復帰
ハユリさんがモリヤさんに触った結果右手を怪我してから、次に人型になったハユリさんを見たのは、事件から3日後のことだった。
モリヤさん――今日はモリイさんか、あのひとから詳しく話は聞いた。ハユリさんとユイさんには気を付けて接するように言い含めておいたから、多分あんなトラブルはもう起きないはず。
「長いこといなくなっててごめんなさい、恩人さん。もう治ったから大丈夫です!」
ハユリさんがそう言って見せてきた右掌は、たしかに爛れた痕が消えてすべすべの綺麗な肌に戻っていた。
「回復速度すごいなぁ……やっぱりクモだから? それとも人外娘の標準機能なのかね?」
「さぁ……」
ハユリさんでも分からないかぁ。この人外幼女たちがどういう仕組みの生き物なのか、謎が深まるなぁ。
「とにかくっ! 今日からまた引き続き、恩人さんのために悪い虫をやっつけます!」
「うん頑張れー」
「はいっ! それでは失礼します!」
ハユリさんは頭を下げると、廊下の方へ消えていった。少し時間を置いてから見てみたら姿が見えなかったが、多分クモ姿で見回っているんだろう。
何となくぼんやりと突っ立っていると、浴室のドアが半開きになっていることに気付いた。近づいてみると、モリイさんが顔を出していた。
「おはようモリイさん」
「……おはよう、家主」
モリイさんの後ろでは、巨大な黒い尻尾が小さく揺れている。手足は相変わらず鱗に覆われているし、こうして見ると『異形』感がすごいよな…………。
「……へいモリイさん」
「なに?」
「時間ある?」
「…………どうして?」
「ちょっとお喋りしようぜ」
「……うん」
部屋に戻り、モリイさんとテーブルを挟んで腰を下ろす。
「モリイさんも座って」
「うん。……何を話すの?」
「んー? んー……モリイさんについて、かなぁ……あ、何か飲む?」
「お構いなく……普段の食事で事足りてるから……」
「そっかぁ。そういや、食べ物は足りてる? ハユリさんやユイさんと取り合いになってない?」
「それは大丈夫。私は虫じゃないモノを食べてるから」
これは即答だった。言い淀みも無い。
「へぇ…………え、何食ってんの?」
「………………虫じゃ、ないモノ」
すげえ目ぇ泳がせるじゃん。よっぽど言いたくないんだろうか。イモリもヤモリも動物食だったはずだから、何かしらの生き物を食ってるとは思うんだが…………謎だな。
「……そういえば」
「……どうしたの?」
少し唐突だけど、気になっていた本題に入ることにする。
「モリイさんの鱗とか尻尾って、引っ込められないの?」
「無理」
「そっかぁ……」
即答か。やったことあるんだろうか。
「いやさ、ハユリさんやユイさんは蜘蛛脚出し入れできるからさ。モリイさんはどうなのかと思ったんだよ。そうか無理か……」
「あの二人は……特別だから」
完全人型の方が珍しいってことか。
「……あん? 何か詳しいな?」
「うん。理外のモノのことは、少し…………分かる」
「…………モリイさんって何者?」
「……愚物たちの無知のせいで混ざった、イモリとヤモリ」
『愚物』って……モリイさんって人間嫌いなのかな。俺自身は幸いにもそこまで嫌われてないと思うけど……いやちょっと不安になってくるな。
「その……何だ。不満や要望があったら言ってね?」
「うん。家主は聡き者だから……」
「それは良かった」
信じて良いんだよな? モリイさん、表情が読めないから微妙に不安になるんだよな……。
「まぁ、うん。少しは分かってきたかな。付き合ってくれてありがとう」
「うん。じゃあ……戻って良い?」
「ん、時間取らせて悪かったな」
「平気」
モリイさんはイモリに姿を変えて床に落ちると、そのまま廊下の方へ這いずっていった。
「……それで、ハユリさんは何してるの?」
扉の陰に隠れていたハユリさんに声をかけると、彼女は顔だけを覗かせた。
