カギヅメ
7月に入って、遂に俺もエアコンを解禁した。冷房では無く除湿モードだけど、それでもかなり涼しいし、湿度もマシになるから極めて快適だ。
2時間で止まるようにタイマーを設定して、大学のレポート課題を進めていると、ユイさんが背中にのしかかってきた。
「どうしたユイさん」
「かまって。最近、おねーさんばっかりかまってたでしょ」
「まぁ良いけど……」
パソコンを閉じ、少し身体を引くと、すぐにユイさんが脚の間に収まった。
「で? 俺何すれば良いの?」
「あたま、なでて」
「了解」
ユイさんの頭を撫でると、彼女は小刻みに震え始めた。
「何その反応……」
「きもちぃ……」
「そりゃ良かった」
ユイさん無表情だから、変な反応されるとちょっと怖いんだよな……。
そのまま撫で回し続けていると、アラームを鳴らしてエアコンの電源が切れた。時間が来たな。
「じきに暑くなってくるぞー……」
「やだー」
「俺もー。寒さの方がまだ耐えられる」
「さむいのもやー……」
「そうだな、ユイさんとハユリさんは寒さ駄目だもんな。暑いのも苦手?」
「あついのは……へーき」
「平気なんじゃん。しかし強いなぁ……ユイさんひんやりしてるから離れたくねー……」
「じゃあずっとだっこしてて?」
「ずっとは難しいかなぁ…………」
「やだ。ずっとかまってもらうの」
「許して」
「んー……」
腕の中でもぞもぞと暴れるユイさんを宥めていると、窓の方からノック音が聞こえてきた。ヨツバさんかな?
ユイさんを抱っこしたまま立ち上がり、カーテンを開ける。足元の方を見ると、予想通りヨツバさんと思われる小さなカラスがこちらを見上げていた。窓を開けると、カラスのまま部屋に入ってきて、テーブルに飛び乗ってから人型に変化した。
「危ないからやめてね?」
「やだ!」
窓を閉めながら注意したが、ヨツバさんはやはり言うことを聞いてくれない。それどころかその場で飛び跳ね始めた。
「やめなさい」
跳び上がったタイミングでヨツバさんを捕まえ、ベッドに下ろす。
「やめろー! はなせー!」
ヨツバさんは例によって手足をばたつかせ始めた。押さえ込もうと腕に力を込めたその時、突然目の前に綿が舞い上がった。
「……はい?」
思わずヨツバさんから手を離す。そのせいか、ヨツバさんは大人しくなって身体を起こした。
「……布団が…………裂けた?」
ヨツバさんが下りたベッドを確認すると、掛布団に一筋裂け目ができて、ヨツバさんが暴れた衝撃で中の綿が飛び出してしまっている。
「なんで……?」
ヨツバさんの方を見ると、服を手で払ってからこちらに鋭い視線を向けてきた。
「……ヨツバさんの手足は……その、何、何なの?」
そう尋ねると、彼女は一瞬きょとんとした表情を見せてから、急に自慢げなドヤ顔に変わった。
「ふふん、怖いだろ!」
「怖いっつーか、理解が及ばないっつーか……何したの?」
ヨツバさんは両手の指を爪のように曲げて、ポーズを決めた。
「これがあたしの必殺”カギヅメ”! 手足を振るとスパッと斬れるの!」
「わぁ…………」
そういえば、初めてヨツバさんがうちに来た日、モリヤさんは『ヨツバさんが俺を殺そうとしてた』って言ってたっけ。あれ、本当に可能だったってことか……。流石に野生動物は倫理観が違ぇや……。
「それに、必殺技はこれ一つじゃないんだぞ!」
「そ、そうか」
「そう! 食らえ必さ……」
ヨツバさんが腰を落とし、ジャンプの構えを取る。しかし、その姿勢のまま動かなくなってしまった。
「……ヨツバさん?」
「…………ぴ……ぴぃ……」
ヨツバさんが変な声を上げてへたり込んでしまった。彼女の視線を追って後ろを見てみると、天井からぶら下がったモリヤさんがすごい目でヨツバさんを睨んでいた。
「……今、家主を、狙った?」
「ぴっ! ち、ちがっ……や、ちがくな……っ、む、うぅ……」
モリヤさんが天井伝いに、少しずつヨツバさんへと近づいていく。右掌だけで天井からぶら下がり、粘液に覆われた尻尾をゆっくりと振りながら、その先端をヨツバさんの眼前に突き付ける。
ヨツバさんは怯えた目でモリヤさんの尻尾の先を見つめていたが、一瞬目を閉じたかと思うと、次に目を開いた時には、何か強い意志を宿した表情に変わっていた。
