悪友と口嘴
午後5時頃。カラス姿の四葉がアパートのベランダに到着し、いつものように窓ガラスを嘴で2度つつくと、やや遅れて静かに引き戸が開かれた。四葉は当然のように室内に飛び込み、人型になってから周囲を見回して違和感に気付く。
「……悪党?」
彼女の憎むべき天敵、康祐青年が見当たらない。ならば、誰が内側からあの窓を開け四葉を招き入れたのか。
「そろそろ、来る頃だと思ったよ……四葉」
真上から降り注ぐ声に四葉が見上げると、守家が右手と右足で天井からぶら下がり、見下ろしていた。
「あぁ、あんたか…………何ていったっけ?」
「守家。……今日はね」
「昨日は違ったの?」
「昨日は”守井”だった。明日もね」
「明後日は?」
「それは”守家”。……そういえば、あんたと殺し合った日も”守家”だったね」
「何、1日おきに入れ替わるの?」
「そう」
答えながら、守家は四葉の目の前に着地する。
「座ったら?」
「ん」
勧められて、四葉はベッドに腰かけた。
「ねえモリヤ、悪党はどこ?」
「……家主なら、まだ帰ってきてないけど」
「ちぇっ。懲らしめてやろうと思ったのに」
四葉は溜め息を吐き、そのままマットレスに横になった。意味も無く手足をばたつかせ、力なく大の字に広がる。その時、彼女の腹が小さく鳴った。
「何、空腹?」
「……飛ぶのは体力使うんだよぅ…………」
四葉は頬を赤らめ、身体を丸めて顔を背けた。
「外ってそんなに獲物いないの?」
隣に腰を下ろしながら尋ねてくる守家に、四葉は姿勢を仰向けに直して答える。
「いないことは無いけど……楽な餌場だってあるし……」
「……じゃあ、なんでそんなにお腹鳴らしてるの?」
「…………何でも良いでしょー」
目を逸らして答える四葉に、守家は一瞬思案してから呟いた。
「…………やーい狩り下手」
「なにをぅ! 別に失敗してるわけじゃないもん!」
「どうどう……」
勢い良く上体を起こして詰め寄る四葉を両手で制しながら、半歩分距離を取る。
「……ここに来るまでにお腹が減るんだよぅ」
「ふーん。それでいつも嬉しそうに家主に餌付けさせられてたんだ?」
「付けられてな、ぴきゃぁっ!?」
反射的に掴みかかった四葉の掌を、守家の皮膚をしっとりと濡らす毒液が焼いた。
「あーあー、不用意に触るから……」
「モリヤがぁー! 変なこと言うからぁー!」
掴みかかろうにも毒のために実行できず、四葉は所在なさげに腕を振り回しながら守家を責める。
その時、玄関の方から「がちゃり」と金属音が聞こえた。
「あ、悪党帰ってきた!」
四葉が跳ねるように立ち上がり、廊下に向けて駆け出そうとして硬直する。
「…………四葉? どうしたの?」
遅れて守家も立ち、四葉に近寄ろうとする。しかし、四葉が片手で接近を制した。
「……モリヤ。あれ、何?」
「いや、ここからじゃ見えな……っ⁉」
守家もその妖気に気付き、全身に緊張を走らせた。現在の角度では目視はできないが、今玄関から『侵入』してきたソレは、間違いなく”怪異存在”だった。
「…………四葉、退いて。それは私が殺すから」
「いやだから、あれ何なの?」
「……悪いモノ」
そう呟き、守家は頭を下げた低い姿勢で玄関へと続く廊下に向けて駆け出した。
玄関扉をすり抜けて内側に侵入していたのは、甲冑とも甲殻ともつかない体表組織に覆われた人間大の怪異存在だった。怪異は通常の人間よりやや長い首を捻り周囲を見回していたが、接近してきた守家に気付くと素早く両腕を身体の前に構え、盾とする。
守家は走る勢いのままに跳躍し、その慣性力を乗せて尻尾を叩き付けた。尻尾は怪異の構えた腕に衝突し、重厚な装甲に受け止められる。
(私の毒が、効かない……⁉ この装甲、『細胞』じゃない……?)