「えっと、ごめんなさい。盗み聞きを…………」
「別に内緒話でも無かったし良いんだけどね。何かあった?」
「いえっ! そんなことは……! わ、わた、失礼しますっ!」
「あ、ハユリさん」
ハユリさんが引き返そうとしたので、呼び止める。
「はぇっ?」
「今、時間ある?」
「まぁ……はい、ユイちゃんもいますから、少しなら……」
「じゃ、ちょっとお喋りしようぜ」
手招きすると、ハユリさんは少しその場で逡巡してから部屋に入ってきて、俺の膝の間に収まった。
「……そこ?」
「ユイちゃんにはいつもやってるじゃないですか」
「まぁ……分かったよ、これで良いよ」
「ありがとうございますっ」
ハユリさんは急に上機嫌になり、俺に体重を預けてきた。
「それで、恩人さん。どうかしたんですか?」
「んー? いや、ハユリさんの回復中、会えなかったからなぁ。ちょっと寂しくなっちゃってさ」
実際の心持ちとしては『寂しい』ってほどでも無いが、ハユリさんを構うためのただの言い訳だし、この際正確性は気にしなくていいだろう。
「はぇ……そんな、えへへ…………わたし、恩人さんにそんなに想われてたんですねぇ」
「まぁねぇ……」
ハユリさんはうちに初めて現れた人外幼女だし、何より善人だし。思い入れはそれなりにあると思う。そんなことを考えながら手慰みにハユリさんの頭を撫でると、彼女は小さく「ひゃあ」と声を上げて縮こまってしまった。
「……そういや、モリイさんってちゃんと食べれてそう?」
「はぇ? あぁ、それは大丈夫です」
「断言するじゃん。そういやあのひとって、普段何食べてるの?」
そう尋ねると、ハユリさんは身体を揺らしてうんうんと唸りながら考え込んだ末に、かなり言い淀みながらも答えてくれた。
「何か…………悪い…………モノ、です」
「実際に見たことはあるんだ?」
「はい……あれ何なんでしょうね?」
「いやその『あれ』を見てねえのよ俺は……まぁ、困ってないなら良いや。みんなのこと、全然分からねえんだもんなぁ……多分、これからもハユリさんを頼ることになると思うけど、その時はよろしくな?」
「はいっ!」
元気よく返事したかと思うと、ハユリさんはこちらに思いっきり体重をかけてきた。まぁハユリさん一人受け止めるくらいは何でも無いんだが。
「どうしたハユリさん?」
「んへへ……恩人さんっ、これからも頑張るので、代わりにたくさん甘えさせてくださいっ」
「んー? 良いよ、どうしてやろうか」
「……ひぇっ?」
ハユリさんが身体を捩り、こちらを見上げて硬直している。
「どうしたハユリさん」
「い、いえっ! ただ、その、恩人さんが思った以上に乗り気だったといいますか…………ほ、本当に、良いんですか?」
「勿論」
最近はハユリさんに構えなかったし、埋め合わせはしないとだもんな。
「それに、ハユリさんは構い甲斐があるからなぁ……」
「そうなんですか?」
「まぁねぇ。そもそも俺、ハユリさんのことかなり好きだからな。モチベからして違うもん」
善人で、努力家で、おまけに正体はクモと来た。改めて考えると、ハユリさんって俺の好きな要素詰め合わせみたいなひとなんだよな。着物も黒いし。黒いものはかっこいい。
「すっ!? おっ、おんっ、恩人さんっ⁉」
ハユリさんが上ずった声をあげ、俺の膝の間で身体を跳ねさせる。おかげで、彼女の頭で顎を強打した。
「痛てててて……ハユリさん大丈夫?」
「うぅ……頭が……ごめんなさい、落ち着きました……」
「何か、ごめんな?」
ハユリさんの頭頂部、今しがた思い切りぶつけた一点をさする。
「こちらこそ、恩人さんに抱っこしてもらってるのに急に暴れてごめんなさい…………あと、もっとなでなでしてほしいです……」
「んー? うん」
ぶつけたところをさすってるだけなんだが……まぁ良いか。




