三
目覚めは、ひどく奇妙だった。
とても頭が重いはずなのに、かえってすっきりとしてしまっていた。
少女の赤い瞳に覗き込まれて、まるで催眠術にかかったみたいに、意識が薄れていって――いつの間にか、眠り込んでいた。
夢だったのかだろうか。
違う。
夢じゃない。
枕元に、置いてあった。
「…………」
亜矢は、手を伸ばす。起き上がって、じっと見る。
馬鹿らしい。
(……そんなこと、あるわけないじゃない)
そう思って、ベッドから出ると、机の上に置き去りにした。
部屋を出ようとして、少しためらった。父親と母親に、どんな顔をすればいいのだろう。 だけれども、
お腹が鳴った。トイレにも行きたい。
このまま引きこもっているわけにもいかない。
意を決して、外に出た。
「……おはよう、亜矢」
下に降りると、母親がいた。ばつが悪そうだった。亜矢も、あいまいに言葉を返す。
「うん、おはよう」
「ご飯、どうする?」
「……食べる」
「すぐ、温めるわ」
そそくさと、奥に引っ込む。
ダイニングの時計を見る。驚いた。
もう十時近くだった。あきらかに寝過ごしだった。
あたりを見回す。父親の姿はなかった。
「……お父さん、もう出かけたわ」
母親が、声をかけてきた。
明日まで出張らしい。他の業者への納期か何かで、不手際があったらしい。現場の責任を取るために、東京まで発ったとのこと。
母親の言葉を、亜矢は意識的に聞き流した。
砂を噛むような思い。
空腹なはずなのに、半分くらいしか食べれなかった。
「……ちょっと、出かけてくる」
中途半端な朝食を終えて、立ち上がる。
「お昼は?」
「ん、適当にするからいい」
「ちょっと待っててね」
言うと、母親は財布からお金を取り出した。
「これで……何か好きなもの、食べてきなさい」
千円札が二枚。一応、受け取る。
「お父さんのこと、許してあげてね? また今度、出かけましょう」
「うん」
イラっと来たけれど、それを出すのも、もう面倒だった。
亜矢は臨時のお小遣いを手に、家を出た。
◇
歩きながら、携帯電話を取り出す。少し古いモデル。
それこそ、朱里あたりが見せびらかすような最新型には程遠い。そう言えば、数日前、父親に買ってもらったとか言ってた――ような気がする。
(……まあ、どうでもいいけどね)
独りでも、手持無沙汰だ。翔太に連絡を取りたいなと思ったけれども――やめた。今じゃ、父親のことを愚痴るだけだ。きっと、自分が情けなくなる。それは、嫌だった。
目的地もなく、ぶらぶらと歩く。なんとなく、駅前にたどり着いた。
「……あ」
たまたま目に入った、ショーウインドウに並ぶ最新携帯。はやりの最新モデルだった。
(少し、欲しいかなー)
そんな思いがよぎった時、声をかけられた。
「あれ、笹原さん」
そちらを振り向いて、思わず顔をしかめてしまった。
あろうことか、須藤朱里だった。父親らしい男性が、となりに立っている。人のよさそうな、恰幅のいい恰好。自分の父親より、ずいぶんと年上のようだった。
「お友達かい?」
朱里に声をかけた。
「うん、パパ~」
甘え声で、答える。
(パパ~じゃねーっつの!)
心の内を知ってか知らずか――いや、どちらにしても、亜矢の神経を逆なでするのは、変わりない。そして、それは朱里にとっては望むところだろう。
「こんなところで、どうしたの?」
「別に」
冷淡に答えるものの、その視線が、朱里の手元に行った。大事そうに抱えた、小さな紙袋。
「これ? えへへ~、最新のスマートフォン。パパに買ってもらったんだ」
別に聞いてないし。聞きたくないし。亜矢のむかつきが、更に揺れた。
「あっそう」
朱里のいちいち腹の立つ言葉を、聞き流し――は、できなかった。少しの間、やりとりをして、打ち切った。
「ごめん、急ぐから」
無愛想に言い放って、ほとんど駆け足でその場から離れた。
小走り程度だったのが、いつの間にか本気で駆けていた。
公園で立ち止まり、荒い呼吸を整える。手近なベンチに腰掛けて、頭を投げ出した。
最悪だった。
なんで、よりにもよって、須藤朱里と出会うのだ。このタイミングで。しかも、向こうは父親と一緒だった。ほんとパパ~じゃねえよ、まったく!
「あー、まったくむかつく!」
ため息とも怒りともつかぬ声。大きく身体を揺さぶると、その拍子に零れ落ちた。
「ん?」
足もとに落ちた――
それは、一枚の紙きれだった。
黒く、真黒いヒト型の。
「……何で」
つぶやく。
少し、声が震えていた。
――ねえ、欲しくない?
休日は、買い物に付き合ってくれて、遊びに連れってくれて――仕事仕事なんて、言わない、そんなお父さん。
(……バカバカしい)
そう思いながらも、その手は、落ちたヒト型を拾い上げていた。
◇
ファーストフード適当に昼をすませて、何も買わないまま、家に帰った。
おざなりに母親にただいまを言って、部屋に向かう。
なんだか、妙に疲れた。
ベッドに寝転んだ。
うとうとしていたら、ドアを叩かれた。
「……ん?」
まぶたをこすって、起き上がる。気が付けば、赤い日差しが部屋に差し込んでいた。
結構、時間が過ぎていたようだ。
「亜矢、ちょっといいかしら?」
ドアの向こうで、母親の声がした。
「……何?」
少し不機嫌そうな声で、ドアを開ける。
「ポストに、こんなものが入っていたんだけど……心当たりある?」
「……え?」
朱里が持っていた紙袋と同じものだった。つまり、あの携帯ショップの買い物袋。メモが貼ってあった。
『亜矢へ』と。
訝しく思いながら、亜矢は受け取り、開けてみる。
出てきたのは、最新のスマートフォンだった。それも、亜矢が好きな水色で、形もかわいらしく好みだった。
「誰からかしら?」
母親が、首を傾げる。
亜矢も訝しげに思ったけれど、当たり前のように、頭によぎった。
――お父さん。
父親ではない。亜矢が、ヒト型に願った『お父さん』
(……本当に?)
――本当、なの。