いつか書いた夢の欠片
「ねぇねぇ!? この車からいっぱい『いまじにうむ』の匂いするー! いまじにうむを食べるともっと人を殺せるようになるんでしょー! はーやーくー!だーしーて!ちょーおーだーい!」
少女はまるで親に玩具でもねだるような口調で触手を地面にたたきつける。そのたびに近くに倒れる死体はぐちゅっびちゃと音を立てながら原型から崩れていく。
何故欠陥者がイマジニウムを欲しがるのかは、人類の解析力ではわかってない。ただイマジニウムが奪還させることは、人類の兵力の大幅な低下につながる。
胃から全てが逆流しそうになる衝動を必死にこらえる。あと数メートル近くに死体があれば発狂していただろう。
相棒を失い、怯えていたはずの作家は、紡たちをチラリと見た。やがて深い呼吸を一つすると、意を決した表情で頷いた。
「……分かった。採掘したイマジニウムは…トランクのなかにある」
「アハハ! 素直なお兄ちゃんは好きー!」
「でもトランクを開けるには僕がパスワードを入れる必要がある。無理に開けようとすれば自動的に爆発するように設定されていてね」
「………………ふぅん。じゃあ近くで開けるの見てていい?」
「あぁ………」
幼き化け物は大はしゃぎで車の後ろにてててと可愛らしく走る。
作家の男性はその一瞬の隙をついて、目線を化け物から離すことなく紡に何かを渡した。
紡は一瞬目を落として確認しそうになったが、勘づかれまいとすぐさま視線を戻す。
「…………合図をしたらこっそり逃げて。……さようなら」
それだけ言って作家の男性は目を据えて車の後ろのトランクに向かった。
栞はしばし逡巡していたが、やがて意を決したようすで頷く。
紡も恐怖を押しのけ、小さく頷いた。
「えぇと……確か、パスワードは…」
「早く早く―!アハハ!」
ついに幼子の目は二人を捉えることを止めた。
そう判断した栞と紡はノーコンタクトで同時にじりじりと後ずさる。
「っっ!わぁぁ……これが…いまじにうむ……いい匂い…」
一歩……もう一歩…もう一歩…
「あ、…あぁ…もうこれで…満足か?」
「えへへ……うーん…そう言いたいんだけどねぇ~」
———―ズプリッッ!!!!
不意に、作家の男性の腹部を巨大な蛸足のようなものが貫いた。
直後にそれは体から引き抜かれ、血しぶきが物凄い勢いで地面を赤く染めていく。
咄嗟の事で栞も紡も絶句したまま動けなかった。
「私ねぇ? 鼻も耳もいいんだぁ? お姉ちゃんの持ってる奴がぁ…私の一番欲しいやつかなぁ?」
けたけたと全身が総毛立つ笑いを張り付けながら、幼子は歩き始める。
が、その足は血塗られた手に掴まれて止まった。
「っっ……れ……」
「ん? あれぇ? お兄ちゃんまだ生きてたのぉ? 」
作家の青年は血の気が完全に引いた体でなお、辛うじて息を繋いでいた。そして閉じかけていた瞳がかっと開かれる。その手には拳銃が握られていた。
「ぁぁぁはしれぇえええええええええ!!!」
数回の銃声が響き、化け物の腹部が鉛によってぶち抜かれる。ソレが倒れた瞬間、栞は紡の手を取って走り出した。
———あの時と同じ状況だ。
唐突に、過去の記憶が甦る。
栞が俺の手を取って……俺はただ…何もできずに…そして…。
茨の生えたドリルのような形状に変わった触手は、栞の両足と腹部を貫通していた。
「っっ!!!……あぁ…そんな…俺は、俺はまた、また…」
ずるりと引き抜かれると、真っ赤な鮮血が臓器と共に栞から噴き出してくる。
どんなに声を出しても痛みは溢れ出る血と共に増していく。
栞は痙攣し吐血する。
「しお、り……栞!駄目だ…いくな…死ぬな…死ぬな!」
栞の腹の傷を押さえたところで、何の措置にもならない。
少女は光を失いつつある瞳で、か細く呟く。
「……生きて、つーちゃん。何があっても、生きて」
怪物の少女は一歩一歩、ゆっくりと恐怖を煽るようにこちらに近づいてくる。
………駄目だ……失う訳には…もう俺は…俺は!
