緊急推力
あれは何だ?
戦闘機が二機いる。たがあのトラクタは見たことがない。開発のペースが早い。
すれ違いに一機屠る。相手も撃った。軸線がシノタキに向いている。
だめだ、間に合わない。シノタキも機首を上げている。……が、如何せん遅すぎた。
一瞬。
パラパラと青い閃光が瞬いた。
シノタキ機に直撃。左端が吹き飛んでいる。
右に翼を上げて滑り降りていく。制御されているようなので安心する。
『被弾。ブレイク』
戦闘機爆装なしだから逃がしても危険は少ないからだ。
こういう判断を出来る奴は意外と少ない。最悪もたもたしていて味方の足手まといになる。
旋回を終える。向こうが翼を振った。面白い。振り返してやる。
真っ直ぐに突っ込む様に見える。だが二人共軸線をずらし合っている。
すれ違う一瞬、操縦悍を思い切りひく。
弾けた様に動き出す。ここまで綺麗に揃うことは少ない。
途中で逆に切り返す。相手の後上方の右。
ハーフ・バレルロール。
相手が減速した。エア・ブレーキか?
更にバレルロール。後ろにつく。
突然相手が機首を上げた。背中が見える。ストール?自殺行為だ。
撃つ。
突然機首を右に振って倒れ込んだ。上手い!
このまま機首を下げたら相手を越してしまう。
機首を上げて270度回り下を向く。大分離された。そのまま下がっていく。
相手も急降下。鳳流は軽い。速度制限も低めだ。相手はそんなこと無さそう。
地上が近づいてくる。相手はまだ起こさない。眠ってるんじゃないかと疑う。
相手の機首がふっと上がる。僕も操縦悍を引く。
スレスレ。低空飛行の何が一番怖いかって地上が近いからだ。谷の中に滑り込む。
翼がドンと言う音と共に突き上がった。乱気流?風が強い。
敵は凄い。こんな渓谷を潜り抜ける事が出来るのは一握りだ。
向こうに橋が見えてくる。
その下を抜けた。
撃つ。
駄目だ。
シノタキは今どこだ?
こういう見通しの悪い場所は嫌いだ。
向こうに滝。
あまり低くないが今の高度より高い。
上昇するのを待つ。
相手はまだ上昇しない。
根比べが好きな奴。僕は嫌いだ。
相手が傾いた。プロペラの反トルクだ。
アップ。
さらに引く。
内臓が下に押し付けられる感触。
背面に入れて水平に戻していた。僕も続く。
いきなり相手の翼が跳ね上がった。乱気流?いや、スナップ・ロールだ!
翼スレスレですれ違う。
右旋回、左旋回、もう一度右に振る。
右か?左か?
相手を騙し続ける必要はない。
相手をギリギリまで信用させる。
手を引いて、手招きして。
残念、後ろだ。
ディパーチャ。
最後の最後に裏切る。
敵機が目の前に。
撃とうとした瞬間、敵が跳ね上がった。
速い。ようやく本気を出すとか?
敵は低空巴戦に持ち込んだ。
90度旋回はできない。高度が下がるからだ。
敵の方が旋回性能が良い。やばいかも。
フラップを僅かに出す。
機銃弾はあるけど燃料があと十五分で帰還可能燃料限界。
相手はスロットルを上げた。まだ余裕があるのか?こっちはフルなのに。
仕方ない。スロットル・レバーの親指に当たっているカバーを押す。バネ仕掛けでパカッと開く。その中の黄色いボタンを押した。
緊急時最大推力。
主翼に皺が寄る。ちょっと危ない。
飛行機の寿命は長い。飛ばそうとしたら百年でも飛ぶだろう。旅客機の寿命が短いのは安全確保の為、戦闘機の寿命が短いのは古いのは役に立たないからだ。それにこういう機動を繰り返すからだとも言える。
我慢。
みしみしと嫌な音が聞こえる。
ここまでなら逆に切り返して逃げれる、と言うポイントを過ぎた。
次第に追い詰めていく。
相手が前面風防に入る。こういう時はやけにキャノピの金枠が太く見える。自分が相手を見ていないうちに全然別の方向に行ってないか不安になるのだ。
そんなことはなく、敵は前にいる。
翼は森を切りそう。
敵が一気に膨らむ。エア・ブレーキだ。
向こうはトラクタ。低速戦闘では分が悪い。
でも……鳳流は別。フル・フラップなら一瞬でけりをつけられるのなら、勝てる。
でも撃ち落とすのに一瞬は永い。
永遠より永い時間を超えて、
刹那にも満たない時を過ごし、
標準機の中に敵を捕らえ。
フル・フラップ。
キリタが改造しているから利きがいい。
急減速。
敵は旋回中。つまり、敵の前を撃たなければ当たらない。機首を少し上げなければいけない。
その少しをフラップで稼ぐ。
何も無い虚空に撃つ。
その射線に敵機が飛び込む。
ビンゴ!
敵は錐揉みに入った。その直後、左主翼が吹き飛んだ。
別にシノタキのお返しではない。僕が落とした敵の遼機だって敵の相棒で、もしかしたら僕なんかよりもずっといい奴かもしれないから。
だから僕は敵を尊敬する。
よく上がってきた。
よく立ち向かってきた。
戦争だって、他のスポーツと同じ。戦いあっていることは同じ。
ただ一つ違うのはフェアではないことと、死人が出ること。否、最初から殺そうと向かっていっているということ。
ただ相手の技量に感嘆し、
もう一度戦えないことを惜しみ、
ただそんなものどうだっていい。
今この瞬間を僕は飛んでいる。
今この空を僕は駆けている。
そして、相手を見、
向かい、
撃つ。
自分のできる中で最良のルートを選択し、
思う通りに飛び、
敵の弾を潜り、
敵の懐に飛び込み、
容赦なく打ち抜く。
怖くないかって?
今にも鉛の刃が僕を貫くかもしれない。
今にもこの飛行機が四散するかもしれない。
それでもいい。
それでもいい。
僕はただ飛べなくなるのかが怖い。
敵に殺される恐怖よりも、
このすばらしい世界にいられなくなるのが怖い。
死ぬのが怖いとしたら、
それは飛べなくなるからだ。
僕が敵を殺す理由。
僕が死なないため、
もう一度飛ぶため、
腕を上げて生き残って飛ぶため。
つまり、飛ぶために生きている。
それがある意味、鳥と違うところ。
鳥は生きるために飛んでいる。
僕は飛ぶために生きている。
食べ物は旨いものはあるけれど。
本だって面白い本はあるけれど。
でも、そのために生きよう、ってほどじゃない。
だけど……、
飛ぶためになら、生きていられる。
飛ぶためになら、生きていける。
上昇。
エンジン音は静か。これは静かになったんじゃなくて耳が慣れたからだろう。
風が翼を撫でて口笛を吹く。
綺麗な音。
人間の声よりは、
車の騒音よりは、
ずっと、ずっと綺麗な音。
進路は南南西。
巡航高度までまだあるけれど、背面に入れる。
上昇率が滑らかになっていく。
少しずつロール。
無線でシノタキが降りるのを確認。つまり、それだけ通信が使える基地近郊に来たということ。
もうそろそろランディング・ギアが危ない。
ショック・アブソーバも緩くなってきていたはず。