七
「翔太?」
「ん?」
亜矢と、言織。それから、正志達、ロクスケ達の視線も集まる。
翔太は息を飲んでから、震える声で……それでも、はっきりと言った。
「も、もういいよ」
「は?」
麻衣が怪訝そうに眉を寄せる。
「だからさ、もうこれ以上はいいよ。僕達を帰してくれれば」
――それ以上、逆柱と闇凝りを追い詰める必要はない。そう、言っているのだ。
「何言ってんだよ!」
反論するのは、正志。麻衣も頷く。
「こいつら、さんざん俺達を怖がらせたんだぜ?」
「そうだよ」
はやし立てる、男子もいた。
亜矢だけは、不安そうに翔太を見ていた。
翔太は、ぐっと拳を握ってから、
「それは、僕達が悪いんじゃないか!」
怒鳴った。
いつもは気弱な彼の変貌に、みんなは黙り込む。
「勝手にどたどたされて、そんな……怒るに決まっているよ? だから、謝って……もう許してもらおうよ」
「……翔太」
亜矢がそっと、近付く。
「ワシを……赦す、と言うのか?」
逆柱が、口を開く。
「…………」
翔太は、逆柱に指を突きつける言織を見た。
肩を竦めると、手を下げる。展開し、逆柱を拘束していた六紋銭が左手首に戻った。
いましめを解かれて――逆柱は、言織に攻撃を加えようとはしなかった。その様子を確認して、ロクスケも闇凝りを押さえつけていた右手を離す。巨大化していた右手は、元の大きさに縮んだ。
「きいっ」
闇凝りはひと鳴きすると、逆柱に駆け寄った。
翔太が、歩き出す。
開いた道を、翔太は歩いていく。
言織とロクスケが、空気を読んで一歩下がる。
やがて、逆柱と闇凝り。二体―いや、ふたりの前に立つ翔太。頭を大きく下げて、そう言った。
「その、ごめんなさい」
沈黙が、落ちる。
少しして、子供達にどよめきが走った。
まずは、亜矢。続いて、麻衣。少し遅れて正志が、残りを促して。
みんなもまた、翔太の後ろで頭を下げる。
「…………」
その様子を満足そうに眺めてから、
「じゃあ、ここいらで終わりにする?」
言織が――ふたりに向かって、小首を傾げた。
「……よいのか?」
問い返す、逆柱。
「何が?」
「ワシらを、倒さずともよいのか?」
「いや、別に」
言織は、肩をすくめる。
「あたし達、そもそもは戦いに来たわけじゃないし」
と、ロクスケ達を見やる。
皆も頷いた。
誰もが、もはや戦意はない。
そんな様子を見届けてから、逆柱は――
「ヒトの子よ、おまえの名は?」
「え?」
翔太に、呼びかける。
「ワシは、柱の変化である逆柱じゃ」
「あ、あの……」
戸惑った視線が、言織と合う。
「ん? 名前、聞かれてるよ」
言織は、微笑む。
翔太もつられて、小さく微笑んだ。
「僕は、翔太です。杉本翔太」
「……そうか」
その名前を聞いて、
「よい、名だ」
確かに、逆柱も笑った。
◇
こうして、事件は終わった。
旧校舎で起こった、行方不明事件。
全員無事。怪我人すらいなかった。
これにて、大団円。
――とは、ならなかった。
「ほら、とっとと行けよ?」
言織達がいるのは、派出所の前の曲がり角。そこから様子をうかがっていた正志が、困ったような顔をする。
「だって、俺達……丸一日いなくなってたんだろ? どうやって、説明すればいいんだよ」
「知らん」
すげなく、言織。
きっと、彼らは怒られるだろう。
「妖怪だったらさ、記憶をどうこうして誤魔化すとかできないの?」
麻衣が訊く。
「あんたらの親と、がっこの先生と、警察とか全員? やだよ、めんどくせー」
実際、やってやれないこともない。
景の裏技を使えば、それほど大変でもなかった。霊的耐性のさしてない人間達の記憶を、多少誤魔化す程度ならば。
しかし、そこまで面倒を見るつもりもなかった。
「バカやったにしては、安い代償でしょ」
低い声で、言織。
文句を言いかけた麻衣が、口ごもる。
「君らは、馬鹿な真似をしてたくさんの人達に迷惑をかけた。親御さん、どんだけ心配したと思ってる? ちゃんと叱られて反省しなさい」
それも、生き残ったからこそだ。
偉そうに人差し指を突き出す言織に、ロクスケが突っ込んだ。
「かかか、いっちょ前に説教かよ」
「水差すなよ」
「そいつは、悪かったな」
白々しく笑いながら、歩み出る。ロクスケは翔太達を見回して、
「まー、今回のお前らはまだ運が良かった。逆柱も、闇凝りも、おとなしい部類だからな。けどよ、中には問答無用で殺しかかってくるのもいるんだぜ? これに懲りて、はしゃぐのも大概にしておけよ」
「じゃあ、行こうか」
と、景。
宵崎も頷く。
言織達は、翔太を送っていく。
「……みんな、また明日ね」
「おう」
正志が答えて、他の皆も頷いた。
「翔太……」
亜矢が一歩、歩み出た。
「助けに来てくれて、ありがとう。その……嬉しかった」
消え入りそうな声で、はにかみながら。
「え? ……いや、別に僕は――大したことはできなかったし」
そんな亜矢を前に、どぎまぎする翔太。
「くあー、いちゃいちゃしやがってさあ。全く、最近の小学生はさー」
微妙にいい雰囲気を、言織が容赦なく茶々を入れる。
「はいはい、ご馳走様ー」
「……言織」
苦笑する景。
宵崎は無言のまま、小さく溜息をついた。
「……べ、別にそんな!」
真っ赤になる翔太。
言織はしかめ面で、手を振る。
「いちゃつくのは後にしな。もう遅いんだし、とっとと帰るよー」
こうして、ひとつの事件は終わりを告げる。
大きな犠牲もなく、文句なしの結末。
子供たちはこっぴどく叱られるだろうが――それもまたご愛嬌。その程度ですめば、許容範囲だろう。
言織が曰く、そのくらいの代償は必要だ。
「腹減ったなー」
「杉屋の牛丼でも買って帰ろうぜ」
言織とロクスケがそんな言葉を交わしながら、一行は、夜闇の中へと消えていった。
――怪の壱、了