、家庭教師から教育を受けていた。


 幸いにして、学問を生業としている学者達は、興味深い対象として雪麗を捉えている者が多く、差別意識の強い者が教鞭を執ることはほとんどなかった。


 勿論、差別意識の強い者も、いたにはいたのだが……






 「……さて、彩無し。

 お前のような無能のために、私の時間を割け、と?

 同じ空気を吸うだけでも虫唾が走る。


 ま、破格の給金は魅力だからな。一刻半やるから、これらを全て読め。

 その後問題を出すが、一問誤るごとに、鞭を五度打つ。始めろ。」


 という、ある意味熱血な指導者だった。



 雪麗にとって、心の中で嘲笑われるよりも、いっそ、こうして真っ向から心の内を明かしてくれる人間の方が、よっぽど嘘がなくて好ましかった。


 青劉に恩を返すためには、いつまでも無知なままでは困る。

 より多角的な学びを得るために、熱心な師が付いてくれるのは有難かった。




 それに学院に入れば、寮で暮らすことになり、青劉のそばを離れる必要がある。


 青劉の身体への負担を少しでも和らげたいと願う雪麗にとっても、学院に入らず学べる環境は、大変都合が良かったのである。

 彼女にとって、自分の体質は今や忌避すべきものではなく、青劉の役に立つための、ある種の手段でもあった。
































 「殿下、雪麗です。失礼致します。」



 応答のない青劉の私室へと入り、寝台横の花瓶の花を取り換える。

 今朝、庭で摘んできたものだ。



 なるべく音を立てないように寝台で眠る男性のそばへと近づき、そっと椅子に腰かける。

 苦し気に吐き出された吐息は熱く、その身を巣食う魔力が体内で暴れまわっていることが窺えた。


 両手を伸ばして、そうっとその熱い手を取り、少しでも楽になりますよう、と願いを込めながら魔力を吸収する。



 ここ一年ほどで、青劉の魔力量は更に膨大に膨れ上がり、一日の中で、意識を保っていられる時間が短くなってきていた。


 といっても、体調にはムラがあり、調子のよい時には宮廷で執務も行っているが、そろそろ、皇帝からストップがかかりそうだと、苦笑しながらこぼしていたのが、約一か月前のことだ。








 雪麗は、自身の体質のことを一生誰にも言わないつもりだった。


 もし万が一誰かがそれを知った時、雪麗のことを利用して青劉を害さないとも限らないからだ。

 青劉の魔力を吸収し、雪麗に溜めておいて、彼の不足した魔力量が回復した時に、貯蓄していた膨大な魔力を青劉自身に返したらどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。


 身体の規定量を超えた魔力は暴走し、彼の命を奪うだろう。



 恩を仇で返すなど、絶対にあってはならないことだと分かっていたからこそ、雪麗は、当の青劉にも言わずに魔力を吸収し続けた。


 にも関わらず、青劉はこうして寝込んでいる有り様なのだから、雪麗が存在しなければ、青劉はまず間違いなく、この年齢まで生きてはいなかっただろう。






 絶対に、この方を死なせる訳にはいかない、と心に決めていた雪麗だったが、数日前、とうとう丸一日を寝台の上で過ごした彼の姿を見て、やはり自分の我儘で青劉の苦しみを引き延ばしているという現状に、悩みが生じ始めていた。










 そして、今日。


 この方にすべてを明かし、ある頼み事をすると決めて、彼女はここにいる。




 「…………嗚呼、私の雪の精。そんなに思いつめた顔をしないでくれ。」



 声は小さいものの、はっきりとした声音が聞こえた。



 物思いに沈んでいた雪麗は、はっと顔を上げる。


 いつの間にか青劉が、目を覚ましていた。

 玉のように額に浮かんでいた汗は引き、呼吸も落ち着いている。



 「殿下……!陽騎さまを、呼んでまいります。」


 「待ちなさい。」


 すぐさま立ち上がろうとした雪麗の腕を、先ほどまで意識のなかった人間とは思えないほどしっかりと、青劉の手が掴んだ。




 「そなたの話が先だ。……何か、言いたいことがあるのだろう?」


 「ですが……」


 「ですがも何もない。ようやく話してくれる気になったか、と安堵している位なのだから。」


 「では、殿下……、気づいておられたのですか。」


 「ふふ、人は自分の魔力の流れを感じられるからね。

 私がここまで生きてこられたのは、間違いなくそなたのおかげだ、雪麗。」



 寝台の上に身体を起こして、真摯な目が雪麗を見据えた。





 「では、では……!

 私が、これから申し上げる事も、分かっておいでなのでしょう?

 でしたら、何故…………」


 声が、震えた。



 彼は、分かっていたのだ。


 雪麗が、魔力を吸収していたことも。近頃は、そのやり方では追いつかなくなってきていたことも。




 「私に、自分の意志で自身の身体の中に魔力を注ぎ込め、と。

 優しいそなたのことだ。そう、言いに来てくれたのだろうね。」


 まるで他人事のようなその言葉に、彼にその意思がないことがありありと分かった。




 追いつかないなら、追いつかせればいい。


 今までの、受動的なやり方ではなく。

 青劉が、負担になる分だけ、雪麗に渡してほしいのだ。








 「いき、生きて、生きていてくだされば、それで良いのです……」


 泣かまいと決めていたのに、大粒の雫が、勝手にぼろぼろと転がり落ちた。




 それを見て珍しく、青劉は驚いたような、無防備な表情をしたあと、ふっと微笑んだ。


 「……そなたは、泣かない子どもだと、屋敷中の者がそう言うんだ。

 大きくなっても、聞き分けの良い子で。

 我儘を言ったところなんて、見たことも聞いたこともないです、と。


 …………雪麗、ようやく泣いてくれたのだね。」



 雪麗がこんなにも真剣だというのに、その人は、陽だまりのように、心底嬉しそうに笑った。







 「私の可愛い姫の初めての我儘は、聞かないといけないね。」


 困ったように微笑んで、青劉は笑った。


 「…………!では……!」


 「勿論、そなたの身体に何か変調が起きれば、直ぐに中止する。

 以後、私からそなたに魔力を注ぐことはない。」



 「はい……、はい……!」


 雪麗は、振り子のように何度も首を縦に振った。



 目を真っ赤にした雪麗は、それでも、この上なく嬉しそうに微笑んで、


 「お見苦しいところを、お見せしました。顔を、洗って出直してまいります……!」


 と部屋を後にして行った。
























 「……それで?いるんだろう、陽騎?」


 「…………ばれていない、なんてことは我が君に限って「有り得ないね。」ですよね、そうですよね。」




 雪麗が部屋を辞した後、隠密のように物陰から姿を現したのは、彼の侍従。



 「あんなにも取り乱した姫は、初めて見ましたね。」


 「愛らし過ぎるものの前に、人は皆無力だということが分かった。」


 「30手前の良い年した大人が言うと、犯罪臭が……」


 「おや、よほど沈められたいと見える。」




 笑顔で呟いた主人の背に手を添えて、寝台から降りるのを手伝う。



 「でも、ようやく腹を決めて下さって、我らとしても喜ばしい限りですよ、我が君。」


 「あの子に害が及ぶようなら、私はそれが私自身であったとしても容赦しない。

 そこのところは、譲らないよ。」


 「ええ、肝に銘じております。

 我が君の命を繋いで下さった姫には、我々も返しきれない恩がありますから。」





 そうして、孔邸にて、一世一代の賭けが始まった。






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