四
片付けは男性教師達に任せて、茉莉と理恵は担任教師に事情を聞かれることとなった。
「……あの教室で、何をしていたの?」
小さな指導室で、彼女は言葉を選ぶように訊ねてくる。
彼女は、茉莉へのいじめを知っていた。
見て見ぬふりをしていた。だからこそ、心中穏やかではなかっただろう。
「…………」
茉莉は答えない。
いや、答えようがなかった。何て説明すればいいのか――とてもではないが、言葉が見つからない。
それでも何か言わなければ。悪戦する彼女のとなりで、理恵が口を開いた。
質問に、質問で返す。
それは、間違いなく教師に刺さるものであった。
「その前に、ですけど。先生は知ってましたよね? わたし達が、茉莉さんをいじめていたことを」
「……いえ、あの」
明らかに顔色が変わった。言葉に詰まる。
「でも、あれは……わ、悪ふざけくらいで」
理恵は、あいまいにはぐらかそうとする教師に追い打ちをかける。
「いえ、いじめです。わたし達は、いじめていました」
断定。断言。懺悔の告白。
当事者の言葉には、もう認めるしかなかった。
女性教師は、自分の不手際も同時にこの場で認めざるをえなかった。
まだ若い女性教師、仕方ない。
まだ未熟な彼女では、背負いきれない。情状はある。同情もされるべきか。
けれども、やはり許されない。教師という立場で、看過することは彼女の罪悪感を――理恵はそれ以上つつくことはなかった。
それが、目的ではないのだから。
「……理恵ちゃん」
奇妙な構図だ。被害者である茉莉の方が、むしろいたたまれなさそうだ。
少しの、痛い沈黙。
誰にとってもそうだった。
そして、尚も言葉を続けるのは――金井理恵という少女。
自分は江藤静香、川田洋子、このふたりと一緒に――鈴木茉莉というクラスメイトをいじめていた。
けれども、それが辛かった。苦しかった。やりたくて、やっていたわけではない。自分もいじめられるのが怖くて、嫌々と加担させられていた。
だから、もう我慢できなかった。
勇気を振り絞って、ふたりに歯向かった。もう、いじめなんてやりたくない。
「――あなた達には、従いたくない」
それで、喧嘩になった。
静香と洋子と物別れになった。ふたりは大声を張り上げて、机を蹴り飛ばして――教室を出て行った。
理恵は、そんな話をでっちあげた。
事実とは全く違う。それでも――くろうねりという怪異が現れた真実よりも、こちらのほうが信ぴょう性があった。
「……そう」
教師はこの事実に納得した。
そうしてから、少し微笑んだ。苦しそうな、羨ましそうな、複雑な表情。
「理恵さん……あなたは、強いのね」
自分にはできなかったことだと。素直な賞賛が、そこにはあった。きっと、それは間違いではなかった。
事実は違っていても――あの土壇場で、友人をかばったのは本当だったのだから。
「わかりました。あとは、先生がうまく言っておきます」
席を立つ。
「あなた達は、もう帰っていいわ」
そして、帰り際――茉莉にこう言った。
「……鈴木さん、見過ごしていてごめんなさい。今更だけど、これからは何かあったら相談してちょうだい」
本当に、今更だった。
現実は、彼女の認識以上に最悪に至っている。けれども、その頭を下げる光景に――
「はい、わかりました」
頷く茉莉。彼女にも、心に疼くものがあった。
確かに、女性教師は気付いていて見過ごしていた。けれども、茉莉自身が強く相談していたら――何か、違っていたかもしれない。女性教師は弱くはあったが、善良な人間でもあった。
そのことが、今の態度で理解できる。
何かが少しずつでも違っていたら、こんな結末にはならなかったのかもしれない。
◇
「……あのふたりは、仕方ないのよ」
重い気持ちで校門を出た茉莉と理恵。先に口を開いたのは、理恵だった。
茉莉に言い聞かせると同時に、自分自身にも言い聞かせていた。罪悪感と恐怖と、後悔。こみ上げてくる不快な感情を、押し殺そうとする。
「自業自得だもの、仕方ない」
茉莉の瞳を見ようとして、それはできずに、視線を逸らす。
「…………」
茉莉はうつむく。何かを考え込んでいる様子だった。
「だって、どうにもならないでしょ?」
彼女が何かを言う前に、理恵は悲鳴になりそうな声でさえぎった。
くろうねりという怪異が、ふたりをさらって行ったなんて誰が信じてくれる。
ありえないことだった。そんな現実に、誰が対処してくれるというのだろう。
結局、茉莉と理恵は普通の少女に過ぎない。超常たる事実に何もできはしない。
――そう、普通の人間ならば。
彼女達だけならば。
「嬢ちゃん達、何かお困りかい?」
唐突に、声がした。
子供のような、澄んだ声。
茉莉と理恵はあたりを見回すが、姿はない。
「……え、え?」
先ほどの怪異もあり、青くなる理恵。
逆に、茉莉は少し冷静だった。理恵よりも早く、声の主に気が付く。
声は、足元からだった。
その姿に、最初は戸惑うが――割と素直に受け入れていた。少し遅れて気付いた理恵は、ありえない光景に小さな悲鳴を漏らす。
「何かやばい出来事に遭った、そんな匂いがしてるぜ?」
話しかけてくるのは、一匹の小さな猫だった。
夕暮れの陽を浴びて、金色にも見える茶トラの猫。それは、明らかにヒトの言葉を話していたのだ。
◇
「ついてきな」
ふたりから事情を聞くと、猫はそう言って歩き出した。
「…………」
ついていこうとする茉莉の肩をつかんで、理恵が引き止める。
「ちょっと、本当に行くの?」
不安そうな表情。無理もない、それが普通の反応だ。人語を解する猫、まともであるわけがない。
「助けになってくれるって、言うし」
「だ、だって! さっきのこともあったでしょ? お化けは、本当にいるんだよ。あの子だって――」
そこで、言葉を小さくする。少し離れた場所で振り返る、不思議な猫に視線を向けながら。
「……まともじゃないかも、しれないじゃない」
「でも、放ってはおけないよ」
そんな茉莉の言葉に、理恵は頭に血が上った。
「あ、あんたは――お人よし過ぎるのよ!」
静香と洋子のことなんて、もう気にすることはない。少しは後ろめたいけれども、彼女達の自業自得だ。 くろうねりの言っていたとおりだ。
この場で自分達――特に茉莉が危険を抱えてまで、事態を収拾することなんてない。
「大丈夫」
微笑む茉莉。
「理恵ちゃんは、先に帰ってて。この猫さんには、わたしだけがついていくから」
心配させまいと振舞ってはいるが、かすかな不安が見て取れる。
そんな友人を見て、ひとりで行かせるわけにはいかない。
「仕方ないわね」
理恵は苦虫をつぶして、苦笑して、あきらめたように肩を落とした。
この友人――親友が、普段は気が弱いくせに、ここ一番で妙に頑固であることを思い出したからだ。




