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最後にあなたに会いたくて

作者: タカノケイ

「あれ?」


 母さんの運転する軽自動車の助手席で、俺は思わず身を乗り出した。

 じいちゃんの葬式以来、二年ぶりに訪れた母の実家の風景に、なんともいえない違和感を覚えたのだ。すぐに、もみじの木がなくなっていることに気づく。

 何も変わらないように見える田舎の風景だからこそ、こんな少しの変化に気づいたんだろうか。俺はぼんやりと懐かしく、どこか寂しい風景を眺めた。


「もみじ、切っちゃたんだな」

「え? ああ、虫が入ったのかしらね、枯れたから切ったらしいわ」

「へえ」

「おじいちゃんが大事にしてたから、ついていっちゃったかねえ」


 ウィンカーを出しながら答えると、母は実家へと曲がっている小道に入った。

 母の実家は田舎の古いキュウリ農家で、車の入った小道の左側にはビニールハウスが何棟も並んでいる。一方、右手には一家で食べる分の、ナスやトマト、サトイモなどが植えられていた。

 その家庭菜園というには少々立派すぎる畑と家の間にある広い庭の片隅に、美しいもみじの木があったのだ。車を降りて玄関に向かう途中、切り株だけが残ったもみじに目がいった。瞬間、小さい頃の思い出のような妄想のようなものが脳裏を掠めて、俺はそっと目を閉じた。


「こんにちわあ」


 母の威勢のいい声に、それは鮮明な形を取る一歩手前で、霞になって消えてしまった。

 返事も待たずに玄関を開け、靴を脱ぐ母の姿に苦笑しながら「こんにちわ」とあとに続いて玄関に入る。廊下の奥から、伯母さんがエプロンの裾で手を拭きながら、小走りでやってきた。


「あら、修ちゃん、ひさしぶり。すっかり大人になって、東京は慣れた? お水美味しくないんでしょ? ちゃんと食べてるの?」


 久しぶりに会う伯母さんは、全く変わっていなかった。ニコニコとした愛嬌のある笑顔で矢継ぎ早に近況を尋ねた。


「お久しぶりです。はい、だいぶ。ちゃんと食べてます」

「そう、ゆっくりしていってね。あら? 隆則さんは?」

「来れないのよ、仕事で。明日もだって。これだから客商売はねえ」


 父について話しながら、廊下を歩く二人のそっくりな背中を見て歩く。母に続いて和室の奥の間に入り、これまた母に続いて仏壇に線香を上げた。入り盆らしく豪華な花が飾られ、きゅうりとナスで作った馬と牛、果物、箱菓子などが供えられていた。じいちゃんの遺影にそっと手を合わせる。俺は昔から「じいちゃんの若い頃にそっくりだ」と良く言われた。隔世遺伝というやつなのだろう。確かに写真の中のじいちゃんと俺はどことなく似ている気がする。

 娘ばかりで孫も娘で、俺が生まれた時にじいちゃんはとても喜んだという。あまりに喜ぶので父と母はじいちゃんの名前の修市から一字とって、修也と俺を名づけた。そんなこともあってか、俺はじいちゃんが大好きだった。誰に聞いたのか、妻を早くに亡くし、男手ひとつで三人の娘を育て上げたじいちゃんの事をとても良く知っている。何より、いつも穏やかで無口だが優しかった。


 和室に戻ると、お茶が用意されていて、再び伯母さんからの質問攻めにあった。大学はどうか? 彼女は出来たか? 寂しくないか? 俺はゆっくりと丁寧に答えていく。

 母親を早くに亡くした事もあってか、婿を貰って家を継いだ伯母さんと俺の母さん、東京に住むもう一人の伯母の三姉妹は本当に仲が良い。

 家から歩いても十五分ほどのこの家に、小さい頃から当たり前のように遊びに来て、二人目の母親のように面倒を見てもらっていたので、伯母さんの質問から素直に深い愛情を感じた。伯母もこの家も本当に何も変わってない。実際、カレンダーが違うくらいなんだろうが、時がゆっくりと流れている気がする。

