表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ねずみのひと

作者: らいく

  『ねずみのひと』




 リサのおうちのキッチンには、ねずみ取りが置いてあります。

 真ん中にチーズが置いてあって、それにネズミがつられると、しっぽを挟まれてしまうのです。



 「でもね、ママ。私、これは、とっても悪趣味だと思うわ」

 ある日の午後、ミルクを飲みながら、リサはママにそう言いました。

 「だってこれ、可愛くないし、とってもザンコクだもの。ねぇ、どうせならネコを飼いましょうよ!

  だって、ネコは可愛いし、ねずみはネコが嫌いなのよ。あっという間に逃げていっちゃうに違いないわ」

 つまり、結局のところ、リサは隣のエリカちゃんみたいに、可愛いネコが欲しかったのでした。エリカちゃんがネコを飼ってから、何かというとネコをおねだりするのが、リサの癖になっているのです。

 でもママは、絶対にイエスとは言いません。

 今日もハイハイと聞き流すと、リサにお留守番をさせて、買い物に出かけてしまいました。


 たったひとり残された家の中で、リサはつまらなそうに呟きます。

 「私も、ねずみ取りじゃなくって、ネコが欲しかったわ」

 リサは子ネコのことを思い浮かべながら、ひとりで喋り続けました。

 ふわふわで小さな子ネコが、空想のなかを、ところせましと元気にぴょんぴょんと跳ね回ります。目はくりっと丸くて、リサの宝物のガラス玉ようにキラキラに違いありません。

 「そうしたら、ダイナって名前を付けて可愛がるの。ミルクとお魚だって、ちゃんと毎日あげるんだから」

 とても楽しい想像でしたが、そんなリサの幸せを、聞き覚えのない声がさえぎりました。

 「やめときなよ、娘さん。

  ネコなんて、とっても自分勝手なものさ。ごはんと主人の顔の見分けが付かないくらいだよ。

  それでもネコの話をしたいっていうんなら、頼むから、せめて別の部屋で話してくれないかね?」

 リサはびっくりして、あたりを見回しましたが、どこにも誰もいません。

 「だあれ? どこにいるの?」

 「ここさ、ここ。あんたの足元さ」

 机の下を見ると、灰色の小さなものが動いています。

 それはねずみでした。

 小さなねずみは、しっぽをねずみ捕りにはさまれたまま、チーズを食べています。

 リサはびっくりして、目を丸くしました。

 「さっきの声は、あなた?」

 「ここに、俺以外に誰がいるんだね?」

 「だってほら、あなたは、ねずみでしょう?

 ねずみっていうのは、普通はそんな風に喋らないで、ちゅうちゅうって鳴くものじゃないの」

 「そりゃあ、普通はね」

 「じゃあ、あなたはどうして喋れるの?」

 チーズを食べ終わったねずみは、自分の手をぺろぺろと舐めています。

 そうして、すっかり綺麗にし終わってから、リサのほうを向きました。

 「あんた、不思議の国のアリスの絵本で、チェシャ猫の横に『このネコは小学校で国語を頑張ったので喋れます』なんて書かれているのを、一度でも見たことがあるのかい?」

 「ないわよ、一度も」

 「そうだろう。そうだろう。

  だから、ねずみが喋ることなんて、そう大したことじゃあないってことなんだよ。まぁ、気にしないことだね」

 確かにその通りかもしれないとリサは思いました。

 だって、今まで誰も、どうしてチェシャ猫や三月ウサギが喋るのかなんて、あたり前すぎて教えてくれませんでしたから。ねずみが喋るのも、きっとあたり前のことなのかもしれません。

 「そうね。確かに、そうかもしれないわ」

 「そうだろう。そうだろう。

  それで、どうして俺が喋れるのか、その理由だがね」

 リサはまた驚きました。だって、さっき言っていたこととまるで逆なのです。

 「教えてくれないんじゃないの?」

 「教えないとは言っていない。気にするな、と言っただけさ」

 リサはちょっと腹が立ちました。なんてあべこべなねずみなんでしょうか。理由を知りたがると、気にするなと言うくせに、気にしないことにしたとたん、理由を話し始めるなんて!

