八
――八郎ぎつね。
それが、くろうねりの正体だった。
きつねの変化である。以前は子供を騙して、小銭をかせいでいた。その時に言織達に懲らしめられたが、また悪さをして――もう一度お灸を据えられることになったのである。
さてさて。
彼に案内されて、やって来たのはとある神社。迷い家に向かうように路地裏を抜けて、進んでいった先。赤い鳥居が何本も立ち並び、通路になっている。
そこは、いわゆる稲荷神社であった。
言織が説明する。
一般的な神社の入り口に飾られている獣の像が、狛犬。そこは、狐を模した像が並んでいる。いわゆるお稲荷さんである。
「……ここに、ふたりがいるわけ?」
「はい、そうですそうです」
もはや理恵にも平身低頭の元――くろうねり。その姿に、怒る気力も失せていた。そもそも自分達にも非があったわけだし、静香と洋子が無事ならばそれでいい。横目で見た限り、茉莉も同じ考えのようであった。
――しかし、先ほども言っていた『稲荷寿司』とは何のことだろうか。何かの隠語だろうか。
まさか言葉そのものでは――
言葉そのものだった。
「ほら、とっとと手を動かさんか!」
本殿のとなりにある建物。そこの厨房に、怒号が響いた。
稲荷寿司。そのままの意味だった。
狐耳を頭に生やし、ふさふさの尻尾を生やした巫女服の女性に怒鳴られて――半泣きで稲荷寿司を作っているふたりの姿がそこにあった。
文字通り狐の顔のヒトが、炊かれた酢飯の入ったおひつを次から次へと持ってくる。いい匂いだ。理恵は、少し小腹が空いてきた。
静香が油揚げの準備、洋子がそこに丸めた酢飯を詰めていく。その作業の、ひたすらの繰り返し。
ここに連れてこられて、わけもわからぬままに延々と。
彼ら、彼女達も八郎ぎつねと同じく狐の変化なのだろう。ヒト型で二足歩行の存在と、獣とほとんど同じ存在がそこにはいた。
一際目立つのは、豪奢な長い金髪の女性。二十歳ほどの美女で、やはり狐耳と立派な尻尾を持っている。まとう巫女服に豪華な飾り布がついていて、豊かな胸がはだけている――明らかに階級が高そうな印象。
中央のテーブルに陣取り、次々と皿に乗って運ばれてくる稲荷寿司を平らげている。
他にも席につき、お零れにあずかっている狐達もいるが、彼女は別格のようであった。その傍らには、彼女によく似た狐少女もいた。外見の印象からして、言織と同じくらいだろうか。
「あ! 言織ちゃんだー」
彼女は言織の姿に気が付くと、嬉しそうな声をあげた。稲荷寿司を頬張る手を止めて、小走りで駆け寄ってくる。かわいい。
「よう、ひさしぶりだねミク」
ミクと呼ばれた少女は、気持ちよさそうに頭を撫でられる。
頭目格らしき女性が、鷹揚に声をかけてきた。威厳たっぷり、悠然とした立ち振る舞い。
ロクスケも同じような調子で近付いていく。
「ふむ? そちらの娘っ子達は?」
茉莉と理恵の姿を認めて、何かを察したらしい。しょげている八郎ぎつねの様子からも――
「またこやつが悪さでもしたか?」
「まーな」
「話を聞こう。稲荷寿司、お主らも食べるか?」
◇
「なるほどのう」
ひととおり事情を聞いた彼女は、一口湯呑をすすった。一行は、朱色の立派なテーブルを囲んでいた。ちなみに畳張りの、これまた豪華な客間。
ちなみに静香と洋子も労働から解放されて、その場にいる。目の前に稲荷寿司があるが、食べる気にはなれないようだ。
「そいつが、この娘達を連れてきてな? 悪さをしたから、少しお灸を据えて欲しいと言ってきたのじゃ。まあ、それなりのやんちゃの気も感じられたから――稲荷寿司を作らせておった」
――なぜ、稲荷寿司?
