表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おぼろのことり~怪之徒然拾遺録  作者: ハデス(夏ホラー参加します)
怪の漆「貴方の後ろの、影法師」
37/40

「じゃあ、よろしく頼むよ」


 そう言うと、上司の須藤係長はそそくさと帰ってしまった。

 今日は、娘のヴァイオリンの発表会らしい。朝、パートの女子社員に楽しそうに言っているのを、横目で聞いた。

 決して暇ではないこの時期に、上司が意気揚々と時間給を取って帰っていく。

 やりきれないものを感じながら、気弱な柏木浩二には、皮肉のひとつも言えなかった。「何だかなー」

 ため息をつきながら、会社の廊下を歩いていると、


「ちょっと、柏木君」


 険のこもった声をかけられた。


「あ、畑中さん」


 四十絡みの、やせ気味の女性。美人とは言えないが、平均的な顔立ちだろう。

 もっとも、柏木自身も、他人の容姿をどうこう言えるほど二枚目でもない、のだが――総務の畑中恵美は、不機嫌そうに顔をしかめていた。


「例の書類、どうなってるの? 明日までに、高杉さんに見せないといけないんだけど」


「え?」


 一瞬、何のことかわからなかった。

 心当たりのある書類は、確かにあった。けれど、それは――

 昼休み前に、渡したはずだった。

 わざわざ持って行った時、畑中は忙しそうだった。なので、おずおずと声をかけた。

 すると、彼女はうるさそうに、『そこ、置いといて』と言ったはずだ。ろくに、こちらを見ようともせずに。

 そのことを、申し訳なさそうに言うと――


「はあ? なに、それ」


 畑中は、声を荒げた。


「きちんとあたしにわかるように、渡してくれないと困るわよ」


「あ、すいません」

 思わず、そう返してしまった。

 お互い様だと思ったけれど、言い返せなかった。

 ぷりぷりして、去っていく畑中の背中を、見送るしかなかった。


 

 毎日が、生きづらい。

 

 自転車で三〇分ほどかけて、隣町の会社に通うサラリーマン。

 中堅といったところか。主に出版関係の下請けをする会社で、給料はそこそこだけど、安定している。

 元々は大学生の頃からアルバイトでいたのだが、とある管理者の目に止まり、その真面目さをかわれて、正社員へと採用されたのだった。

 今年で二十五歳。仕事ぶりは、平均的だろう。ずば抜けているというわけでもないが、後ろ指を指されるほどではない。

 ただ、彼には大きな欠点があった。

 真面目はいいが、気が弱いのだ。

 不真面目な上司には屁理屈を言われても言い返せず、同僚の理不尽な言動にも黙ってしまう。

 そうして、貧乏くじばかり引いている。


「……はあ」


 ため息をつきながら、今もまた、早退をしていった上司の残していった仕事をやっている。自

分の仕事が、終わらない。とはいえ、下手に残業をすれば何を言われるかわからない。

 きっと、須藤係長は、自分のことを棚に上げて、自分のことを「もっとしっかりしてくれないと困る」などと、皮肉を言ってくるに違いない。


 そうして、自分は言い返せない。

 また、溜めこむことになるだけだ。

 自分を引き上げてくれた社員がいればいいのだけれど、彼はその成績をかわれて、本社へ栄転していってしまった。

 

 情けない。

 情けない。


 

「あ、ここ間違っている」


 書類に不備を見つけた。見過ごすと、自分に責任をなすりつけてくるに違いない。だから黙って、手直しをする。


 

 定時は五時だった。

 帰る頃は、七時を回っていた。さすがに業腹だったので、一時間は超勤をつけよう。

 それでも、もう一時間は空超勤だった。

 やるせない気持ちを抱えて、家路につく。

 明日は土曜で休みだ。そう思えば、少しは気持ちも楽だった。


 

「……ん?」


 駅前を通り過ぎようとして、ふと目を止めた。

 パチンコ店の、派手なのぼり。新台入荷! の煽り文句。その機種に、興味を引かれた。


「あー、懐かしいな」


 学生の頃、夢中でやっていたRPGのタイトルだった。

 学園を舞台にした、少年たちが超能力をもって戦うストーリー。それを題材にしたスロットが入荷しているらしい。


「こんなのも、スロットになったんだ」


 パチンコ、ギャンブル。大学生の時に、友人に誘われて行ったきりだ。

 あの時はわけもわからずに五千円負けてしまい、結構な痛手だった。そもそも、今みたいに自分の気を引く台があったわけでもない。

 でも、今は違う。

 それなりに社会人、やっている。財布の中に、数万円はある。

 近付いてみると、パチンコ店の華やかな喧噪。そのままふらふらと歩いて行ってしまい――けれど、思いとどまった。


 家では、両親が待っている。退職をした父親と、専業主婦である母親。夕食を用意して、自分の帰りを待ってくれているんだ。

 今日も、色々あった。

 けれど、その鬱屈とした感情を抱えたままで、パチンコなんて行っていいわけがない。


「うん、帰ろう」


 さっと自転車に飛び乗って、立ちこぐ。

 ちょうどそのタイミングで、パチンコ店を出てくる男の姿があった。

 苦虫潰して、煙草を吹かす。

 午後から仕事を休んでパチンコ。数日前のことは忘れたままで、今日も負けた、荒垣瑛一だった。


 

