老猫は看取られたい①
月曜日、朝7時過ぎ。いつものように大学に行く準備を整えていると、ユイさんが天井の蜘蛛糸ハンモックからベッドへ落ちてきた。
「……おはよ、おにーさん」
「おはよう……頭から落ちたけど大丈夫?」
「へーき」
ユイさんが身体を返して起き上がる。一つ大きく伸びをすると、ベッドの上から飛び降りた。
「ハユリさんは?」
「もうおきてる」
ユイさんが指差した廊下の方を見ると、廊下の天井に貼り付いているらしきハユリさんが、出入口の上から顔を出してこちらに手を振ってきた。
「おはようハユリさん」
「おはようございますっ! 今日も頑張りますね!」
「うんよろしくー」
ハユリさんに手を振り返してから振り返ると、ユイさんがゼロ距離に立っていた。
「うわっ、ユイさんどうかした?」
「おきゃくさん」
「客?」
「うん。もうきてる」
「マジで? 誰だろ……」
玄関の方に目を向けたのとほぼ同時に、ノック音が聞こえてきた。
「マジで誰だ? インターホン押しゃあ良いのに……」
応対しようと玄関に向かう途中、浴室の扉が開いて守井さんが顔を出してきた。
「…………家主」
「おはようモリイさん。どうした?」
「おはよう家主。……何でも無い。行ってあげて」
「え? お、おう……」
守井さんは再び浴室内に引っ込んでしまった。改めて玄関に向かい、一応ドアスコープを覗く。見たところ、視界内に人がいるようには見えないけど……。何だろう、ヨツバさんが趣向を変えて玄関から来たとか?
ひとまずドアチェーンを外し、鍵を開け、扉を開ける。
そこに立っていたのは、浴衣姿の白髪幼女だった。何か頭に猫耳も生えている。
「…………取り敢えず、上がってどうぞ」
「話が早くて助かるよォ、お邪魔するね、お兄ィさん♪」
まあ多分、ハユリさんたちの同類なんだろう。脇に退くと、彼女は軽い足取りで玄関に入り、下駄を脱いで廊下に上がって居室の方へ向かった。……そういや、履物履いてる娘は初めて見るな。
猫耳幼女は居室に入ってすぐのところで立ち止まり、こちらを見上げていた。
「取り敢えず、座って良いよ」
そう勧めると、彼女は座布団の上に正座した。
「それで? お嬢さんはどこのどなたで?」
「アタシはソラ。『天空』の『天』の方でソラだよ。気軽に”お天さん”とでも呼んでおくれ?」
『空』の方のソラじゃないんだ……。
「おソラさんね。やっぱりおソラさんはネコなの?」
「そ。見ての通りの野良猫さ」
そう言って、おソラさんは猫耳をパタパタさせた。
「それで、おソラさんは何があってうちに?」
そう尋ねると、おソラさんは姿勢を正してこちらの目をまっすぐ見つめ返してきた。
「こう見えてアタシはもう16でねェ……もちろん、ネコとしての生の時間さね」
「それはまた結構な……」
お婆ちゃん、という言い方は流石に失礼か。飼い猫と比べても相当長生きな部類だろう。
「くふふ、老体だろう? ”お婆ちゃん”と表しても構わないよ?」
考えを見透かされたようで少しどきりとする。
「……まァ。そんなわけでアタシももう長くないワケでさ。どうせ死ぬなら好きな人に看取られたいだろう?」
「え…………」
看取られに来たと?
「ってか待って、俺ら一応初対面だよな?」
確認すると、おソラさんは一瞬きょとんとしてから、からからと笑って答えた。
「だってお兄ィさんは”人間”だろう? アタシは人間が大っ好きなのさ。何せ、人間は猫をたくさん可愛がって、たくさん愛してくれるだろう?」
「……まぁ、否定はできない」
大抵の人間はお猫様が大好きなんだ。俺だって例外じゃない。
「……けど、人間なら俺以外にいくらでもいるだろうに……」
そう言うと、おソラさんはまた楽しそうに笑って言う。
「馬鹿言っちゃァいけないよ、お兄ィさん。『人の身を得た野良猫』なんて超常存在を受け入れてくれる土壌の整った人間が、そうそう居るもんかィ」
「……たしかに」
俺はハユリさんやユイさん、モリイさんにヨツバさんと経験値があるから良かったけど、普通に考えて、いきなり猫耳幼女に押しかけられて『老体の野良猫です看取ってください』と言われてすんなり了承ってのは難しいよな。
内心で納得していると、おソラさんが立ち上がり、俺の隣に移動してきて膝をついた。
「……というわけでお兄ィさん。多分今夜あたりが峠だと思うンだ。最期の一日、甘えさせちゃァくれないかい?」
「…………ちょっと待ってね」
「焦らすねェ……」
リュックサックからノートパソコンを取り出し、今日大学で受けるはずだった講義を確認する。……まぁ、一日くらいサボっても単位に支障は無いだろう。
