六
「どう?」
「んー」
ちゃぶ台の上に置いた、おまじないの本。くろうねりの儀式について記されていた、今回の事件の発端。それを、景がまじまじと目を通す。
ちなみに、今は隠れていた右目を露わにしている。
茉莉と理恵は、思わず悲鳴を上げそうになってしまった。拳大の、明らかに異様な大きさの瞳。それは、ぎょろりと血走っていて不気味そのものであった。
その瞳で、
「間違いない、あいつだな」
溜息を付く景。
「やっぱりか」
言織も同じような反応を示した。
そのやりとりに不安そうに顔を見合わせる茉莉と理恵。それに気が付いた言織が、表情をくずした。
「あ、そんな心配しなくていいよ。クラスメイトは、きっと無事だよ」
「……でも」
気休めなのでは、と茉莉は疑ってしまう。
「今の溜め息は、やばいって意味じゃなくてね。こいつは、知っている奴なんだよ」
「妖気……特別な気配の残り香でね」
言織の言葉を、景が補足する。
「このおまじないの仕掛けた相手が、少し前に懲らしめた奴らしいんだ」
それが、溜め息の理由だったようだ。
「こいつに、ヒトを殺すほどの度胸はないよ」
断言する景。
半信半疑のふたりに、ロクスケが近付いてきた。
「脅したり、騙したりには寛容でも――殺人となると重みが違う。相当のバカか、相当の覚悟をもつ奴しかやらない。んで、こいつはそのどちらでもねえ」
猫の姿の言葉だが、ひどく重みがあった。ふたりは、気圧されるように信じるしかない。
とりあえず、安心してもいいようだ。
――ただ、
「でも……こいつは、少し小賢しいからな」
言織が口元に指を当てる。
「うん、その点は面倒かもね」
景も同意。考え込む、面々。一筋縄ではいかないらしい。
「……どういう意味なんですか?」
その理由を、茉莉が訊ねた。
◇
その日の夜、茉莉と理恵は再び言織達と会う手はずになった。
『僕達が目立つと、姿を見せないかもしれないんだ』
小賢しい、その意味を説明してくれた景。
くろうねり――静香と洋子を攫った相手をおびき出すには、同じ方法を使うことになった。
つまり、空き教室での儀式をもう一度やるのだ。そこで、問題点。妖怪である自分達がそれを行えば、感づかれるかもしれない。
妖気。ヒトではない気配を察して――姿を見せない可能性が高い。
――それならば、
「……わたしが、やります」
立候補したのは、茉莉だった。
「ちょ、いくら何でも」
理恵が難色を示すも、彼女の意志は固かった。
説得は無理だと、折れるしかない。そして、儀式はひとりではできない。生贄役ひとりの他に、最低ふたり。三人は必要なのだ。
「……仕方ないわね」
自分も付き合う、と言ったら、茉莉は泣きそうな表情になった。
感謝してくる様子に、呆れてしまう。どこまでお人よしなのか。自分を虐めていたクラスメイトを助けるために、どうして頑張ろうとするのか。
これで、ふたり。
あとひとりは――
「あたしがやるよ」
言織が立候補する。
ありがたいけれど、大丈夫なのだろうか。妖怪とばれたら、くろうねりは出てこないと言っていた。
「まあ、大丈夫。あたし、半分は人間みたいなものだから。妖力を限界まで抑えれば、勘付かれないはずだよ」
半分は人間。
それは、どういった意味なのか。ふたりには、いまいちわからなかった。
それでも、とりあえず信用することにした。
結局は――言織達に頼るしかないのだから。
――そして、約束の時間。
夜九時に迎えに来る手はずになっていた。
茉莉と理恵は一度自宅に帰り、待機。その時に、言織から手渡された。
それは、五円玉に似た硬貨だった。
「部屋を暗くして、床に白い布か紙を敷いて、これを置いておくこと」
――硬貨に穴から黒い影が噴き出すと、人ひとりが通れるくらいの大きさでそこにわだかまった。
『聞こえる? ここを通って、こっちに来てくれ』
少しくぐもった言織の声。理恵は少し迷ってから、そこに足を踏み入れた。
ふわり、と浮かび上がるような感覚。
それから、ゆっくりと落下していく。数秒ほどすると、先ほども訪れた迷い家の一室にいた。目の前にいたのは、あの老人。この道は、彼の妖術によるものだろうか。
今は宵傘をかぶり、右手には輪飾りのついた錫杖を持っていた。
茉莉はもう来ていた。
「じゃ、行こうか」
と、言織。
迷い家を出る。玄関には、茉莉と理恵のために下履きの草履が用意されていた。
ここを起点に、目的地へと向かう。
言織が説明してくれた。この迷い家と呼ばれる場所は、日本各地へと出入口がつながれる。時間帯は夕暮れ以降で、ひと気の少ない場所などと制約はあるのだが――それでも便利なのだ。
これから向かうのは、事件解決の時によく利用する場所とのことだった。
ひと気のない空き地。確かに、うってつけの場所だろう。
その中にぽつんと立った小さな小屋。先頭に入った言織が、照明のスイッチを入れる。明かりがつくと、すでに準備は整っていた。
机の上に、呪文の書かれた紙。囲むように3つの椅子。
「それじゃあ、僕達は外で待っているよ」
景、ロクスケ、そして宵崎は小屋に入らなかった。
茉莉、理恵、言織の3人が席に座る。
「大丈夫なんですか?」
茉莉は不安そうだ。理恵も声には出さないが、同じ感想。
「くろうねりさんを呼んだ時、出口は開かなくなってました」
律儀にもさん付けする、茉莉。
あらかじめドアを開けておきたいが、それでは――閉ざされた一定範囲の部屋と言う条件が満たせない。つくづく、くろうねりとやらは計算高い。
「それは、平気」
言織はにやり、と笑った。
「だからこそ、わざわざ夜を待ってたんだから」
その意味が理解できるのは、少し後になってからだ。
「んじゃ、始めますか」
今回の生贄役は、言織である。その右手には、黒い紐がまかれている。
ちなみに今の彼女は、外見の様子がかなり違う。サングラスとマスクで顔を隠して、長いざんばら黒髪のウィッグをかぶっていた。そして大きなコートをまとっている。ほとんど変装に近い。
昼間と同じく呪文を繰り返す。
『くろうねりさん、くろうねりさん、おいでください。くろうねりさん、くろうねりさん、おいでください』
『生贄に、黒い右手を捧げます』
数回ほど繰り返すと――昼間と同じ現象が起きた。
空気を切り裂くような音。火花が弾けるような音。
二度目とはいえ、怪異現象には慣れない茉莉と理恵。言織だけは、平然としている。確認してはいないが、また閉じ込められたに違いない。
そうこうしているうちに、やはり天井からはい出てくる黒い影。巨大な蛇のような、獣のような。それが、長い身体をくねらせながら――降りてくる。
ぎょろり、と金色の瞳で見据えてくる。大きく裂けた口元をにたりと歪ませて――
『……え?』
そこで、くろうねりは固まった。
それは、予想外の事態に出くわした表情。不気味な姿でありながら、どこか間が抜けていた。
「よう」
変装を解いた言織が、気やすく声をかける。まるで知り合いにでも会ったかのように。
「久しぶりだね、八郎ぎつね」
巫女服姿で、今は腰に日本刀を差していた。