 ふ、と鴨居にかけられた藍地の浴衣に目が行った。俺の視線に気がついた伯母さんが母をじっと見て言う。


「この浴衣なのよ」

「ああ、有紀ちゃんも亜紀ちゃんも着ないって言ったって?」

「そうなのよ、柄が古いとかいって」


 二人の話は驚くようなスピードで進む。要約すると、じいちゃんの三年忌をきっかけに蔵を片付けたところ、たくさんのガラクタに混じって反物が一反出てきた。和裁の得意な伯母さんが浴衣に仕立てたが、伯母さんの二人の娘、つまり俺のいとこ達が、気にいらないといって着ない、ということだった。


「ふたりともお盆は帰って来られるの?」

「有紀は出産が近いからやめておくって」


 伯母さんは肩を潜めて言うと、お茶の葉を入れた急須に湯を注ぐ。


「何言ってるの、こっちに戻って産むように、もっと強く言ったらいいのよ」

「言ったって聞きやしないわよ。亜紀はそろそろ着く頃なんだけど」

「えっ」


 俺は思わず声を上げてしまった。昔からこの家の次女、三つ年上のいとこの亜紀が苦手なのだ。就職してもしばらく実家から通っていたが、最近、ここから五十キロほど離れた都市で一人暮らしを始めたと聞いている。


「ただいまあ」


 玄関が威勢よくガラッと開く音がして、亜紀の声が聞こえた。噂をすればなんとやら、と笑いながら伯母さんが出迎えに行く。


「おおー修! 久しぶり! 元気そうだね! 東京はどうよー?」


 俺の返事も聞かずに、一気にまくし立てるところは相変わらずだが、髪が伸びたせいか亜紀はすっかり大人っぽくなっていた。

 東京という、ここからしたら大都会の話で盛り上がる。電車が五分に一本来るとか、バスに乗車券がないとかいう田舎者あるある話だ。


「亜紀ちゃんが浴衣いらないなら、私が貰おうかなあ」


 台所でお昼の準備をし始めた伯母さんと亜紀に、母さんが言い出した。


「本当? 盆の迎え火で焚いて、妙ちゃんにでもって思ってたのよ」

「勿体無い! あたしが着るわよ」

「そりゃ嬉しいわ。妙ちゃんには悪いけど、せっかく縫ったのに燃やしちゃうのもね」


 妙ちゃん、というのは、母さんの妹、じいちゃんの末娘だ。体が弱く小学校に入る前に亡くなったと聞いている。じいちゃんがそのことを、とても悔やんでいたことも。


「修、おばちゃんにあげて良いか、妙ちゃんに聞いてよ」


 台所でそうめんを茹でながら、亜紀は言った。はあ? と俺はわざと面倒臭そうに聞こえるように答える。また人をからかう気だ、亜紀には昔からバカにされた記憶しかない。


「小さい頃、よく遊んでたじゃない?」

「そんなん子どもの妄想だろ、あんま覚えてねえし」


 むっとして言い返す。自分ではあまり覚えていないのだが、俺は小さい頃この家で、いわゆる幽霊ってヤツと遊んでいた。


「でも初めて『妙ちゃんと遊んだんだよ』って言ったときはビックリしたわよねえ」

「そうそう! 妙ちゃんの事は、教えてなかったわよね?」

「また、じいちゃんが面白がって聞くもんだから」

「たえちゃんにてーちあげる、たんじょびてーちって」

「あったあった! この子カ行が言えなくてねー。亜紀ちゃんの事もあちたんって」

「可愛かったよねえ」

「今は可愛くないけどねえ」


 三人はそうめんを啜りながら、好き勝手なことを言ってゲラゲラ笑った。その話、何回目だよ……と思いつつ、これは、一番年下の役割なんだろう、と、ぐっとこらえる。何とでも言ってくれ、だ。俺はさっさと食べ終わると、三人に背を向けて横になった。


 妙ちゃんについて思い出してみようとする。

 かすかに残るイメージではその姿は高校生くらいだ。小学校入学前では絶対にないし、普通に歳をとっているのなら母さんより二つ下だから……当時三十歳頃のはずだ。

 幽霊は成長するんだろうか? そしてある程度から歳をとらないんだろうか? 