「おっ……おまえなんか、怖くないぞ!」
ヨツバさんが震える声で啖呵を切った。同時に、モリヤさんが尻尾を引く。モリヤさんの顔を見ると、驚いたように目を見開いている。
「モリヤさん、どうした?」
「家主……下がってて」
「いやそう言われてもなぁ……」
取り敢えずベッドに上がり、できるだけ壁際に寄っておく。
「ユイさんも危ないっぽいから、隠れておきな?」
「へーき」
ユイさんは首を横に振り、動こうとしない。
「……危なくなったら離れなよ?」
「へーき」
「いや平気では無いだろ……」
モリヤさんとヨツバさんの方に視線を戻すと、いつの間にかモリヤさんが床に下りている。あのひとの行動、全然音しねえな。二人は動かずに睨み合っていたが、ヨツバさんが先んじて動き出した。モリヤさんに向けてまっすぐ突撃。モリヤさんが振った尻尾を飛び上がって回避し、蹴りを仕掛ける。モリヤさんはヤモリに姿を変えて躱したが、すぐにヨツバさんもカラスに変化して後を追う。二匹の姿はテーブルの下に潜り込んで見えなくなってしまったが、翼のぶつかる音や、爪と嘴が当たるカツカツという音が、壮絶な追いかけっこの様子を想像させる。
数秒ほどして、人型に戻ったモリヤさんが飛び出して床に転がった。彼女が振り上げた尻尾の先端は、すっぱりと斬られて少し短くなっている。
「モリヤさん⁉ 尻尾……!」
「平気……! イモリの身体は、すぐ治るから……!」
モリヤさんは身体を起こしながら舌を長く伸ばし、テーブルの下から尻尾の破片を回収。そのまま丸呑みにしてしまった。
少し遅れてヨツバさんも這い出してきた。息が上がっており、右手を押さえている。
「うぅ……痛い……!」
「当然、でしょ…………! 私を斬るなら、毒液に触れないわけには、いかないんだから……!」
ヨツバさんが構え直す。彼女の右手の指先は、爛れたようになっていた。どちらもかなり痛々しい。
「ふ、二人ともそろそろやめた方が……」
「悪党はだまってて!」
「家主、平気だから、大人しくしてて……!」
二人から同時に諫められてしまった。
「……野生動物ってこんな血気盛んなの?」
思わずそう呟くと、下から伸びてきたユイさんの手が、俺の頬をぺちぺちと軽く叩いた。
「ど、どしたのユイさん?」
「おにーさん、たぶんちがう」
「何が?」
「『野生だから』、じゃ、ないよ」
「はぁ……」
「もりーはね、この家を守らなきゃだから、まけちゃだめなの。クロはね、つよいのが武器だから、まけちゃだめなの」
「雄々しいなぁ……ってか今ヨツバさんのこと『クロ』って呼んだ?」
「誰がクロだぁ! わぶっ!?」
ヨツバさんのツッコミと呻き声に顔を上げると、彼女は俯せに倒れてモリヤさんに背中を踏みつけられていた。二人とも肩で息をしていて、疲労困憊の様子だ。見ていない間にどれだけ激しい戦いを繰り広げていたんだ……。
「………………理解……できた…………? 四葉…………悪さ、したら…………私、が……承知…………しない、から…………」
モリヤさんの言葉に反応して、ヨツバさんが床に手を付き立ち上がろうとする。しかしモリヤさんに更に体重を掛けられて、その試みは失敗してしまった。
「んぐ……まだ、まけて、ないもん……!」
ヨツバさんはまだ諦めていないようだが、既に全身に力が入っていない様子だ。
「ふ…………二人ともさ、疲れたでしょ。怪我もあるし、もう終わりにしようぜ? また今度仕切り直せば良いだろ?」
提案すると、モリヤさんはヨツバさんから足を退けてその場にへたり込んだ。
「……あー、その、何だ。二人とも、食べたいものとか無い?」
声をかけると、二人が同時に鋭い目でこちらに振り向いた。
「「肉」」
まったく同時にそう返ってくる。ダメージに対してたんぱく質を求めるの、やっぱり野生動物だな……。
「了解しました……買ってきます…………二人とも息整えてな? ごめん、ユイさん二人のこと見てて」
「まかせて」
ユイさんのサムズアップを確認して、モリヤさんとヨツバさんの食料を手に入れるためにコンビニに向かった。




