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老猫は看取られたい②

 正午より少し前、腕の中で丸くなっていたおソラさんが大きく伸びをして、欠伸を一つした。

「どうしたおソラさん。おねむ?」

「”おねむ”てそんな、赤ちゃんじゃないんだから……そんなんじゃァないやィ。お兄ィさんがあったかいから気が抜けちゃったのさァ」

「そっかぁ……いやごめん」

 咄嗟に出たのが幼児語だったのは申し訳ない。おソラさん、年齢的には立派な大人だもんな。見た目と挙動のせいで完全に頭が『子供を見ている状態』だった。

「……そろそろ、お昼時だねェ?」

「え? まぁそうだね」

 おソラさんが頭を持ち上げて、窓の方を見た。釣られてそちらに目を向けると、窓ガラスがコツコツと外から叩かれる。音の感じからして、多分ヨツバさんなんだろうなぁ。

「ごめんおソラさん、ちょっと迎えに行って良い?」

「勿論さ。可愛い娘は多い方が楽しいからねェ♪」

「……なんで分かったの?」

「ン~……お兄ィさんの声色?」

「そっかぁ……」

 おソラさんには一旦膝の上から退いてもらい、窓を開けるとカラス形態のヨツバさんが勢いよく頭に突っ込んできた。鉤爪が頭皮に食い込んで結構痛い。

「痛たたたた……待ってヨツバさん」

 抵抗せずに言葉で宥めていると、ヨツバさんがいきなり動きを止めて人型に変化した。ちょうど肩車みたいな形になる。

「……おい悪党、ソイツ何だ?」

「え?」

 視界の端から伸びてきたヨツバさんの指が示す先には、テーブルに肘をついてこちらを眺めているおソラさんの姿があった。

「あー……あちらはおソラさん。ネコなんだって」

「ふーん」

 ヨツバさんは俺の背中を滑り降りると、おソラさんの横に腰を下ろしておソラさんの観察を始めた。

「んー? 何だィこの可愛いは? 随分と良い子そうじゃァないの」

「ヨツバさん。カラスなんだよ」

「へェ……利発そうなお子だァねェ……カラスちゃんや、アタシはおソラってモンだよ」

「うんさっき悪党が言ってた……わぁ近寄るな!」

 おソラさんがヨツバさんにのしかかり、ヨツバさんはそれを押し返そうとして力負けし、そのまま押し倒されてしまった。

「ねーェーお兄ィさァーん? カラスちゃんってば、お腹が空いたそうだよォー?」

「なっ……誰がそんな……!」

 ヨツバさんの否定の言葉は、彼女自身のお腹の音で打ち消された。

「……ヨツバさん?」

「うっさい!」

「食べ物献上するんで、大人しくしてくれない?」

 勢い良く顔を背けていたヨツバさんが、ゆっくりとこちらに振り向いた。経験上、こういう言い方をするとヨツバさんは言うことを聞いてくれる。

「お兄ィさーん、アタシもお腹が空いちゃったにゃぁー♪」

「はいはい。おソラさんは何食べたい? あと、食べられないものとかある?」

 ヨツバさんにあげる食べ物を吟味しながら、おソラさんに尋ねる。

「見ての通り、今のアタシは人の身だからねェ。食べられないモノは特に無いさ」

「そうなの? ハユリさんは結構食性クモ寄りだったけど……」

「ま、人それぞれってヤツだァよ。あ! けどせっかくだし、猫の身じゃァ食えないものを試してみたいねェ……最悪駄目でも、今日が命日なのは変わらないだろ?」

「んな不吉な……」

 近所のディスカウントストアで買ったチョコチップメロンパンの袋を2つ、戸棚から取り出す。

「取り敢えず、こちらをどうぞ」

 ヨツバさんに1袋、恭しく礼をしながら差し出し、ついでにおソラさんにも渡す。

「甘いの!」

 ヨツバさんは指先を軽く振って袋の端を切ると、中身を引っ張り出して美味しそうに食べ始めた。ヨツバさんは菓子パンか揚げ物をあげると特に喜ぶんだ。

「んふー……おソラのも切ってやる」

「ありがとォねェ」

 ヨツバさんがおソラさんの分の袋も切ってやっていた。たしかにおソラさんの言う通り、ヨツバさんは良い子だよな……。俺に当たりが強いのは十割俺のせいだし。

 ……さて、時間も時間だし、おソラさんのご飯ついでに、俺も昼飯にしよう。ネコが食えないものといえば……ネギ? あとチョコレート。そういやイカも駄目って聞いたことあるな。いやイカなんて買い溜めてないけどさ……。