 そもそも、おばさんと母さんは人に笑われるほどそっくりで、写真で見た妙ちゃんも、明らかに血の繋がってる顔をしている。美人というのではないが、ふっくらした愛嬌のある顔だ。

 あの子は……もっと細くて美人だったと思う。

 でもまあ、子どもの美醜の感覚はあてにならないし、記憶が美化されてる可能性もある……男のサガってやつによって。


 一番覚えているのは、もみじの木の下から庭の小道の方を見つめている横顔。


 あ、この家に来た時に「妙ちゃんはいるかな」ともみじを確認するのが癖になっていたから、もみじがないという些細な変化に気がついたのかもしれない。


 気がつくと俺はもみじの木の前に立っていた。切られたはずのもみじは、まだそこにあって、目を凝らすと白い影が浮かんだ。顔も体もぼんやりと見えない。滲んで浮かぶそれは、泣いているようにも見えた。


「浴衣を……」


 影がつぶやいたところでハッと目が覚めた。どうやら三人のやかましい話し声を聞きながら、俺はうとうとしてしまったらしかった。


 時間は思ったよりも過ぎていて、夕刻近くなっている。


「どうする? 取ってくる?」


 亜紀が言っている。夕飯を外に食べに行く予定だったのだが、俺が寝ている間に、明日来るはずだったもう一人の叔母が到着した。母さんの車は軽だから一人乗れなくなってしまったのだ。

 伯父さんは自分の実家に盆の挨拶に行き、泊まる予定で酒を飲んでしまっているから、亜紀と母さんで行って、伯父さんの車を取ってこようか、それともタクシーを呼ぼうか、という話になっているのだった。


「俺ずっと寝てて腹減ってないから、四人で行ってきなよ」


 遠慮ではなく本当に腹は減っていない。


「でもそれじゃあ…やっぱ何か作ろうか? 」

「いや本当、まだ食べたくないし。後で食うから弁当でも買ってきてよ」


 でもねえ、伯母さんは渋っていたが


「明日、ご馳走作るからいいわよ」


 という母の一声で、俺は留守番になった。出かける準備をする四人に意を決して俺は話しかけた。


「あのー、浴衣なんだけどさ」


 なんと言えばいいのだろう、と考えて正直に話すことにする。


「妙子さんが欲しいって泣いてたよ」

「え……」


 四人は顔を見合わせる。


「まあ、夢なんだけど」


 俺は頭を搔きながら言った。我ながらロマンチスト過ぎて照れくさい。


「そうね……やっぱりそうしようか」

「あげるって言ったのに、妙ちゃんに悪かったわね」


 伯母さんと母はしんみりと、しかし優しく言った。亜紀も意味ありげに頷いて、何一つ、からかわなかった。


 じゃあ、留守番よろしくね、と去って行く四人を見送ると、俺は奥の間の仏壇に向かい、ライター掴んだ。そのまま鴨居にかけてある浴衣を外して持ち、吐き出し窓から縁側に出てサンダルを履く。


 家に近いと危ないかもしれない、と場所を探して、もみじの木のあった場所に移動する。妙ちゃんはよくここに立っていたから、ここが一番いいような気がした。


 何故か、俺一人でやりたいと思ったのだ。


 浴衣を地面に置いて、ライターで火をつける。木綿で出来ているのであろう浴衣には、驚くほど早く火が回り、あっという間に燃えあがった。目を閉じて手を合わせる。


「妙子さん、浴衣を受け取ってください」


 心の中で祈ってそっと目を開ける。


 そこには今燃やしたばかりの、藍地の浴衣を着た少女が立っていた。着た、といっても肩に羽織っただけだったが。


「修さん……」


「……楓が見えるんですか? 」


 少女は俺を見つめる。


 そうだ、思い出した。この子はかえちゃんだ。カ行の言えなかった俺はたえちゃんと呼んでいたのだ。薄れていた記憶が鮮やかに蘇る。


 かえちゃんはいつでも、この木の下でじいちゃんの帰りを待っていた。

 じいちゃんは畑から帰るとまっすぐやってきて、幹に手を当て枝を見上げていた。かえちゃんは嬉しそうに寄って行くのだが、じいちゃんにはかえちゃんが見えない。「修さん」と呼ぶ声も聞こえない。それでもかえちゃんはとても嬉しそうだった。


