静寂は日と共に沈む
帰りのバスは終始無言だった。
人類の希望が誕生した瞬間を目撃したというのに感動など芽生えていない。むしろ禁忌の扉が開く瞬間を覗いてしまったのではないかという恐怖すら覚えている。
沈黙のバスを降り、別れ道に差し掛かったところで小山は自分の頬をぺちんと叩く。
「………っし!どのみちやるしかないなら気を取り直してやってくるわ! 今日は付き合ってもらってサンキューな」
「あ、あぁ……まぁ、頑張れよ。応援してる。本当に」
「サンキュ! 今度給料入ったらラーメンでも奢ってやるよ!」
「……今までの俺の奢り鑑みたら、寿司レベルでいいんじゃないか?」
「ハハハッ! なら回転しない寿司にしてやるぜ! んじゃあな! しおりんによろしくー!」
そういって歩き出した友人に、それ以上の言葉をかけることは出来ず、ただ「死ぬなよ」という言葉が、呟き程度に漏れただけだった。
「ただいま」
「あ。おかえりつーちゃん! 編集部に行ったわりには随分遅いからちょうど電話しようと思ってたよー!」
「あぁごめん。ちょっと小山と出かけてた」
「あぁ小山くんと一緒に……なら仕方ないか! でもつーちゃんが帰ってくるの遅くて格安卵一パックしか買えなかったんですけど!」
「まぁ。ちょっと込み入った話でな……」
「え? もしかしてただゲーセン行ってたとかじゃなくて?」
「……まぁ…」
二人の間にしばし沈黙が流れるが、そんな空気を払うようにパンパンと手が打たれる。
「はいっ! じゃあそういう話はいつも通り夕飯食べながらにしましょう!ほらほら手を洗ってうがいして!」
「ハイハイ…」
まるで母親みたいだな。という一言を紡は出さない。
重い空気のまま食事をするのは御免だ。
二人で手を合わせて料理をつまむ。
いつも美味しいはずの料理の数々も、今日は少しばかり味を感じにくかった。
他愛のない話をひとしきりして落ち着いてきたころ、サボりの詳細を話すことにした。
「……明日…小山が作家の最終試験を受けるらしい…」
「えっ…小山君が!?…………そう…なんだ」
流石の栞も驚きだったらしい。そして明らかに声のトーンが落ちる。
現在この地域は閉鎖された東京に近い場所、つまり戦場に最も近い居住区である。
さっさと遠くに逃げたいのはやまやまだが、学生二人きりである以上簡単に引っ越しなどできるはずも無いし、かといって頼れる親戚もいない。
そして、最前線に近いということは、作家の死亡率も比較的高いということでもある。
しばらく汚れた食器を少女が洗い、少年がそれから水滴を拭き取る音だけが台所を占領する。
全てが終わり、ソファに腰を下ろした紡は、後ろからそっと、しかし強く抱きしめられた。
「……………ねぇ、つーちゃん」
「………なに? 俺も一応思春期ですけど」
俺の冗談も栞は介さず言葉を漏らす。
「つーちゃんは…私が守る」
「……………いやふつう逆」
「何があっても、絶対に私が…だから…作家にならなくてもいい…。」
こんな時、ラノベの主人公なら『俺が絶対に守るから大丈夫だ!』 と無責任な言葉をかけるのだろうか。 振り返って抱きしめ返して『あぁ、どこにもいかないよ』とくさい台詞でも吐くのだろうか。
残念ながら紡にはどちらも出来ない。そんなことできる保証のない奴に、権利などないのだから。
巻き付いている腕をそっと触れようとした瞬間、耳をつんざくような音が奔る。
ビービービービービービービービービービービービービービービービービービー!
