六
「じゃあ、行くぜ!」
言織の指から、六紋銭の一枚が弾丸となって弾かれる。狙い違わず、逆柱の顔面上部に向かって飛んでいく。
しかし。
ロクスケの炎に払われて、床に飛び散っていた闇の破片がもぞもぞと生き物のように蠢いて――逆柱に向かって収束していくではないか。見る間に全体を覆いつくし、言織の放った弾丸を取り込んだ。
「へ?」
必殺の一撃はあっさりと無効化。不味かった餌のように、闇の向こうから吐き出される。
「せいっ」
床に転がる霊銭を、見えない糸で引っ張るように、左手に戻す。
「もういっちょ!」
今度は二連撃。単純に考えて、二倍の攻撃が向かう。ほとんど同時に飛び込んだ二枚の霊銭は――同じように吐き出された。
「むう」
唸る言織に、くぐもった声で逆柱が笑った。
「ぐふふふ……それで、終わりか?」
今度は、こちらの番とでも。闇壁の向こうから、突き出されてくる枝葉の槍。三点同時の切っ先を、言織は右に飛んでかわした。
方向転換。
三本の槍は中空で鋭角に曲がると、着地したばかりの言織に容赦なく向かう。避けるには不利な体勢。その凶悪を、六紋銭で撃墜する。
「……ぐ?」
自身の手足をもがれたようなものか。逆柱が、苦鳴の声を上げた。伸ばした枝を闇の向こうに引っ込めて――もう一度、突き出してくる。
あっさりと再生していた。さすが植物の変化か。
千切れて床に転がった枝葉は、もはや用済みとでも。塵と化して掻き消える。
「こなくそ」
左手に展開する六枚。握り拳にまといて、坂柱の枝の触手を殴りつける。そのまま疾走。勢いつけて身体をひねり、左拳を叩き付ける。
しかし。
手応えはない。
闇の壁は、言織の拳をやんわりと受け止めた。
「うわうっ」
嫌な予感が走り、すぐさま離脱。
「なにこれ、気持ち悪いわっ」
拳にへばりついた闇の欠片が、うぞうぞ蛆虫の如く蠢く。払っても、まとわりついてくる。
「ロクスケっ!」
彼女が叫ぶとほぼ同時、ロクスケは炎を吐いた。細い紅蓮の帯が、彼女の左手を浄化する。
その隙をついて――三たび、逆柱の枝葉の槍。ひとりと一匹は受け流し、距離を取る。
ここまでで、一分ほどの攻防。
「結構、手ごわいなー」
「そうだな」
ぼやく言織の傍らで、ロクスケが頷いた。
互いに決定打には至らない。
けれども、わずかに逆柱に分がある様子。
「ふははは……」
またも笑う逆柱。闇壁に覆われて、その表情は見えないが――声に合わせて、表面が揺れ動く。
見守る翔太達は、息を飲んだ。
かすかにだが、自分達の状況の悪さを感じ取ったのだろう。
その時――
「……ロクスケ」
宵崎と共に、子供達の近くで様子を見ていた景が口を開いた。
「炎を、あいつに吐いてみてくれるかな?」
「了解だ」
言葉に従い、大きく息を吸って――
勢いよく、赤い炎を吐きつけた。
全面に覆う灼紅。魔を払う炎が、逆柱に襲い掛かる。けれども、あっさりと壁に阻まれる。その向こうには、届かない。
「無駄だ無駄だ」
炎が収まり――全く効果の見えない闇の壁。その向こうで、逆柱が余裕の声を上げていた。
「もう一回」
景の言葉に、おとなしく従うロクスケ。
やはり、効果はなかった。紅蓮の炎はあっさりといなされて、飛沫が虚しく舞い散るだけ。
「言ったであろう? 無駄だとな」
勝ち誇ったような逆柱の嘲笑う声。
景は気にした素振りもなく、ある一点を示した。
「……宵崎、あそこ」
天井近くの右上、その隅の一点。景の左目の視線の先が――赤く明滅していた。
「……ふんっ」
短く呼気を漏らし、錫杖を振りかざす宵崎。飾り輪がしゃらりと鳴り、そこから黒い影でかたどられた鎖が伸びる。鎖は、景の示した先に狙い違わず。闇の壁をすり抜けて、その先に届いた。その向こうの何者かを、確かに捕える。
「……なっ?」
動揺する逆柱。
もう、遅い。
ロクスケが身体をひるがえし、飛び上がる。中空で方向転換し、宵崎の捕えた得物に襲い掛かった。
小さながらも、肉食獣の俊敏さ。大きく膨れ上がる、その右手。振り下ろし、引きずり出して、回転しながら着地。そのまま、床に押さえつける。
じたばたともがくのは、小さな動物だった。闇そのものを塗り固めような体毛。ネズミに似た姿で、小さな角を生やしていた。
「成程な」
得心したと、ロクスケ。
「随分とまとわりつく闇だと思ったが、お前だったか。闇凝り」
アヤカシは、逆柱だけではなかったのだ。
旧校舎を覆う濃密な闇も、逆柱を護っていた黒い壁も――潜んでいたもうひとりのアヤカシの仕業だったのだ。
「……馬鹿な」
かすれる声の、逆柱。正体の知れた闇が見る間に霧散していき、薄くなった暗がりのもと、その姿がさらされる。
「こうも、あっさりと」
「残念だったね」
景は淡々と言った。
「隠れているのものを見つけるのは、得意なんだ」
少しだけ、勝ち誇るように。
「それしか能の無い妖怪だからさ」
「これで、終わり」
と、言織。
展開された六紋銭、うち五枚。それぞれを頂点に光の五芒星を描いて、それが逆柱を押さえつけていた。
座する、六枚目。五芒星の中心――ちょうど逆柱の顔面すれすれに浮かんでいた。それに触れるように、突き出した言織の左人差し指。さながら、致命的な銃口を突きつけたかのようだった。
引き金を引けば、必殺が炸裂する。
「や、やったー!」
「すげーぜ」
歓声を上げる、何人かの子供達。
「…………」
しかし、翔太は。
彼だけが、複雑そうな顔をしていた。
となりの亜矢が、そのことに気が付く。
「姑息、とは言わないさ。実質、こちらは四人がかりだからね」
勝敗は決した。
「それでも勝ちは勝ち」
薄く笑って、言織は言った。
「ま、待ってよ!」
そこに、大声を挟んだのは――
翔太だった。