 けれど、リサは文句を言うのをガマンしました。だってもう、すっかり理由を聞きたくなってしまっていましたから、ねずみを怒らせたらいけないと思ったのです。

 リサの不機嫌なんか少しも気にせずに、ねずみはひょうひょうと言葉を続けました。

 「理由は簡単だよ。俺は前の前の時に、人間だったんだ」

 「前の前って?」

 「ねずみになる前の前さ」

 リサはちっとも意味がわからないので、首をかしげました。

 「あなた、最初はねずみじゃなかったの?」

 「違うね。もっとも、最初はなんだったかなんて覚えちゃいない。

  ただ、前の前が人間だったってことだけは確かなんだ。それより前はわからない」

 「どうしてわからないの?」

 「前の前の時に、人間だったからさ。娘さんだってそうだろう?」

 突然そんなことを言われて、リサはとても困りました。ねずみの言うことは、わからないことだらけです。

 「あんただって、人間になる前のことなんか、覚えちゃいないだろう?」

 「私は、最初っから人間よ」

 「そうかね。そうかもしれない。だがそうじゃないかもしれない。

  人間ってのは、覚えることが多すぎて、前の時のことなんて、ちっとも覚えておけないんだよ。aとeのスペルの違いだとか、9割る3が3だとかね」

 「私も、忘れてしまったの?」

 「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」

 まったくもって、あべこべであやふやでへんてこなねずみです。きっと人間だった時もそうだったに違いありません。

 でも、確かにその通りかもしれないとリサはまた思って、独り言のように言いました。

 「九九なんてちっとも大事じゃないけれど、覚えなかったらママと先生に怒られるわ。それに、4かける5を12だなんて言ったら、なんにもわかっていない子だと思われちゃうもの。

  覚えることがたくさんなのは、本当ね」

 「そうだろう。そうだろう。

  その点、ねずみは簡単なものだよ。チーズが好きだってことと、ネコが嫌いだってことだけ、わかっておけばいいんだからね。

  ああ、そうだネコだ。さっきも言ったけど、あんた、ネコの話だけは止めておくれよ」

 ねずみは短い毛を逆立てて、ぶるりと震えました。小さなハリネズミみたいです。

 「そんなにネコが嫌いなの?」

 「前の時からずっと嫌いだね」

 ねずみはきっぱりと言いました。

 「前の時って?」

 「魚さ。真っ赤な魚だった時からだよ。

  魚はよかったね。一番なにも考えなくてよかった。なにせ、人間がくれるものを食べていれば、それでよかったんだから。

  ところが、運の悪いことに、俺はネコに食われてしまったんだよ。ついてなかった、まったく」

 あんまりにも落胆した声を出すので、リサはねずみが気の毒になってしまいました。

 「それじゃあ仕方がないわね。ネコの話は、あなたのいないところですることにするわ」

 「そうしてくれると助かる。

  ところで娘さん。お願いついでに、もうひとつだけいいかい?」

 「なぁに?」

 リサはもうすっかりねずみに同情していましたから、他のお願いのひとつくらい、やってあげられることなら、聞いてあげようと思いました。

 ねずみは自分のしっぽを見ました。それは相変わらず、ねずみ取りの金具にしっかりと挟まれて、いかにも可哀想でした。

 「できれば、娘さんのお母さんに見つかる前に、この罠を外してくれないかね?」

 リサはホッとしました。そのぐらいのことなら簡単です。

 「もちろん、いいわよ」

 「それはよかった。俺はまだ、死にたくはないんでね」

 金具を外してあげようと手を伸ばした時、ある疑問が浮かんで、リサは訊ねました。

 「ねぇ。でも、もし死んでしまったとしても、また違う何かになるだけなんでしょう?