 俺にかえちゃんが見えるようになってからも、俺を介して二人が話すことはなかったと思う。ただ、お互いがお互いの事をとても嬉しそうに話した。


 ある日、庭の楓の木の下に女の子が居たこと。毎日一緒に遊んだこと。ある日突然、居なくなってしまったこと。


 ある日、見ているだけだった男の子が話しかけてきたこと。ある日突然、目の前にいるのに気がついてくれなくなったこと。男の子が何度も名前を呼んだこと。見えなくなっても毎日木の下に来てくれたこと。お嫁さんが来て次々と女の子が生まれたこと。一人で泣いているその人に何もしてあげられなかったこと。


「楓はもう何も見えなくなって。もうすぐ消えてしまうのだと思って」


 透き通るようなかえちゃんの声。


「ただ最後に修さんに会いたくて」


 かえちゃんは、じいちゃんが死んだことを知らないのだろうか。俺がじいちゃんに見えているのだろうか。あまりに嬉しそうな顔に、何も聞けない。


「そしたらぼうっと浴衣が見えて。修さんが楓の為に買ってくれた藍色の生地の」


 かえちゃんは袖をあげて、浴衣の柄を愛おしそうに見つめる。


「とてもあたたかいです」


 かえちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。


「すごく…似合ってます」


 俺はそれだけの言葉をやっと搾り出した。


「ありがとう」


 本当に嬉しそうな顔で零れそうに笑うと、ふ、っとかえちゃんは見えなくなった。


「かえちゃん」


 そこにはもう、楓の木はない。見えなくなったのではなく、もうかえちゃんは居ないのだ、ということが痛いくらいにわかった。


「あれ、一人で燃やしたの? 」


 突然の亜紀の声に、驚いて振り返る。ずいぶんと立ち尽くしてしまっていたらしい。


「おじいちゃんのもみじ、きれいだったのにねえ」


 母さんがため息のように、今はない枝を見上げて言う。


「ちがうよ、もみじじゃなくて楓なんだ」


 俺も、今はない楓の木を見上げる。


「楓の木なんだよ」



<完>

尊敬するなろう作家さんのホラー短編に影響を受けて書いてみました。

木に宿る幽霊・・・結果、なにこれ? ホラー(笑)


浴衣のくだりが微妙に実話です。

昔に先輩から聞いた話で…夢に亡くなった伯母さんが出てきて寒い寒いと毎晩泣くので着物を作って納めたら夢を見なくなった、という話だったような??


夢で着物が欲しくて泣く幽霊ってイメージが妙に心に残っていて書きました。


再編集したため、以前書いていただいた感想が消えてしまいましたので、以下に貼らせていただきます。


■橘 塔子さまより

「最後にあなたに会いたくて」


いやー、やられました。

何でわざわざ「もみじ」という呼称を使っていたのか(ふつうカエデって言うでしょと思ってました)気になってましたが、そうかそうくるか~。

小さい頃にカ行が発音できなかったという何気ない会話も伏線になっていて、唸らされました。哀しくて美しい話の中に、ミステリっぽい仕掛けが光る秀作だと思います。

田舎の親戚のリアリティもよかったです。


短編を書き連ねるのはアイデア勝負だと思いますが、これからも頑張って下さいね。


□タカノよりお返事


ありがとうございます~!


ああ、やっぱり気がつきますか!

大人なら楓だけど子供は「もみじ」でいいかなって押し切っちゃいました(笑)


楓を見た瞬間全部思い出すのもご都合だなって思いますし、難しいですねえ。


これは「花冷え」の木に憑いた幽霊、「真夏日の犬」の息子の帰省、にかなり影響されて出来てますのでここでお礼を・・・ありがとうございます!!


竜と人のファンタジーを今書いています。

合間に短編もがんばって挟んで行きたいです!


■美汐さまより


見事に騙されました!

こういう短編は、ひとつの話をぎゅっと凝縮しなければならなくて結構難しいですが、なかなかよくまとまっていると思います。

 現代ものも、よいですね!


□タカノよりお返事


感想ありがとうございます!


短編、難しいです。

書き終わってから不要部分を削って削って投稿する感じです。


まだまだなのはわかっていますが、まとまってると言っていただいて嬉しいです!

ありがとうございます♪

 

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