 そんなこと、柏木浩二には知る由もなかった。意味もなかった。

 そうして、ふたりはすれ違う。

 全く関わりのない、他人同士として。

 

       ◇

 

 夢を、見た。

 後味の悪い夢だった。

 誰かが、自分を追ってくる。それが誰かはわからない。

 ただただ追ってくる、その感覚。じっとりとした、へばりつくような視線。敵意、悪意、害意。

 そんな夢を見た。


 

 寝起きは、最悪だった。

 少し、母親に当たってしまった。

 反省してから、久しぶりにゲーム機を取り出す。少し埃を被っている。大学生の頃、夢中になっていたゲーム。気晴らしに、やってみた。

 その日は、そんな感じで終わった。

 日曜日。

 今日も休み。

 午前中は掃除をした。午後から、時間を持て余す。明日からの仕事を思うと、気が滅入ってきた。

 気が付くと、家を出ていた。

 向かう先は、あのパチンコ店だった。


 

 例の、ゲームを題材にしたスロット台。空いていた。おっかなびっくりやっていると、液晶画面に何かアニメが流れて、画面が切り替わった。

 よく、わからない。

 戸惑っていると、となりに座っていた若い男が話しかけてきた。


「なに、わかんないの?」


「ええ、まあ」


 慣れた感じの若者に、浩二は苦笑い。若者は気さくそうに笑った。


「こうやるんすよ」

 そう言って、ボタンを押してくれる。回っているリールが止まり、七の図柄が3つそろった。一際派手な音が流れて、キャラクターの声で「ボーナス確定!」と叫んだ。


「んで、こんな感じで打つんですよ」


 台の近くにぶら下がっていた紙がある。そこには、台の説明というのが書かれていた。


「狙え! って声が入ったら赤七を狙うんですよ。入ってたら、また揃いますから」


 見れば、その若者はかなりメダルを出していた。台の上に、メダルが満杯になった容器を二つほど積んでいる。


「見る限り、その台は設定よさそうですよ? ラッキーですね」


「そ、そうかな」


 いまいち状況がわからないまま、相づちを打つ。

 設定がいい、というのは儲かるらしい。


 

 結局、その日は三万円勝った。

 楽しかった。

 日頃のうさなど、吹き飛んでいた。


 

 それから、時折、パチンコ店に行くようになった。時々出会う若者に、台の打ち方を教わる。

 仕事帰りに、ちょっと立ち寄る。

 休みの日は、開店同時に並ぶようにもなった。

 

 しばらくは、調子がよかった。

 負ける日もあったけれど、次の時には余裕で取り返していた。

 

 そんな感じで、一カ月が過ぎていった。


 

 時折、夢を見た。

 背後から追ってくる気配。じっとりとした視線。

 そんな時は気分が悪く、またパチンコに行っていた。

 


        ◇

 

 職場では、相変わらずだった。

 今日も同僚の引継ぎが悪かったのを、自分のせいにされてしまった。

 うまく言い返せずに、例の安藤係長から「しっかりしてくれないと困るよ」と言われた。

 胸に溜めこみながら、係長が女子パート達に話しかけに行くのを見送る。足取り軽く見えるのは、気のせいだろうか。

 正直、彼はあまり仕事をしない。それで、通るのだ。

 柏木のいる部署は、社内でもあまり重要性が低く、よく言えばゆったり、悪く言えばいい加減で通る部署なのであった。

 何ともやるせない。


「おまえ、俺のとこ来ない?」


 同期の社員にそう言われたこともある。


「俺が口利きしてやってもいいぜ」


「いや、いいよ」


 あいまいに笑って、そう答えてしまった。


「バリバリ働くの、ガラじゃないし、今のところでいいよ」


 やる気がない、わけじゃない。

 ただ、現状が変わるのは不安だし、何より、それなりに長く勤めていて、人間関係も構築されていたのだ。


「よ、おはよう」


「うん、おはよう」


 仲のいい同僚に、挨拶を交わす。


「あー、ったく。須藤上司、例の件、またほっぽり投げてきてるんだぜ」


 早速、愚痴る。


「そうなんだ。やれやれだね」


 柏木は、ため息をついた。


「つうか、お前がまたやるんだろ? 文句の一つも言ってやれよ」


「無理だって」


 力なく、笑う。


「ったくよー。午後から、ちっとは手伝ってやるよ。てかさ、きちんと残業つけてるのか?」


「んー、ぼちぼち」


「業腹だから、もらえるものは貰っておけよ。しかし、残業も自己申告なんてな。管理体制、ずさん過ぎだぜ」


 軽く愚痴を行ってから、同僚は手を振った。


「んじゃ、またな」


「うん、ありがとう」


 自分の机に戻る同僚に、柏木は手を振った。


 

 色々、仕事に不満はあった。

 それでも、それなりにうまく人間関係もやっている。仕事自体が、嫌いなわけでもない。だから、それらを放って、異動するのも気が引ける。


 

 遠慮、気遣い、気の弱さ。

 

 そういったものが、少しずつ、降り積もっていく。

 そうして、誰かの視線を感じるのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