一
――ねえ、知ってる?
おどろ少女の、噂話さ。
黒い、黒い、長い髪で。
不気味に輝く、赤い瞳で。
灰色がかった、時代錯誤のセーラー服を着ている。
彼女に会えれば、ひとつだけ。
不思議な道具をもらえるんだって。
――そんな噂話が、その町では広がっていた。
願いを叶えてくれる妖怪道具。
それのおかげで、歌手としてデビューできた青年がいた。
それのおかげで、大金持ちになれた女の子がいた。
いじめられっ子で気弱だった少年が、逆にいじめっ子をいじめ返すくらいに強くなった。
過去に戻れる幻の学校に、転校できる人達がいた。
そんな、荒唐無稽で、馬鹿馬鹿しい、ありえるわけがない――噂話。
そのはずだった。
◇
その日、阿美川春人は不機嫌だった。
春人は、小学五年生。その両手には、今日返されたテストが握られていた。
帰り道で、ふてくされている。
彼は、お世辞にも勉強が得意ではない。はっきり言えば、全然できない。今回の算数のテストは平均点が60点くらいだったけれど、春人は35点だった。
「あーあー、また母ちゃんに怒られる」
「とりあえず謝っておけばいいだろ?」
気楽に言うのは、並んで歩く少年――追川唯史。春人の親友、と言ってもいい。よくつるんでいて、仲もよかった。今日も、一緒に遊びに行く約束をしているのであった。
でも、今はむかついていた。
「つーか、お前はいいよな。算数得意だしさ」
「そんなことないよ」
くいっと眼鏡を傾ける唯史。なんか、その仕草も癪に障る。
「むしろ算数は、苦手科目さ。今回も、100点取れなかった」
万年劣等生の春人からしてみれば、雲の上の話である。
「へーへー、さいですかあ」
「それよりも、そんなんじゃ今日は、春人来ないほうがいいよな?」
「え?」
「来週は理科と社会だぜ? 今日くらいは、勉強してたほうがいいんじゃね」
と、友人の言葉。
最近、春人の母親はおかんむりだ。勉強しろ勉強しろと、口うるさい。それは、唯史も知っていた。
「冗談じゃねーよ」
しかし、春人は鼻を鳴らす。
「最近、ずっと負けっぱなしなんだぜ? 今日こそリベンジしてやるぜ」
テストを丸めてズボンのポケットに突っこんで、意気込む。
唯史と春人は、現在とあるゲームにはまっている。
『G・D』
正式名称、ガーディアン・デュエル。
最近アニメ化もした、カードゲームである。
様々なヒーローとロボット、美少女キャラなどを盛り込んだ世界観。自分でデッキを組んで、様々なカードで得点を競い合う。
駅前のホビーショップの一角に、対戦スペースが置かれている。放課後は、彼らのような少年少女達でなかなかに盛況だった。
「無理じゃないのかな。あの人、相当に強いぜ? ランカーにもなったことあるみたいだし」
そのカードゲーム。時々大規模な大会が行われて、順位を競っていた。その中で、好成績を残すとランカーとして自慢できるのだ。
春人らの通う対戦スペースで、時折見かけるふたり組。少し年上か、中学生くらいだろうか。 ひとりは、女の子みたいに細く、おとなしそうな少年。長めの黒髪で、なぜか右目を隠している。こちらが、話にある強い相手。
もうひとりは、栗色の髪を左右で縛った、活発そうな少女。釣り目がちで、かなりかわいい女の子。
もっとも、春人には、まだそういう興味はあまりない。
それで、彼女の方はさっぱり弱い。春人の付き合いで、最近始めたばかりの唯史にさえ、散々に負け続けているくらいだった。
「はん! 上等だぜっ! 相手が強ければ強いほど、俺は燃えるんだぜ」
春人はランドセルを地面に置く。
『ランドセル汚れるぜ』と、唯史の言葉を無視して、ごそごそと教科書の間から取り出す。
小さな黒いケースに入った、カードのデッキ。得意げに、振りかざす。
「昨日、散々に考え抜いて組み上げた混成デッキ! はっはー! 今日こそ、一矢報いてやるのだ!」
「その言葉自体で、負け確定って感じだよな」
唯史は、ため息をついた。
「水差すこと言うなって」
言いながら、コンビニの前を通りかかる春人。ちょうどそこにあったゴミ箱に、ポケットから取り出したテストを投げ込んでしまった。
「おい、まずいんじゃねえの?」
「いいって、どうせ母ちゃんには見せねえもん。黙ってりゃ、ばれやしねえって」
春人は、からから笑う。
「おまえも、やればできると思うんだけどなー」
「何が?」
「勉強」
「興味ねーよ。従兄弟の兄ちゃんが言ってたぜ? 大人になったら、勉強なんて何の役にも立たねえって」
◇
真面目な唯史は、一度家に帰ると言った。
春人は、ランドセルそのままで向かう。
店先に設けられた専用エリア。デュエルスペース。いくつかあるテーブルの上に、プレイマットが敷かれている。
「あ、いたいた。今日こそ勝つぜ!」
目的の相手を見つけた。意気揚々と、近付いていく。
「さあ、やろうぜ」
「うん、いいよ」
少女のような少年。
例の、強い少年。
少年は、誰とも対戦していなかった。
どうやら待ってくれていたようだ。
ふたりで、空いているスペースを見渡す。
「あ、ここいいよ」
見知った男の子――翔太が、席を譲ってくれた。
「サンキュー」
礼を言って、椅子を引く。ランカーの少年と向かい合って座ると、観客が集まってくる。
「最近、景のやろー調子こいてるからさ。ぎゃふんと言わせてやってくれない」
カードゲームが弱い少女の言葉に、少年は肩をすくめる。
先ほど席を譲ってくれた翔太と、正志と言った小学生ふたりとよく連れ立っている。
「おう、任せてくれよ」
春人は胸を張った。
実は、最近、少年――景と並んでここでは注目されているプレイヤーになりつつあるのだった。
(ほんと、勉強なんかより全然おもしれーぜ)
しばらく対戦していると、唯史もやってきた。唯史は、ひとつ挟んだ席で例の少女と対戦を始める。
三回対戦した。
結局、勝てはしなかったが。それでも僅差というところまで何度か行って、ギャラリーから歓声が上がった。
満足だった。
上々の気分。唯史と別れて、家に帰る。
(今日の晩飯、何かなー)
寄り道したことを怒られるだろうけど、まあ、いつものことだ。そんなことを思いながら、玄関を開ける。
もうすっかり夕暮れだった。
――黙ってりゃ、ばれやしねえって。
結局、ばれた。
世の中、そういうものである。