三
夜になった。
改めて学校に向かう。
一行は、言織。ロクスケ。一野儀景。合流した、宵崎。文香は前線に不得手の為、留守番である。
宵崎は昼間の着物姿ではなく、編み笠をまとった行脚僧といった出で立ちだった。右手には、飾り輪のついた錫杖を握っている。これが、本来の姿である。
言織もまた、着替えていた。
赤と白の、巫女服のような恰好。髪飾りは、菱形を組みあわせた紙垂と呼ばれる形状だった。神社などで注連縄に使われる、例のあれである。左手首には、五円玉のようなものを六枚つづったものを巻いていた。
六紋銭。
三途の河の渡し賃。そうも語られる、霊具であった。
はてさて。
目の前には柵。当然のように、閉まっている。
こういう時は宵崎の出番だ。
錫杖をかざすと、周囲の闇がまとわりついた。見る間に形状を変えていく。夜闇で形作られるのは、梯子だった。
元は夜闇に住まうアヤカシ、夜道怪。夜にこそ、その真価を発揮する。
それを用いて、あっさりと侵入。
「あれ?」
校庭に降り立った言織は、ふと気が付いた。
地面が削れている。ほんのわすかなものであったが、夜目の利く言織は見逃さなかった。
例えるなら、柵に無理矢理よじ登り、激しく落下して侵入したような形跡。
自分達より前に、入り込んだ誰かがいるのだろうか。
夜目が利くのは、言織だけではない。ロクスケ達も気が付いたようだ。
「これ、誰か先客がいるってことか?」
「だろうな」
答えるロクスケに、言織はうめいた。
「まさか、旧校舎じゃねえだろうな。ったく、騒ぎになってて性懲りもなくかよ」
「かもね」
景が冷めた声で、
「ひとり、面倒見る相手が増えるだけさ。大したことないよ」
言いながら、宵崎と並んで先に行ってしまう。ふたり――ひとりと一匹も肩をすくめて、後を追った。
本校舎を右に曲がり、目的地は旧校舎。
「間違いないね」
それを見つけて、景は確信する。
「昼間にはなかった。きっとここから、誰か忍び込んだんだろう」
窓ガラスが割れていた。そこから入り込んだのだろう。先日の失踪騒ぎで、旧校舎の入り口は封鎖されていたのだろう。とはいえ、なかなかに過激な侵入者だった。
「だけど、派手な音がしたんじゃない? 夜の見回りとか……」
言織が疑問をつぶやいた時、背後で誰かの声がした。
振り向く途端、まぶしい灯りで照らされる。
「誰だ? そこにいるのは……今、大きな音がしたぞ」
立っていたのは、それこそ宿直と思われる男性教諭だった。
言織の抱いた疑問は、溶けた。
ガラス割っての不法侵入は、つい先ほどだったらしい。
めでたしめでたし。
「窓ガラスが割れている? お前たちか!」
めでたくない。
濡れ衣だった。
冤罪だった。
けれど。興奮して近寄ってくる教諭を前に、慌てず騒がず、悠然と。
「……!」
不意に、固まったように立ち止まった。
景が、彼を見ていた。
左の髪を掻きあげる。その下には、真っ赤な瞳。拳大ほどで、血走った不気味な瞳だった。その瞳の妖力で、催眠術をかけるのである。
「君は、何も見ていない。気のせいだったようだ」
景の紡がれる言葉が、男性教諭の意識に刷り込まれていく。
「何だか疲れているようだ。早く戻って仮眠しよう」
彼はぼうっと立ち尽くすと、夢遊病のようにふらふらしながら去って行った。
これで、ガラスの事は忘れるだろう。
「ねえ、宵崎。このガラス直せる?」
教諭の背中を見送って、言織が訊いた。
「このままじゃ、あのセンセの不始末になっちまいそうだし」
「そうだな」
宵崎は頷く。
「この程度ならば、問題ない」
錫杖をかざす。先端から伸びる影の帯が、散らばったガラスの欠片に伸びていく。寄り集まり、またたく間に修復していった。
事後処理も、万全だった。
「よし。じゃあ、あたしらは行儀よく正面から入ろうか」
果たして正面は、厳重に施錠されていた。
これも、問題ない。
宵崎の操る影が、すんなりと開錠する。
一行は、旧校舎に入って行った。
◇
入った途端、明らかに空気が変わった。
寒気にも似た感覚が、背中を走る。
「わかりやすいなー」
言織は、周囲を見回した。靄のように淀んだ闇が、周囲に漂う。
心なしか、息苦しい。
振り返ると、はるか遠くまで続く廊下。入ったばかりの入り口は、すでに見えない。その異常さも、慣れたもの。
「んじゃあ、行きますかね」
気負うことなく、一行は進んでいく。
すると、
「誰かいるね?」
景が目ざとく気付いて、足を止めた。
廊下の片隅で、うずくまる人影があった。
言織達の気配に気が付くと、びくりと身体を震わせる。
「……だ、誰?」
懐中電灯で照らされる。
その姿には、見覚えがあった。
「昼間の――」
「……あ、お姉ちゃん」
ぶるぶる震えていたのは――翔太だった。
片手に金属バットを握り締め、頭にはヘルメットをかぶっている。
公園で状況を説明してくれた、肝試しには参加しなかったはずの少年。それが、どうして――
「何で来たの?」
言織が訊くと、
「……だ、だって……」
半べそ状態で、鼻をすすり上げる。
「……亜矢ちゃんが」
「亜矢ちゃん?」
怪訝そうにつぶやく言織。
「行方不明になったガキのひとりだな」
「え?」
突然の声に、翔太は目を白黒させる。
「ロクスケ」
「はん、別にいーじゃねえかよ」
軽くたしなめる言織を無視して、ロクスケ。そのまま、翔太に近付いていく。
「……ね、猫が喋った」
びっくりして、腰を抜かしかける翔太。
ロクスケは、からかうように笑った。
「おいおい。これから、おめーが言うお化けの巣窟に殴りこむんだぜ? このくらいで、がたがた言うんじゃねーよ」
「……き、君もお化けなの?」
「まあ、妖怪だけどね」
言織が、訂正する。
ロクスケは下世話な追及を続ける。
「それよりも、その亜矢ってのは何だ? おめーのこれか?」
「……これ、って?」
「野暮な言い方すると、恋人とかってことよ」
言織が、補足。
「こ、恋人って」
翔太は真っ赤になった。
「別に、そ……そんなんじゃないよ」
「はーん、片想いって奴かい」
くっくと笑う、ロクスケ。
「ロクスケ、性格わりーぞ」
あまりからかうなよ、と言織。
「言織よ、こいつは仕方ねー」
「ん?」
「なかなかに、男じゃねえか。そいつに、水差すのは野暮ってもんだぜ」
「ふむ」
まー、確かに。
こんなに怯えているのに、それでも来たのはちょっとかっこいいかな、とも思った。
少なくとも、ただの好奇心で無謀をやらかした子供達よりも、翔太の方がよっぽど好ましい。
「しゃあねえな」
肩をすくめる言織。
「儂が、面倒を見よう」
宵崎が歩み出る。
「坊主、儂のそばから離れるなよ?」
「……は、はい」」
「じゃ、行きますか」
言織は、旧校舎に向かって歩き出す。次に、景。おっかなびっくり続く、翔太。足元に、ロクスケがまとわりつく。
しんがりを努めるのは、宵崎だった。