四
立ちはだかったのは、少女の形をとった闇人形。
次の瞬間には、少年のようになり、次に見れば頭一つ大きくなっていた。
揺れ動き、その中に幾人もの影を内包していた。
恐らくは――
この学校に取り込まれた者達の影を、幾重にも重ねられた存在なのだろう。
先手必勝。
言織が、弾丸となった六紋銭を放つ。
あっさりと弾かれた。
ついで、宵崎。
錫杖から生み出す黒い錐が、一直線に伸びていく。
影が何かを振るうと、軌跡が走り、断ち切られた。
敵が手にしたのは、日本刀。大太刀。言織の身長の二倍ほどはありそうな、でたらめな大きさだった。明らかに天井に届き、左右の壁にもぶつかる。けれども、天井も壁もすり抜けて、大旋回で振り下ろされ来た。
斬る、と言うより叩き付ける。爆音に似た衝撃だった。巨大な刀は、黒い飛沫となって四散した。
言織達は、後方に飛んでかわす。
大ぶりなだけの粗雑な一撃を避けるのは、それほど難しくはなかった。
しかし、
その攻撃は、警戒に値する。
「んー」
眉をしかめる言織。
「結構でっかい妖気だね」
「少し、骨が折れそうだな」
宵崎が同意した。
「ご、あああっ!」
敵は吐き出すような、呻き声にも似た雄叫びをあげ――
今度は。
その肩から、伸びた巨大な両腕が、襲い掛かってくる。
「ちっ」
言織は――即座に六紋銭を、左に展開。光の防壁で、しかし――巨大な拳の衝撃までは相殺しきれず、体勢をくずしてしまった。
ガラ空きの頭上から、三本目の腕。
五本の指が、槍と化して向かってくる。
「ふんっ」
跳ぶ宵崎。錫杖のひと薙ぎで、打ち払う。その背後からロクスケが飛び上がり、
「ぶ――ばああっ!」
炎を吐きつけた。
苦しそうにのけぞる闇人形。苦し紛れに腕を振り回し、気が付けば、巨大な翼も生えていた。蝙蝠のような、骨格は不気味に捻じ曲がった漆黒の翼。
羽ばたきが突風となった。
それは、黒い波となる。ロクスケの炎をも巻き込んで、真っ黒い津波となった。
そのまま、奔流となって言織達に押し寄せてくる。
「くっ!」
両足で踏みとどまる宵崎。錫杖をくるりと回転させて、闇の防壁を作り出した。黒い津波を受け止めはしたものの、圧されていく。
「宵崎っ」
言織が、六紋銭を全て投げ飛ばす。五芒の光を展開。それは宵崎の盾の上からもう一枚の盾をかぶせた。
宵崎のとなりに立ち、彼女もまた踏ん張った。
「ふむ、なかなか手強いな」
「そーだねえ」
最近相手取った怪異の中では、指折りだった。先の逆柱の時とは違い、純粋に力が大きい。
敵の重圧を受け止めながら、苦笑するふたり。
「景、はぐれはやっぱりあの中?」
「うん」
言織の問い掛けに、景が答えた。
「じゃあ、こいつをどうにするかしかないわけね」
「言織、行け」
宵崎が、短く言い放つ。
「道は、儂が創る」
宵崎のとなりに、景が並んだ。
「僕も妖力くらい、応援するよ」
言織は、ロクスケに視線を向ける。意思疎通は、それで足りた。
「ロクスケ、頼むわ」
「ああ」
答えて、その肩に飛び乗るロクスケ。その表情は、少しだけ固くなっている。彼にしては珍しい。
宵崎は景を見て頷くと――正面に、向き直った。
「では、行くぞ」
「あいよ」
と、言織。
「は、あああっ」
錫杖を突きだし、声を荒げる。闇の力が集中し、前方に走った。
言織の盾が抜けただけ上乗せになった負荷に――歯を食いしばる宵崎。その両肩に手を置く景から、かすかな光が流れ込んでいく。自身の妖力を、分け与えているのだ。
「く――ぬううっ!」
目を見開き、
「はあっ!」
咆哮する宵崎。
その瞬間、闇の津波の中、人ひとり通れるくらいの隙間が生まれた。
ロクスケと共に、言織が駆ける。
「我は、汝」
言織が言葉を紡ぎ、
「汝は、我」」
ロクスケが応じる。
『魂の寄る辺、命の縁に従いて』
ひとりと一匹――否、ふたりの声が重なる。
『この刹那、共に在らん』
ロクスケが紅蓮の炎となり、言織の身体に吸い込まれていく。
彼女の栗色の髪が、鮮やかな黄金へと転じていく。ロクスケの炎の毛並みを、そのまままとったかのように。
瞳が金色に、ガラス玉のように透き通る。
ロクスケと同化。
炎をまとい、変化した言織が駆ける。
左手を突きだし、六紋銭を展開。
