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みどりの日

作者: 土偶屋

 寒色(かんしょく)の空が少しづつ赤みを取り戻し始め、色濃くなった春が次の季節へと転じようとしている今を一言で例えるとすれば、それは“晩春”と呼ぶ他なかった。


 耳馴れた快活な声を背にして駅に向かう傍らでふと空を見上げると、太陽は今日も眩しかった。

 それは赤色、それとも黄色、いや人によっては白色か。何色でもいいが兎も角輝いていた。

 今では時代遅れの携帯電話(パカパカ)の液晶に表示された気温は摂氏25度。依然として上昇傾向にあるようだが、例の煩わしい(むし)のさざめきはまだ聴こえてこない。どうやらまだ開店準備中という事らしいが、もうじき昼夜を問わずに迷惑な大合奏を始めるに違いない。学生時分からの友人はあれを夏の風物詩と(のたま)っていたが、僕の務めが学業を(おさ)める事から税金を(おさ)める事に転じた今も、彼の言葉は理解できそうになかった。


 世間はそう、たしか連休の真っ只中だった。僕の部屋のカレンダーにも赤字で日付が刻まれている。最も、その直ぐ下に悪魔の二文字“出勤”が黒字で記されているのだが。

 人は(みな)、半年間溜めに溜め込んできた疲労とストレスを解消したがって山へ海へと繰り出しているそうだと、出勤前に見たバラエティ風ニュース番組で言っていた。愛妻家の友人は家族サービスに忙殺(ぼうさつ)されているようだったが、彼はそれが嬉しくてしょうがないらしい。それは僕にも覚えがあり、少し彼が羨ましくも、妬ましくもあった。


 いつもより遅れてやってくる電車は平常運転だった。

 朝の電車といえば、睡眠時間を犠牲にしなければ足を休められない。始発駅と終着駅の間に居を構えた僕にとっての世の(ルール)は、今日と言う日にあっても不変であるようだった。神様も随分とけち臭い、と思うのは流石に神様に失礼だろうか。


 会社に着いたのは始業時刻の1時間以上も前だった。

 休憩室でコーヒーを入れて休んでいると、僕から遅れること約10分後に出社した先輩社員が僕に向かって「俺より先に来られると立つ瀬がないな」と冗談交じりに言ってくる。入社し立ての頃、先輩は僕に対して“1時間前には出社しろ”と熱弁していたが、近頃はその熱も冷めてきているようだった。


 仕事を終えた帰りに贔屓の洋菓子店に寄ると、顔馴染みの店長さんが出迎えてくれた。「いつものですね」と彼が気さくに言うので、僕も微笑みを(たた)えて「いつものです」と返す。

 そうして、僕は帰路に就く。角を幾つか曲がるだけの通い慣れた道、1kmにも満たない短い距離が今日は長く感じられて、自然に歩調が速くなった。

 僕の家は変わることなく僕の記憶通りの場所にあった。緑色の三角屋根が特徴的な一戸建て、僕が“彼女”の為にローンを組んで建てた夢のマイホームだ。


 ――ただいま、みどり


 呟いて、僕は愛しの我が家の戸を叩く。

 耳馴れた快活な声が僕を迎え入れてくれる、その瞬間が僕は何よりも嬉しかった。

 今日は彼女の誕生日、“みどりの日”だった。

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