発信源は二人のスマホ。
それはいつも聞く目覚ましアラームでも、時たま起きる地震速報でもない。
誰もが心から恐れ、聞きたくない警報。
それは――――
「ッッッ!! ディ…欠陥者警報!?」
俺はスマホですぐさま詳細を最短避難経路と共に確認する。
だがそれより早く腕を掴まれて顔をあげると、栞の緊迫した顔があった。
「つーちゃん行くよ!!」
「っ!…分かった!」
自然災害とは違い、襲撃に対する避難には装備品は要らない。数時間もすればノベルスが駆逐する予定だからだ。もし駆逐できない場合など考えたくもない。
よって装備は基本靴だけでいいのだが、栞は腰に気休め程度の木刀を差していた。
最速で栞が用意を済ませたおかげで、まだ道には大混乱するほどの人はいない。
「南東の壁が突破されたみたい!!一旦大通りを渡った地下シェルターに行こう!」
「っ…よりにもよってそこかよ!」
紡は予想より近い壁が破られたことに舌打ちをする。
閉鎖された地域との間には通常巨大な隔壁が設けられている。日本の予算全てをぶちこんだ上に欠陥被造物対策として付近には常にノベルスの防衛部隊が待機しているのではなかったのか。
シェルターの入り口ではすでに警官が大きな声で誘導していた。
「落ち着いて走らず避難してください! 障害のある人は右の専用通路になります!!」
二人は顔を合わせて頷くと伸びつつある列の最後尾に並ぼうと足を――――
ドゥンッ――――ッ……
一瞬、地響きと同時に低い音がはじける。
足が止まる。早く行かなくちゃ行けないのに……嫌な胸騒ぎ。
「っ!…どうしたのつーちゃん!早く行かな――――」
刹那、凄まじい爆発音とそれに伴う爆風が紡たちに襲い掛かった。
視界が歪み、意識を失いかけるも、隣の少女にピントが合ったことでなんとか起き上がることが出来た。
「…し、おり…栞…栞!おい!」
「ぃっ……っぅ…っ!?つーちゃん大丈夫!?」
「それはこっちの台詞だ!腕から血ぃ出てるぞ!」
「ほんとだ…でもこれくらい大丈夫…それより何……が……っ!」
抉られた道路。いくつかの建物のガラスは吹き飛び、運悪く重症になった人間はうずくまってうめき声をあげている
そして、目指していたはずの避難所は、紅蓮の業火に焼き討たれていた。
ズン…ズン…という低い音は次第に大きくなっていく。
「……な、なんだアレは!?」
誰かの声に反射的に反応し、ソイツが指さす方角に自然と目が向く。
黒い靄が覆うソレは―――――人間では無かった。
欠陥者は何もすべてが主人公やヒロインの姿をとるとは限らない。時にはキャラの操作するマシンが顕現することもある。
四足歩行で直径は10メートル以上はあるだろうか。ソレはゆっくりと足を運びながら接近してくる。
そして極めつけは、靄越しにも分かる巨大な主砲。あれで障壁を突破したのだろうか。
「っ…逃げるよつーちゃん!」
紡は少女の言葉にハッとして意識を切り替える。
とにかく今は、栞とともに逃げることが最優先だ。冷静に分析する暇などない。
栞の手を取り立ち上がらせると、敵が来た方向とは逆方向に全力で走る。
紡たちに続くように他の人間も逃げ出す。
地鳴りが突如として止み、代わりに終末を告げるような重厚で不気味な音が神経を刺激する。
走りながら振り向くと、襲撃者の主砲から赤い光が溢れようとしていた。
無慈悲なる砲口は、紡たちに狙いを定め、解き放たれ―――――
否。突如としてその地獄の門は明後日の方角に向きを変え、魔弾を撃ち飛ばした。
その巨大な図体は、激震をもたらしながら崩れ落ちる。
その上に立つのは人間…………否。
「セ、…創作英雄……」
遠目で見にくいが、欠陥者と戦える戦力は彼らだけな以上、おそらく間違いないだろう。
倒れた敵を見て足を止めた群衆から歓声が上がった。
しかし、すぐさま倒された欠陥者の主砲が真っ赤に膨れ上がる様子を見て全員に悪寒が奔る。
まさか、……あの体勢から撃つのか!?