五枚を頂点に、五芒星が描かれる。その中点を、照準に――闇人形目がけて駆けていく。
脅威を悟ってか、闇人形が身をよじらせた。新たに生まれる闇の腕。それが、言織に向かってくる。
しかし、
五芒の盾が、炎の飛沫を飛ばしながら弾き飛ばす。
先ほどまでとは違う。
紅蓮をまとった言織は、強大だ。
「そらああっ」
そのまま突きだし、五芒にて相手を押さえつける。六紋銭の五枚が奔り、影人形を力任せに捕縛した。
振り上げる、右拳。その先端には、六枚目。荒れ狂う炎を纏い、その一点に収束していく。それは、必殺の弾丸だ。
「――き、」
「、きぎゃあああっ!」
影が、絶叫する。苦し紛れのか。金切声の悲鳴が、周囲を震わせた。そうして、あふれ出す闇の渦。それが、言織を覆い尽くした。
黒い渦、うごめく闇色の水流。
言織の中に、流れ込む。
それは、感情のうねりだった。
捕らわれ、囚われた者達の悲哀の感情。そのやるせなさが、苦しみが、辛さが、痛みを伴い、彼女に突き刺さる。
思い返して、何が悪いんだ。
思いを馳せて、何がいけないの。
今が、つらいんだ。とてもとても辛いんだ。
毎日が、ぞっとする。
明日も来ると思うと、胃がえずく。
部屋の片隅で丸くなって、震えている。
闇の少女が、喚く。
闇の少年が、嘆く。
闇の誰かが、憤る。
その中に、垣間見る。
――寄る辺を失い、独り佇む幼い少女。
彼女は、ひどく言織に似ていた。
数年間を遡った、十にも満たぬ言織の姿。
金色ではなく、栗色でもなく、紛れもない黒髪の、幼い言織自身。
「……うるせえよ」
影達の嘆きを、わめきを、憤りを、唾棄して斬り捨てた。
心の奥で、疼いた。
悼みが痛みをともなって、ひきつれた。
言織の中で――苛立ちが、哀しみが、ささくれ立って、食いしばった歯と歯の隙間から呼気となって漏れた。
「――いい加減、黙れ」
今一度、振りかぶる。
「あんたは、鬱陶しいんだ……!」
紅蓮を纏った拳を、叩き付ける。加速をともなう六枚目の霊銭は、弾丸ならぬ砲撃。
灼紅が、黒を紅へと塗り替える。
圧倒的に、一方的に。
闇の少女は砕け散り、その学校も幻と掻き消えた。
それが、当然と。
◇
怪異の終わり。
さめざめとした月明かりの下。
栗色の髪に戻った言織は、小さな動物を抱いていた。子猫のようで、所々違っている。
その小動物は小さく一声鳴いて、おとなしくなった。
「安心しろ」
肩に飛び乗って、ロクスケが言った。
「少し弱っちゃいるが、里に連れてけば、妖力も回復するさ」
「そう」
その小動物こそが、今回の引き金であった。
過去に想いを馳せる人間達の想念と共鳴し、異空間を作り上げた。同じ感情でつながる人間を、次々と引き込む。放置すれば、もっと強大な存在と化していただろう。
そう。
初期であるから、それほどの大事でもなかったのだ。
超常とは言え、少女ひとり。
人外とは言え、手勢は数人。
たった、それだけで事足りた。
小事。
人知れず。
しかし、確かに。
こういった程度など、この国のあちこちに転がっている。
けれども。
当人達にとっては、そうではなかろう。
子供の姿から、本来の年齢に戻っている。その場にたたずむ中に、志津美奈子の兄の姿もあった。
彼らは、全てを理解しているわけではなかった。
引き金となった存在を、どこかで人間達は『脛こすり』と呼んだ。
言織達は人間界に紛れ込んでしまった彼を、同胞として保護する目的もあった――ことなど。知る由もなかっただろう。
ただ、おおよそは知っていた。それだけで充分だった。
自分達の夢を壊したのが、彼女達であろうことに。
「――まあ、恨んでもいいよ」
困惑と非難のまじった視線を背中に浴びて、言織は静かに言った。
「これからの君達の人生に、何の責任も持てないしね」
現実に、放り捨てて。
後のことは、勝手にしてくれ――そう、言う。
淡々と。
冷然と。
「まあ、ただ妖怪絡み――厄怪事に巻き込まれたなら、呼んでちょうだいな」
人外の現象。
ヒトの手には負えない怪異。
厄怪に絡んだ、人間を救ってくれる。
だが、それだけだ。
そこまでだ。
関わった人間の心を、どこまでも救いはしない。
その先をどうするかは、当人次第。
それが、乾いた現実だと。
そう、言葉を残して――
――言織は、仲間とともに夜闇に消えていった。