 幸い、俺自身の好物だから長ネギは大量にストックしてある。蕎麦でも茹でようかな。

「じゃ、おソラさん。今お昼用意するから少し待ってて」

「んー? うん、ごゆっくりぃー」

 おソラさんの気の抜けた返事に会釈し、台所に向かった。



 鍋で湯を沸かしていると、おソラさんが台所に出てきた。

「ふぁ……お兄ィさん、暇だよぅ」

「おソラさん。何だったらお昼寝してても良いよ? さっきから眠そうだし」

 おソラさんはさっきから何度も欠伸をしている。ネコは夜行性だと聞くし、1日20時間近く寝ているなんて話もある。こんな真昼間に起きているのは辛いかもしれない。そう思って提案したのだが、彼女は首を横に振って腰の辺りに抱き着いてきた。

「寝てたらお兄ィさんはアタシに構えないだろ? どうせなら1秒でも長くお兄ィさんの愛を感じていたいじゃないか。…………それに……」

 何か続きそうだったけれど、おソラさんはそれっきり口を噤んでしまった。

「……おソラさん?」

「……あーあ、お兄ィさんが何分もアタシを放ったらかすから、寂しくなっちゃった! お兄ィさん、お詫びに撫でておくれ?」

 にんまりと笑いながら、おソラさんが顔を上げる。

「はいはい……料理中だからあまり構えないのは我慢してよ?」

「んにゃぁーァ♪」

 頭に手を置いてやると、おソラさんは目を細めて頭を押し付けてきた。

 それはさておき鍋の沸騰を確認して、蕎麦の乾麺を二束投入。全体がお湯に入るように菜箸で軽くいじくり回してから、タイマーで4分計り始める。一瞬鍋の前から離れて冷蔵庫を開け、半分になった長ネギを取り出してまな板に転がし、鍋の様子を再確認。菜箸で一度かき混ぜてから、ネギを刻みにかかる。

「お兄ィさァん、その白いのは何だィ?」

「ネギだよ」

「おネギさん? 美味しいのかぃ?」

「俺は好きだけどねぇ」

「ふんふん……」

 おソラさんは背伸びをして、まな板の上に溜まった刻みネギの匂いを嗅いだ。

「……ツンとするねェ……」

「食べてみる?」

「んぁ」

 おソラさんが大きく開けた口に、刻みネギを一欠けら放り込む。受け止めるためにおソラさんが伸ばした舌が、指をちらっと掠めた。ネコの舌はざらついているというが、おソラさんの舌はどうやらネコ寄りらしいな。何回か咀嚼した後、おソラさんは何とも言えない複雑な表情を浮かべる。

「…………シャキシャキするねィ」

「味はどう?」

「からい……人間はこれを好んで食べるのかぃ?」

「好きな人は好きだと思うよ。それに、単体で食べるものでもないし……」

「そうかぃ……お兄ィさんは大人なんだねェ……」

「どうだろうねぇ……」

 タイマーを確認すると、残り10秒を切っていた。

「ごめんおソラさん、熱湯扱うから少し離れてて」

「はァい。んじゃ、待ってるね」

「了解」

 鳴り出したタイマーを止め、流し台に出しておいたザルに鍋の中身を一気に空ける。流水で洗ってぬめりを落としながら冷やし、水を切ってからおソラさん向けに少なめに盛り付ける。仕上げに刻み海苔を適当に振りかけて……

「よし完成」

 海苔を振ってるから、たしかざる蕎麦だったはず。小皿にネギとワサビを添えて、ストレートの麵つゆを椀に注げば、なかなかご機嫌な昼食の完成だ。

「おソラさーん、ご飯できたよー」

 テーブルまで運ぶと、おソラさんはそれらを目を輝かせて観察していた。

「……? 何だか黄緑色のモノが添えてあるねェ?」

「ワサビ食べれる? 辛いやつだけど」

「からいのかァ……」

 おソラさんは小指の爪の先でワサビを少しすくい、ちろりと舐めた。

「……ツンとするねェ……目が覚めるようだよォ」

 箸を渡すと、おソラさんは器用にそれを使って蕎麦を食べ始めた。野良猫出身の割に随分と箸遣いが上手だな……。

「箸使うの上手いね?」

「にゃはは、身体と道具と標的が揃ってりゃ、どう動くべきかは分かるモンさァ。何せ長生きしてるからねェ」

 年の功ってすごい。そう思った。

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