—————目の前で家族を失いたくないんだ!
————バクンッ!! 無意識のうちに固く握りしめていたモノが大きく跳ねた気がした。
—————目覚めの刻だ。創作者――――――
体に痛みすら吹き飛ばすほどの電流が奔ったような感覚が手元から流れて来る。全身の血液が急加速し、頭に見たこともない文章が一気に流れ込こんで―――――
――――――いや。この文章を知っている。これは―――――俺の――――
紡は誰かに肩を叩かれたような気がして振り向いた途端、意識はあいまいに溶けていった。
※※※
「…え? 何そのすがっあああ!?!?」
化け物の少女は、突如としてこちらに向けていた触手を斬り飛ばされ、苦痛に表情を歪める。
何が起こったのか、全く理解できないまま俺は、髪色と持っている物が変化した栞から目を離せない。
「しお、り…?」
靡くほどに煌く真っ白い髪。右手には長い―――剣を持っている。
栞、なのか? でもこの姿……心から懐かしいような、会いたかったような感覚。
「お前……誰、だ?」
「そうだな………ただの―――名無しの主人公だ」
栞とは異なる声音でそう言った白髪の少女は、空を裂く勢いで襲いかかる無数の触手を、装飾の無い剣だけで全て受け流す。
欠陥者は、触手がさらにもう一本斬り飛ばされると舌打ちをして距離をとり、じっと白髪の人物を見つめたまま停止した。
記憶がじわじわと甦ってくる。アレは、あの子は…俺がかつて最初に書いたライトノベルの、ヒロイン。
欠陥者は、空をふと見た後、舌打ちをして白髪少女に向き直る。
「………お前、名前は?」
「………アイリス。アイリス・エーデルワイスだ」
「……アイリス……アイリス……アイリス……覚えた……………次は…そこのお兄ちゃんと一緒に…殺してやる」
そういって欠陥者はニヤリとおぞましい笑みを浮かべて一足飛びに明かりの無い闇へと紛れていった。
あぁそうだ。俺が最初に心から書いた黒歴史。
設定も世界観もストーリーも滅茶苦茶な、俺の好きだけを詰め込んだ作品のヒロイン。
剣神アイリス・エーデルワイス。
白髪の人物は剣を鞘に収めると、くるりとこちらに体を向けてきた。
「―――へぇ…君が私の作家か―――ふぅん」
視線が交差し、思わず絶句した。
栞と体型も顔のラインも変わった訳じゃない。であるのにも関わらず雰囲気はもはや真逆。不敵に笑う表情からは勝気さすら伺える。
「……アイリス……お前は……俺の…本当に…」
「らしいな。というか、どうなってんだここ。私が異世界転生した設定の時代と同じくらいなのか? にしてはすこし、というかかなり荒れてないか?」
男勝りの言葉。ころころと表情を変える姿には愛らしさもあり…いや、今はそれはいい。
「栞は…栞はどうなったんだ…まさか…お前と混ざって…」
「いや、混ざってねぇ。この女は、死んだ」
死んだ。その言葉が理解できなかった。
全身から力が抜ける。眩暈と吐き気がこみ上げてくる。
「嘘だ……だって…傷は治って……お前が出ていけば栞は帰ってくるんだろ!」
「死んだコイツの体を借りてるに過ぎない。」
「……嘘だ…お前が…お前が出ていけばあいつは…栞は帰ってくるんだ!!……どけよ…」
「…………」
「っっっどけぇえええええええええええええ!!!」
俺が拳を振りかぶった刹那、俺たち二人にライトが照らされる。
「っ!?」
『抵抗はしないように。既に国創研【対欠陥者部隊ノベルスが貴方たちを取り囲んでいます。ご安心ください。傷つけるつもりはありません。我々とともに来てもらいます。」
そんな女性の声も、ただ他人事のように俺の中で流れていく。
そして、たった一人の家族の笑顔が一度に思考を埋め尽くしていく。
まるでこの現実を拒絶するように。
意識は途切れていった。