そう思った刹那、欠陥者はの主砲はもはや弾というより禍々しい光線を放ってきた。
だがその光線と紡たちとの間に一人の盾を持った青年が介入してきた。
「―――アース・ファランクス!!!!!」
盾は一瞬にして巨大化し、ビームを真正面から受け止めた。しかし、童顔の創作英雄の顔はむしろ険しくなっていく。
「っっ!!……すぐ左を曲がったところにノベルスの車がある! 僕は…樫井盾兵は完璧完全に使命を全うしたと伝えてくれ!!」
樫井盾兵。まだ二巻くらいしか出ていないラノベのキャラクターだったか。つい最近作者のインタビューが新聞に載っていた気もする。
盾にはひびが入り、もはや一刻の猶予も無いなか、栞は確かな決意をにじませた顔で頷いた。
「…うん…ありがとうございます。…樫井さん………行こう! つーちゃん!」
紡の口はパクパク動くが、結局大したお礼も言えないまま手を引っ張られて駆け出す。
曲がり角に差し掛かった瞬間、背中にゴウッッ!!という熱の奔流を感じた。
威力を大幅に相殺されたとはいえ、あそこにいれば死は免れなかっただろう。
だというのに、紡は純粋なお礼の気持ちを述べることは出来なかった。
助けてくれたのはラノベのキャラクターだが、この悲劇を起こしているのも又、ラノベなのだ。
創作英雄の彼の言う通り、ノベルスのエンブレムがついた車が止めてあった。
「大丈夫か君たち!? もうここは危ない!一度君たちも本部に退避させる!いいね!」
二人の作家らしき人物と創作英雄らしき存在が、駆け寄ってくるなり後部座席の扉から二人を放り込み急発進する。
地獄のような風景から急速に遠ざかっていく。
暫く続いた爆走も、徐々にスピードが落ち、やがて運転席からため息が漏れる。
「…なんとか…危険エリアから脱出できたな………」
話を切り出すタイミングを計りかねていると、助手席の若い青年が泣きそうな顔で話しかけてきた。
「あ、あの……僕の……いや…樫井盾兵は……最期…なにか言ってましたか?……」
「………樫井盾兵は…完璧完全に使命を全うした……と言ってました……」
栞がそう答えると、青年は…頬に涙を流しながらも笑って「ありがとう」と伝えてきた。
「……ほんと…自分で作っておいてなんだけど……彼…お人好しだなぁ…任務はイマジニウム輸送の護衛だけだったのに………まぁ……人を助けない盾兵なんて……盾兵じゃないんだけどね……でも…使命を全うした…か。なら…いいか…」
「あ、あの……『勇者の盾は何のためにあるか』…すごく…好きでした……その……すみませんでした…私たちのせいで」
「いや……いいんだ……実に彼らしい最期だった。むしろ君たちを助けることが出来て良かった」
創作英雄は、二度と同じものを顕現することが出来ないと言われている。
というのも、作者自身が脳内でそのキャラが死んだことを認めてしまうので、たとえ再び形だけが作れても肝心の意識の部分の構成が不可能になるらしい。
つまり、死んだと同意義だ。
なんて言葉をかければいいのか外を見ながらあぐねていると、ふと妙な違和感があることに紡は気付く。
「あ、あの…この辺りの住民って……もう避難したんですか」
「あぁこの辺のシェルターは既に住人を収納し終えている。漏れた人間は創作英雄が避難させたが、君たちのエリアだけが不運にもシェルターを狙われてしまってね……だからこの辺りには人間は一人もいな…」
「っ!止まってください!!」
栞の叫び声に車が急ブレーキをかける。
前の座席に鼻をぶつけそうになり、思わず文句を言おうとしたが、それより早く栞が身を乗り出して窓の外を指さしていた。
「あそこ!人です!…人が倒れています!」
彼女が指さす方向には赤点滅を繰り返す信号があり、確かにその根元で誰かが地面に突っ伏していた。