「良いよ。今日一日よろしく」
「やったぁ!」
了承した瞬間、おソラさんが歓声を上げて抱き着いてきた。おかげで危うく押し倒されるところだった。
「短い間だけどよろしくねぇ、お兄ーィさん♪」
「……それで? 俺はおソラさんをどう甘やかせば良いの?」
膝の上に乗ってきたおソラさんに尋ねると、彼女は身体を伸ばして耳をぱたつかせた。顎の下を猫耳が掠めてくすぐったい。
「んふふ、お兄ィさんの好きにしておくれ? お兄ィさんが普通のネコちゃんを可愛がるように、アタシのことも可愛がってくれると嬉しいにゃぁー♪」
「ふーむ……」
たしかに猫は好きだが、本物の猫と触れ合う機会はあまり無かったから、正しい猫のあやし方が分からない。ハユリさんやユイさんにやる感じで良いんだろうか。取り敢えず頭を撫でてみると、おソラさんは頭をぐいぐいと押し付けてきた。上機嫌そうだし、これで良いらしい。
しばらく撫で続けていると、おソラさんの頭が動く気配があった。見下ろすと、こちらを見上げるおソラさんと目が合った。
「……な、何?」
「ン~……お兄ィさんの手、優しくて気持ちいいンだけどねェ……もうちょっと他の可愛がり方もされたいなァーって」
そう言うと、おソラさんは俺の手を避けてよじ登るように首の辺りに抱き着いてきた。
「ほら、ぎゅぅ~ってしておくれよ。ハグハグ」
「えー?」
言われるがままにおソラさんを抱きしめると、彼女の尻尾が手首をぺしぺしと打ち返してきた。
「え、嫌だった?」
「まさかァ。ご機嫌すぎてアタシの尾ッポが言うこと聞いてくれないのさ♪ もう少しそのままでいてくれるかい?」
「了解です……」
しばらくそのままでいると、不意におソラさんが耳元で「チッチッチッ」と舌を鳴らした。
「どうかした?」
「……ねェお兄ィさん? 当てっこ遊びをしようか」
「どうしたいきなり。まぁ良いけど……」
何をするつもりかと、おソラさんの言葉に耳を傾ける。
「……天井の隅っこでこっちを見てるあの黒い娘」
おソラさんの言葉に天井を見上げると、蜘蛛の巣に隠れるようにしてハユリさんがこちらの様子を覗いていた。
「ハユリさんのこと?」
「あの娘が、ここで『一番お姉さん』だろ」
たしかに、うちに現れた順番を問えばハユリさんが一番の古参だ。
「どぉ? 当たってる?」
楽しそうに尋ねてくるおソラさんに頷くと、彼女は心底嬉しそうにからからと笑って俺の頭を揺さぶってきた。
「うおぉ……でもなんで分かったんだ?」
「んふふ、そりゃァ分かるよォ。あの娘、アタシが部屋に上がってから一等パリッとしてたもの」
「……ぱり?」
「そ、パリッと。緊張感……ってのとも違うかな。ピンと張った糸みたような気持ちの良い気質を感じるねェ」
「そっかぁ……」
おソラさんは首にひっつくのを止めて腕の中に収まり直したかと思うと、大きく伸びをして、突っ張り棒みたいに俺の顎の下に頭を押し付けてきた。
「ねーェー、お兄ィさァーん」
「なーにー……?」
甘えるような声色で呼びかけてきたおソラさんは、俺の右半身側に身体をずらして腕に抱き着いてきた。
「……本当に何?」
俺の問いかけには答えず、おソラさんは天井のハユリさんに目を向けた。
「おーい、お姉ちゃァーん」
「え、わたしですか?」
ハユリさんがゆっくりと糸を伝って床に下りてくる。
「お姉ちゃんもおいでよォ。一緒にお兄ィさんに甘えようよォ~♪」
「は、はぇ⁉ そんな、おソラさんに悪いですよぅ……」
「気にしなさんなよお姉ちゃん♪ お兄ィさんだってその方が嬉しかろうよ♪」
「えっ、そうなんですか恩人さんっ⁉」
ハユリさんがすごい勢いでこっちに顔を向けた。何だか目も輝いているように見える。
「………………まぁ、うん。おソラさんとハユリさんが構わないなら、良いよ」
観念して左腕を開くと、ハユリさんが胸に飛び込んできた。そのままおソラさんに倣うように左腕に抱き着いてくる。
「お、恩人さんっ! わたしも撫でてくださいっ!」
「いや、両腕捕まってて無理……」
「あっ、そうですよね」
ハユリさんは腕から手を離して、胴体の方にぴったりひっついてきた。おソラさんも同じようにしてくる。
「ほれ、お兄ィさん。『両手に花』ってヤツだァよ」
「何かこの『花』外見年齢低くない……?」
「にゃはは、細かいことは言いっこ無しだよォ! ほら、擦り切れるくらいナデナデしておくれ?」
「…………分かったよ……」
結局、両の手でおソラさんとハユリさんの頭を一度に撫でくり回すことになった。ハユリさんがなかなか満足してくれなくて、10分くらいやってた気がする。