茉莉達四人の少女の、言葉にせぬ突っ込み。彼女はそれを察したか、律儀に答えてくれる。
「最近は、表の世界でのお供え物が寂しくてな」
稲荷神社。
人間社会に点在する狐を祀る神社で、ヒトが供えた食べ物はこちらへと送られる。特に稲荷寿司は、妖怪狐達の大好物なのだ。
「やはりヒトの作った稲荷寿司は、この上なく美味なのじゃ」
満足そうに頷く彼女。
「それで――まあ、おおよその事情は分かった。ワラワとしては、もう解放しても構わんが」
その言葉に、静香と洋子はほっと顔を見合わせた。だが、
「おぬしは、それでもよいのか?」
「……え?」
疑問を投げかけられて、ぽかんとする――茉莉。どうして自分に? という反応であったが、少し考えれば自然な流れである。
そもそものきっかけは、茉莉へのいじめ。静香達は、少なからずの悪意のしっぺ返し。ある意味では因果応報。だから、本来の被害者である茉莉に結論を委ねるのは――当然とも言えた。
「え、と」
茉莉は、おずおずと静香と洋子に視線を向けた。
「――もう、わたしに意地悪しない?」
微妙な空気が流れた。
静香は仏頂面。洋子は、慌てて手を振った。
「いやいやいや、そんなの当然でしょ! この期に及んで、まだ意地悪続けるほど――あたし達もバカじゃないわよ。ねえ、静香?」
「……まあね」
洋子に声を掛けられて、面白くなさそうに静香は答える。
「と、言うか。これまでごめん。冷静に考えれば……ひどいことしてたよ。それなのに、助けに来てくれたんでしょ? もう、感謝しかないよ」
調子のいい洋子だったが、まあ本心だろう。良くも悪くも遊び半分。決して許される行為ではなかったが、反省すればまだ取り返しはつく範囲。
これで解決となれば、悪くない。
茉莉のいじめ問題はなくなり、大きな犠牲者も出なかった。
――少なくとも、今回の事件はそのような結末を迎える。
「ほんに、お人好しじゃの。じゃが、そういう人間は好みじゃ」
彼女は口元に手を当てて、上品に笑った。
「茉莉、と言ったか。こちらに来てみよ」
「……は、はい?」
怪訝に思いながら、茉莉は彼女に近付いていく。手で促されて、間近の距離で膝を折った。
人差し指と中指で、印を結ぶ。それで中を2度ほど回転、薄い光が軌跡を残す。何やら唱えながら、その指先を茉莉の額へとそっと触れさせた。
――それだけで、特に何もなかった。
「?」
ますます怪訝を浮かべる茉莉。彼女は、優しく口を開いた。
「おぬしに祝福を与えた。さして強力なものではないが――少しばかりの幸運が訪れるであろう」
◇
茉莉と理恵は、それぞれ迷い家を通して自宅の部屋へと送った。夜間の秘密の外出は、家族には無事に内緒だ。
静香と洋子には、そうは行かない。
自分がやらかしたことへのけじめ。自宅前までは送り届けたが、きちんと玄関から帰らせる。連絡も入れずに夜遅くまで帰らなかった。親にはきっちりと叱ってもらおう。
さてさて。
今回、大きな犠牲者は出なかった。
けれども、それが紙一重であったことを――彼女達は知らない。
静香と洋子が学校の図書室で見つけたと言っていた。
くろうねり――八郎ぎつねの悪戯の本。実は、その近くにもう一冊存在していたのだ。
ほんの数日前に、言織が回収していたその本。
赤黒い表紙に、不気味なドクロ模様。明らかに禍々しい雰囲気を放つ。そこに書かれたおまじないは、八郎ぎつねの比ではなかった。
その本そのものが、タチの悪い悪霊。明らかにヒトを殺す呪い。
きちんと退治はしたが、なかなかに苦戦した。
だから、もしその本が使われていたら――茉莉達4人は誰一人助からなかっただろう。
――彼女達は、運がよかったのだ。
―――第壱怪、了。