すかさず栞は飛び出そうとするが、隊員の「駄目だ!」という鋭い声が車内に響く。
「あれが欠陥者じゃないとか限らない!」
「っっ……でも…」
ノベルスの隊員はしばらく遠めに車を止めると、それに向かってヘッドライトを当てた。大きさからして子どもだろうか。元はかわいらしかったであろう洋服も猛犬にでも襲われたかのようにボロボロで所々に穴が開いている。
「―――カイト…一応見て来てくれ…あぁ無線はスピーカーモードで構わん」
『了解……』
運転手の隊員は無線で車の上に乗っていた大剣を持った青年に指示を送る。
低い姿勢をキープしながら幼子に近づいてく創作英雄はやがて至近距離にやってくると靴でこずく。
通常欠陥者は黒い靄に覆われており、意識がある時点で死ぬまで人間を反射的に襲ってくる。逆にこれらの特徴がみられない場合、欠陥者である可能性は劇的に下がる。
『っ……だ…れ…お兄ちゃん…助けにきて…くれ…た…の?』
少女の弱々しい声が車内に響く。栞は前のめりになりながら少女を見つめる。今にも飛び出しそうな勢いである。
「あ、あのっ! あの子は人間だと思います! 黒い靄も無いし!何より会話が出来ます!」
「ふむ…カイト…何か気になる点はあるか?」
『……いや…特には……俺も人間だとは思う……判断はお前に任せる』
「……分かった……俺もそちらに向かう」
そう通信を切った隊員は、運転席の扉を開けると、少し表情を崩して言った。
「二人とも後部座席の中心のシート空けておいてもらっていいですか? 一応寝かせて運びたいと思いますので」
「っ! はい!」
栞は勢いよく飛び出し、すぐさま中心のシートを倒す。そして自分の席から通りやすいように自らの座席をずらした。
「…栞…お前本当に誰かを助けるってなると行動力高いな…」
「ふふん! 出来る限りの人助けはしたい主義ですので!」
「……そうだな」
―――――お前はいつも、そういうやつだよ。
―――――いつもお人好しで、他人の悲しみも自分の事みたいに悲しんで
―————いつも俺を、助けてくれて
—————だから、ずっと憧れてたんだ。お前みたいにはなれないって分かっていても――――
「ん?この服…妙だな…前と後ろで同じ円形の穴が……」
隊員は少女を抱きかかえ僅かな違和感に気が付く。そして…
バシャアアッッ!!
突如、水風船が弾けてしまったような音が響く。
続けてドサッと何かが地面に落ちる音。
「か……は………にが………」
「ヒヒヒヒ……アハハハハハハ!!つーらぬいた!貫いた!さいっっっっこうに気持ちぃいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
少女…だったものから何本もの禍々しい触手が何本も背中から生えている。そのうち一本には多量の赤黒い液体が滴り、その場に転がる隊員だったモノは既に動かくなっていた。
同様に、作者の電子パルスで動いている創作英雄がマスターなしで動けるはずも無く、今ではただのイマジニウムと鉄の混ぜ物と化して完全に停止している。
つまり、現在アレと戦える存在は―――いない。
「そん…な……ありえ…ない…Bランクが侵入したなんて報告は……」
作家の青年は血の気が完全に引いて腰をその場に落としてしまっている。
かく言う紡も栞も蛇ににらまれたように動けない。
いや、蛇のほうが遥かにマシだ。最悪蛇まみれのほうが生存率があるに違いない。
そう思わせるほどに、その場の全員の絶望と恐怖は膨れ上がっていた。
「んー? ねぇねぇお兄ちゃんたち? お願い聞いてほしいなぁ?」
短いウェーブのかかった茶髪を揺らし、少女は口元に人差し指を当てながら、活力に満ちた瞳で―――
「お兄ちゃんの運んでるその…いまじにうむ?ちょーだい! あと…みんな死んでね? 」
———死刑宣告をした。