二
喧騒から離れた、場所。
陽の明かりは、果てに消え。夜の闇が支配する。
怪異のはびこる時分。
さびれた廃ビルの駐車場。みすぼらしい街灯が、お情け程度に照らし出していた。
そこに、彼女は立っていた。
小柄で、顔立ちは愛らしい。
栗色の髪を左右に縛り、垂らしている。縛っているリボンは、神社などで見る、菱形を重ねた飾りを思わせる。
プリーツスカートは、黒。のぞける白い足には、膝までの白いタイツ。
上には、丈の短い白い上着。
ほっそりとした腰が、際立つ。
中学生、いや……小学生だろうか。
「ここら?」
鈴を鳴らすような声に、不釣合いな声色。ひどく落ち着き払った、大人びた、色褪せた響きがある。
彼女は、独りではなかった。傍らに、同じくらいの小柄な人影。年も同じくらいだろうか。髪の長い、少女にも見える少年だった。
「妖気の残り香は、残っているね。でも、もうここにはいない」
「移動するタイプか。面倒だな」
続けるのは、子供のような声。間違いなくヒトの言葉を発したのは、少女の頭に乗っていた――黄金の毛並みの子猫だった。
白い折りたたみの、旧式の携帯電話。ストラップは、ロボットを模したもの。取り出して、画面を開いた。
「どう? 文華」
そこから――ぼうっと、浮かび上がる。黒いセーラー服姿の、長い黒髪の少女。
高校生くらいだろうか。ただし、その大きさは携帯電話の大きさにそぐって、手の平くらいの人形サイズ。
しかも、上半身だけ。不気味な光景ではあったが、それを気にする者はここにはいない。
「そうね」
上半身少女――百識文香が言う。いつもと服装が違うのは、これは携帯端末専用の分身体だからである。
「あれから、新しい犠牲者は出ていないわ」
「とりあえず、一安心か。だけど、歯がゆいなあ」
「あせることはない」
姿を見せるのは、行脚僧姿の長身の老人。笠の下で、赤い瞳がぎらつく。
「時期を待つしかないだろう」
「だな」
子猫が頷いた。
「んじゃ、今日は帰るか」
仲間とともに、夜闇に向かって踵を返す――言織。
その影がゆらめいて、闇に溶け消えた。
◇
それから、数日が過ぎた。
変わりのない、救いもない毎日。
日々のニュースと新聞で、時折事件を報じていたが、美奈子の意識には届かなかった。
「……行方不明?」
友人から、その話題を振られるまでは。
「そう」
ご丁寧に、新聞の切抜きを持ってきていた。理緒の様子は、いつもより深刻そうだった。
「んー」
あまり興味もなかったけれど、目を通してみる。
読み進むにつれて、はっと息を飲む。
その反応が、理緒にとっては予想通りだったらしい。
半月ほど前から、この八津代市で行方不明事件が立て続けに起こっていた。
三日前に、四人目。昨日で五人目。
年代は、下が十七歳で、四人目が年長で二十八歳。被害者に共通するのは――
引きこもり。
部屋に閉じこもったまま、外出した形跡もなく、突然として行方不明になってしまう。 家出、誘拐、諸々の線で警察は捜査を進めてはいるが――
「……!」
美奈子の中で、当然に兄に思い当たる。
「ねえ、みーなちゃん」
理緒も、彼女の事情は知っている。今日の話題は興味本位ではなく、心配からに違いない。
「……え? あ、ああ……怖いね」
気遣うような理緒の言葉に、我に返り、苦笑いを浮かべる。
「あ、ああ……一時間目、数学だったけ? 宿題、やってきた?」
無理矢理に話題を切り換える。
そこで、それは終わりにした。
――美奈子の兄が、行方不明になったのはその日のことだった。
◇
あてもなく、街中をとぼとぼと歩く。
目立つので、私服姿。
とても学校に行く気にはなれない。
無断欠席二日目の、美奈子だった。
ポケットの中でスマートフォンが鳴ったが、無視。
着信相手は、多分理緒だろう。昨日の夜から、これで何度目か。
わずらわしいと思いながら、スマートフォンを持ち歩いてしまっている。
自分でも、よくわからない。
空を見上げると、いつの間にか曇り空。今にも、雨が降りそうだった。春にしては、冷たい雨。気が付けば、小雨がぱらついていた。
傘を持っていないと気付いて、手近な雨宿り場所を探そうとして――
突然に、気が付く。
「……え?」
そこは、人気のない場所。
先ほどまで、にぎやかな駅通りを歩いていたはずなのに。
さびれた、廃ビルが目の前にあった。数日前、奇妙な少女と人語を解する猫がいたその場所であるが――もちろん、美奈子に知る由などなかった。
ただ、
声が、聞こえた。
楽しげな、ひどくなつかしい、声。
じんわりと、胸がうずく。気が付けば、廃ビルがより目の前に。その窓の向こうに、人影が見えた。
そして、足が動かない。
身体に、力が入らない。
「……な、何?」
動かそうとしても、言うことを利かない。利いてくれない。その場でくずれそうになり、いや、座り込んでしまう。
恐怖に駆られて声をあげそうになって――声に、ならなかった。
目の前に広がった光景。廃ビルのうら寂れからの、一転。
言葉を失った。
自分の目を疑う。
小学校の校庭。元気に駆け回っている子供達。
その中に、兄の姿があった。見間違えようもない、記憶にあるそのままの、小学生の時の兄だった。
誰かが蹴ったボールが、美奈子の足元に転がってくる。
「あ、ボール取ってください!」
小学生の兄が、声をかけてくる。
ずいぶんひさしぶりに聞いた兄の声。今とは違う、小学生だった頃の兄の声で。
美奈子は、目頭が熱くなる。
「……っ」
反射的にそのボールに手を伸ばした。
手が届くその瞬簡に、
「――みーなちゃん!」
肩をぐいっと引っ張られた。
「……?」
めまいがした。視界がぐるぐると転がって、校庭と廃ビルの映像が切り替わり、ごちゃごちゃになる。
「理緒?」
振り返ると、真っ青な顔をした友人がいた。
「――そっち行っちゃ駄目だよ!」
必死で叫ぶ声だけは、遠くに聞こえる。
耳がおかしくなっているのかもしれない。
「え?」
状況がわからない。混乱している間に、今度は足を引っ張られた。理緒とは反対側に。
足元には、ぼんやりとした影。
子猫のような、イタチのような。
咄嗟に逆らおうとしたが、無駄だった。自分を抱きかかえる友人ごと、そちら側に引きずられてしまう。
「……た、助け……!」
悲鳴をあげようとした時に、唐突に――割って入る。
軌跡を描き、足元のまとわりついていた煙のような何かに、ぶつかって爆ぜる。
その衝撃に軽くよろめいて、踏みとどまると――
光景は、元に戻っていた。