五
「景、頼むわ」
「ああ」
景は頷くと、左の髪を掻きあげようとして――
「断っておくけど、驚かないでくれよ? 僕の左目は、少しグロテスクだからね」
手を止めて、皆に言った。
ここまでのやりとりから、予想がついたのだろう。
「景の目は、こういった幻惑系の妖術を見抜く力があるのさ」
言織が捕捉する。
翔太達が頷くのを確認してから、その左目を露わにする。拳大の、血走った赤い瞳。不気味で、禍々しく、血生臭い。短く息を飲む音がしたものの、悲鳴を上げる者はいなかった。
さてさて。
ぎょろり、と視る。見渡す。
「んー」
ゆっくりと歩き出す景。その後に、宵崎が続いた。飾り輪が、しゃらりと鳴る。
数歩ほどで、立ち止まる。空いている右手、その指先で何もない空間を示した。
「ここらへんかな」
「ふむ」
周辺を、宵崎は錫杖でまさぐる。濃密な影が、かき混ぜられるようだった。質量をなして、絡みつく。
「……ああ、ここだ」
力を入れて、短く呼気を吐く。ぎちいっ、と。空間が軋む音。不快な擦れ音に、子供達が耳を塞いだ。
「あ、わり」
大して悪びれた風もなく、平然としたままの言織は言う。
「言っておくんだった」
ロクスケにも平気らしい。その音は、並の人間の聴力にしか悪影響がないようだった。
まあ、それはさておき。
「見つかったね」
闇が薄くなった空間の一部。
そこには、先ほどまでなかったはずの階段が出現していた。
まずは言織が先行。
戸惑う翔太達を尻目に、悠然と歩いていく。
続く、景。
ロクスケが子供達を、促す。
おっかなびっくり。
まずは、正志。次いで、ほとんど同時に翔太。亜矢。その他と続く。最後尾に、ロクスケと宵崎。
一行は、それまでたどり着けなかった二階に向かう。
階段を昇り終えると、すぐに大きな扉が待ち構えていた。校舎には不釣り合いな、両開きの豪華な扉である。
言織が手を触れると、軋んだ音を立てて、内側に開く。
その向こうに、足を踏み入れた。
子供達にとってはようやく――言織達からすれば比較的あっさりと、旧校舎の主と対面である。
その部屋には、深い闇が満ちていた。
その闇は、今までの廊下よりもずっと濃く、懐中電灯では追いつかない。
誰かが、それを口にする前に、
「く、……ヴぁぁああああ!」
ロクスケが、何と周囲に火を吐いた。
真っ赤な炎が荒れ狂い、照らし出す。
「う、うわわあ」
「あ、熱い!」
悲鳴を上げる、子供達。
言織達は、平然とたたずむ。
「?」
「……熱くない?」
やがて、その異常に気が付く。
目を白黒させる翔太。
恐る恐る、足元で燃え盛る炎に手を伸ばしてみる亜矢。
「別に熱くないでしょ?」
と、言織。
その通りだった。
撒き散らされた炎は、ただ勝手にそれだけで燃え盛る。照らし出された部屋を燃やすこともなく、もちろん子供達も焼きはしなかった。
幻の炎。
物理的には、何ら影響を及ぼさない――妖気の闇を打ち払う炎。
「で、おめーか」
ロクスケは、すでにそいつと対峙している。
誰かが、悲鳴をあげる。ついで、子供達にも怯えが走った。
そこは、教室だった。ずり下がった黒板。机と椅子が、あちこちに散乱している。
ひびの入った窓ガラスに面した、一本の柱。
――それが、その姿だった。
一見、ただの模様に見えるのは、まぎれもなく人の顔。うぞうぞとうごめく人面は、上下が逆さまになっている。
「逆柱か」
ロクスケは、その妖怪の名をつぶやいだ。
妖怪と呼ぶ存在は、生まれ方からおおよそ三つに別れる。
人が、転じるもの。
目に見えぬ感情などが、形を取るもの。
そして、器物が化けるもの。
逆柱とは、三番目に当たる。
木が本来生えていた状態から、天地逆さまに立てられた柱が、妖気を帯びて化けた存在なのである。
「何を、しに来た? ロクスケ殿」
くぐもった声が、人面から発せられる。一応敬称で呼んではいたが、その口調には敵意しか感じられない。
「あー、このガキどもを迎えにな」
当人はどこ吹く風。翔太達に振り返って、
「ごたごたされて、むかつくのはわかるけどよ。そろそろ許してやれよ。な?」
向き直るロクスケに、逆柱は苦い表情になる。
「妖怪の身で……人間どもに媚を売るのか?」
「いんや、別に」
皮肉を、軽く受け流す。
「まー、古臭い時代でもないしよ。ある程度は、共存しないといけねーだろ? それこそ、たかが人間のガキの悪ふざけに、そこまで目くじら立てんじゃねーよ」
「ロクスケ、挑発してない?」
言織のぼやきに、
「いんや、説得だぜ」
だるそうに答えるロクスケ。
宵崎は、無言。翔太達は、息を飲んで状況を見守っている。
しばらくしてから、逆柱は言った。
「……断る」
その声には、明らかに怒りがにじんでいる。
「一度は、見逃した。二度目はないと、忠告した」
「二度目?」
言織の視線に、正志はぶんぶんと頭を振る。
「お、俺達は初めてだよ……!」
「五年前も、ワシは言ったはずだ。ワシの眠りを、邪魔するのは許さん……とな!」
「そ、それって、俺達じゃねーよ!」
悲鳴混じりに、反論する正志。
「ずっと前の、卒業生だよ!」
正志達が興味を持つ噂を残した、別の子供達なのだろう。
「知ったことか!」
だが、逆柱からすれば、そんな事情など関係ない。二度も、自分の眠りを人間に邪魔された。それだけで、充分なのだろう。
筋は、通っているかもしれないが――
乾いた音が、周囲に響いた。
「ま、ちょっとかわいそうだよね」
逆柱が飛ばしてきたのは、鋭い枝だった。まるで弓矢のごとく襲いかかってきた数本を、言織が叩き落としたのだ。
その右手にまとうは、六枚つづりの霊銭。
彼女の武器であり、防具であり、戦いの用具。
――六紋銭。
それを、構える。
うっすらと覆う、淡い光。
「で、こうなるとやっぱ戦うのかな?」
「……臨むところだ」
逆柱がの本体が、ぐぐうっと膨れ上がる。四角い柱が、大木となって浮き上がる。うぞうぞと這い出る、何本もの枝と、葉。まるで、無数の手のようだ。
「平和的に行きたかったんだけどなー」
言織はだるそうだった。
「じゃあ、戦うか」
「仕方ねーな」