  それじゃあ、死んでしまうのも、そんなに大したことじゃあないでしょう?」

 「俺にとっては、たいしたことさ」

 ねずみは――はたして、ねずみに表情というものがあればですが――とても真剣な顔をして、ひと呼吸置いてから続けました。

 「だって、今度の時には、人間になってしまうかもしれないだろう」

 「人間にはなりたくないの?」

 「人間にはなりたくないね」

 ねずみがあんまりにもはっきりと言うので、リサはあっけに取られてしまいました。

 けれど、気を取り直して、なんとかこう言いました。

 「私は、人間だって、そんなに悪くはないと思うわ」

 「どこがだね」

 「だって、ええと、確かに算数は面倒だけど、詩の暗唱は面白いと思うわ。

  あなたじゃなくて、普通のねずみだったら、ちゅうちゅうと鳴くだけで、『キラキラ星』なんかちっとも歌えないじゃない。卵を食べながら、『ハンプティ・ダンプティ』が誰かを思い出して歌ったり、そんな楽しみもないなんて、つまらないじゃないの。

  それに、少なくとも、ネコに食べられちゃうことだけはないわよ」

 「ふむ」

 リサが罠を引っ張ると、ねずみのしっぽがするりと抜けました。ねずみはパタパタと、確かめるようにしっぽを振ります。

 しっぽには、挟まれた時についた、横にまっすぐな傷がありました。

 「確かに、ネコを怖がらなくていいのは、いいかもしれない」

 「そうでしょう」

 リサは得意げに言いました。

 「でもね、人間になると、もっともっと怖いものがある。人間になったら、いつだって、それに怯えなけりゃいけなくなる」

 「それって、なあに?」

 「時間さ」

 時間の何が怖いのかしら。リサは不思議に思いました。

 その時玄関から、ただいまという声が聞こえました。ママが帰ってきたのです。

 「じゃあな。ありがとう、娘さん」

 ねずみは近くの壁の隙間に、すばやく入り込みます。

 最後に、声だけが聞こえました。

 「そうだな。もっともっと後になって、人間のことも全部忘れる頃になったら、戻ってもいいかもしれない。

  『バラは赤い』がわからなくなるのは、少し残念だからね」




 その後、リサはネコを飼いたいと言わなくなりました。代わりに、ママにお願いをして、ねずみ取りを片付けてもらいました。

 それと、前よりもたくさん、詩を唄うようになりました。もし自分がねずみになった時にも、ちゃんと唄えるようにしたいと、そう思ったからです。

 そういえば、お魚になった時も、ちゃんと唄えるのかしら。水の中で唄うって、どんな感じかしら。

 リサは、ねずみに聞きそびれたことを、残念に思うのでした。



 それからしばらく経ったある日、リサは、エリカちゃんの家に遊びに行きました。なんと、エリカちゃんのネコに、子どもが生まれたというのです。

 飼うことこそは諦めましたが、ネコはやっぱり大好きなのです。ましてや子ネコだなんて!

 リサは喜んで見に行きました。

 まだ転ぶようにしか動けない子ネコたちが、母ネコのおっぱいをちゅうちゅうと吸う姿は、とても可愛らしいものでした。

 「あら?」

 その時ふいに、妙なものが目に留まりました。母ネコの餌箱の近くに、細長い何かが落ちています。

 あれは何かしら。

 しばらくそれの正体を探っていたリサは、口と目を大きく開き、「あ」と呟きました。


 それは、横一文字の傷がある、干からびたねずみのしっぽでした。





   おしまい

とりあえずジャンルを文学としてみましたが、いまいちよくわかりませんので、適切なジャンルがあったら教えてください。

それと初投稿のため、このサイトの傾向などはよくわからない部分がありますので、アドバイスなどありましたらよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