二
家に帰ると、母親が仁王立ち。
開口一番。
『テスト、どうだったの?』
返答二番。
『え? 何のこと? それよりお腹空いたよお母ちゃん』
すっとぼけたけど、無駄だった。
ねたはすでに上がっていたのである。
今日の夕方――つまり、春人が対戦に燃えていた頃、『カードドライブ・オン!』などと叫んでいた頃、母親は近所のスーパーに買い物に。
そこで出会った、クラスメイトの母親と立ち話。その時、今日学校でテストが返されたと聞いていた。なんですと。うちの息子は、そもそもテストがあったことすら言ってない。
ちなみにそのクラスメイトの少年は、まっすぐ帰宅し、来週のテストに向けて勉強中。真面目な息子のために、母親は帰りにケーキを買っていくと言っていた――らしい。
まあ、そんなことはどうでもいい。
いや、よくない。
くだんのクラスメイトと比べられて、春人はぶつくさ言われまくる。一通り文句を言い終わってから、テストを見せなさいと手を出してくる母親。けれど、テストは棄ててしまった。正直に言うしかなかった。更に、怒られた。点数も自白させられた。もっと怒られた。
結果、カードゲームを取り上げられた。
『こんなものばかりやっているから、勉強に集中できないのよ! いい? 来週のテストで平均点いかなかったら、全部捨てるからね!』
反論できなかった。
仕方なかった。
「くそー」
自業自得であったけれど、それはそれ。面白くないものは、面白くない。
そして、勉強も面白くない。
晩御飯のあと――仕事から帰ってきた父親のとりなしで、飯抜きだけはまぬがれた――、とりあえず教科書を開いてみた。ノートを開くこともなく、わずか一分。
「あー、全然わかんね」
文字通りに投げ出して、ベッドに背中から倒れ込む。放り投げられた教科書が、部屋の片隅に転がった。
「しかし、困ったな」
カードゲームを取り上げられた。テストまで四日。採点されて返されるのが、一日か二日。五日か六日。最近のライフワークとなっていたのだから、つらすぎる。
「頑張って勉強はするから、返してください」
頼んでみたら、どうだろう。
脳内シュミレートの結果、数秒。
無理だ。
母親は、相当怒ってた。今回嘘もついてたし、信じてもらえる可能性は薄い。それよりも、絶対にゲームに走って勉強できないに違いない。そんな自分は、信じられる。
「う~ん」
頭をひねって、ごろごろ転がった。
「おうしっ! 仕方ない! こうなったら、真面目にやってやろうじゃねえか!」
拳を突き上げて、起き上がる。
「俺だって、やればできるはずだ! ……そうだ。ついでにいい点とって、臨時のこづかいを頼んでやろう」
母親はともかく、父親ならばきっとくれるに違いない。そんな不純なことを考えながら、転がっていた教科書を回収。ノートを開く。
やる気に満ちていた顔色が、あっさりと落胆していく。
授業のノート、真面目にとっていなかった。最近は授業内容すら、右から左だった。なので、試験範囲すらわからない。
「う~むう」
考えること、数秒。
「いいや、明日からやろう」
それこそ唯史に電話でもして、範囲くらい聞けばいいだろうに。そんな言葉を吐きながら、やっぱりベッドに転がった。
幸先、不安な春人だった。
◇
次の日から、春人は割と真面目に勉強を始めた。まずは唯史からノートを借りた。家に帰って、ほぼ半月分の授業内容を頑張って写した。
更に次の日の放課後。図書室の自習スペースで、唯史に勉強を教えてもらった。
土曜日、休み。その日も午前中いっぱいは、勉強三昧だった。
「おおう、何か俺ってすごくね?」
平均点どころか、九〇点くらいいくかも。
いい気になった。
その旨を電話すると、唯史が乗ってきた。
テストは水曜日だ。
「じゃあ、月曜に俺が模擬テストやってやるよ。どう?」
「おう、望むとこだぜ!」
と、啖呵を切ったのだが――
約束の放課後、図書館の自習スペースにて。
採点、四五点。
「……嘘」
「あ……まあ、気を落とすなよ」
茫然とする春人の肩に、唯史が手を置く。
「そ、そうだよ。これ、ちょっと難しいよ」
一緒にいた唯史のライバルの女の子も、わたわたと手を振った。ちなみに、彼女も面白そうからとテストを受けていた。
「おまえ、何点?」
「うえ?」
彼女の表情、ひきつった。
「べ、別に、あたしは関係ないじゃん?」
「何点?」
「うう」
春人の乾いた声に負けて、すまなそうに見せた模擬答案。一〇〇点だった。
「あ、でもでも、ほら! たまたまだよ? たまたまだから」
取り繕いが、白々しい。
「あー、別にいいよ」
春人は、突っ伏した。
困ったように、視線を交わす唯史と少女。
春人は、しばらくそのままだった。
しばらく自習していく、と春人は言った。唯史と少女は、微妙に追い出される形に。
独り残って、答案に目を通す。
ショックだった。
自分なりに頑張ったという思いがあるだけに、きつかった。
夢中になっているカードゲームで全然勝てなかった時とは、また違った悔しさ。こみ上げてきて、どうしようもなかった。
少しの間、ぼうっとしていた。
馬鹿らしい。
無駄だった。
後悔が、苛立ち交じりの空しさとなって、頭と心を駆け巡る。
「あ~あ、お手軽に勉強できるようにならねーかな」
独り言にしては、大きかったかもしれない。
はっと、なる。
図書室では、静かにしないといけないのだった。
慌てて口を閉じて、きょろきょろと見回す。
誰もいなかった。
安心して、だけど次の瞬間には、息を飲む。
静か、過ぎる。
いくら放課後の図書室と言っても、ここまで無音だろうか。遠くから小さな声くらい、聞こえてきてもおかしくはない。――だろうに。
不気味なほど、静まり返っていた。
「……え? あう?」
さっきとは違った理由で周囲を見回して――固まる。
声を、上げそうになった。
もしかしたら、掠れ声が漏れていたかもしれない。
少し離れた場所に、立っていたのだ。すぐ今まで、そんな気配はなかったはずなのに。
黒い、黒い、長い髪で。
不気味に輝く、赤い瞳で。
灰色がかった、時代錯誤のセーラー服を着ていた。
春人は、知らなかったけれども。
それは、噂話にある『おどろ少女』の姿そのものだったに――違いない。
中学生くらい。
その年頃が、時折ゲームスペースで出会う活発そうな少女を、頭の片隅で、なぜか思い出させた。
――髪型も、表情も、雰囲気も、何もかもが違うはずなのに。
「――ねえ」
その少女は、ぬらりと笑った。口元が割れるように歪んで、その向こうが血のように真っ赤に見えた。
「君、簡単に勉強ができるようになりたいの?」
「え?」
「だったら、これをあげる」
驚き、まともに返事を返せない春人に構わず、その少女は差し出してきた。
唯史のつけているそれとは違って、地味でやぼったい。古びた、黒縁の眼鏡。
――彼女に会えれば、ひとつだけ。
不思議な道具をもらえるんだって。
「勉強ができるようになる、魔法の眼鏡よ?」