守家が着地するより早く、怪異は片手で尻尾を捕えようとする。咄嗟にヤモリに姿を変えてその手をすり抜けると、無事に床に落ちる。即座に人型に再変化し、一度後退して距離を取ると、怪異も合わせて1歩屋内に踏み込んだ。
「ねぇー、ソイツ何なのー?」
「下がってて! 私が何とかするから!」
背後から尋ねる四葉に、守家は声を荒らげて応じた。次の瞬間、後ろ髪を掴まれて守家の身体は一気に居室まで引きずり込まれる。その手の主は四葉だった。守家が振り向くと、四葉は髪を掴んでいた手を振り、毒の痛みを紛らわせている。
「っ……⁉ よ、四葉、私に触れたら手が……」
「へーき、さっきあんたを触った方の手だから今更変わんない。それよりモリヤ、あんたいつもボソボソ話してると思ってたけど、あんな風に大声出せるんだね」
「今そんなこと言ってる場合じゃ……」
守家が廊下に目を向けると、怪異存在は既に廊下の中ほどまで侵入を進めていた。
「ねぇモリヤ。なんでアイツ、あんたの尻尾で殴られても平気そうにしてるの?」
「……多分だけど、あいつの表面、『殻』じゃなくて『鎧』なんだ。カニみたいに表面も『細胞』なら私の毒で侵せたんだけど……」
「おっけー」
「……何が? 何を理解して了承したの? 四葉?」
再び「がちゃり」と金属音が鳴る。守家が廊下の方に視線を戻すと、怪異は既に居室入り口に片手をかけ、室内の様子を見回していた。
「この……っ!」
守家が怪異を攻撃しようと重心を下げたその時だった。彼女が飛び出すより早く、その真横を四葉が駆け抜けた。肩掛けを翼に変化させ、空中を加速しながら怪異の体幹部に飛び蹴りを放つ。その運動エネルギーに押され、怪異は仰け反るように態勢を崩し後退した。
たしかな手応えに四葉は小さく羽ばたいて滞空し、牙を剥くように笑う。
「遅いんだよ! 食らえ……”クチバシ”っ!」
続けて放たれた、『硬度』と『貫通力』を付与されたドロップキックが、怪異を直撃した。怪異は咄嗟に片腕を掲げて盾にしたが、四葉の一撃はその腕を易々と貫き、心臓部の装甲を打ち砕いて肉の層まで到達した。
「んひひ、貫いた……」
残った片腕で四葉を捕えようとした怪異だったが、落下しながらカラス形態に変化した四葉は空中を逃走して腕を躱し、居室側へ向かうと同時に守家が怪異の懐へ飛び込む。
「よくやった、四葉……!」
猛毒粘液を纏った尻尾の先端が、四葉の抉じ開けた風穴を貫いた。体内を通じて守家の『理外の存在を侵す毒』は一瞬にして怪異の全身に回り、柔らかな体内組織をぐずぐずと腐蝕崩壊させた。接続のための靭帯や筋肉に相当する器官を腐蝕されたことで怪異の外部装甲は部位ごとに分解され、床に散らばって動かなくなる。
守家が残骸を尻尾でつついて撃破を確認していると、その頭上にカラス姿の四葉が停まる。
『ふふん、あたしのおかげで殺せたんだから、感謝してよね。敬っても良いよ』
「…………うん、ありがとう。私だけじゃ勝てなかった。四葉は強いね」
『そうでしょー! あたしはカラスだからね、強いんだ!』
四葉は誇らしげに天を仰ぎ、改めて床に散った残骸を見つめた。
『……これどうするの?』
「食べる」
『食べるの?』
「うん、食べる」
『……食べるところ、ある?』
「丸呑みにするから平気」
『それ、平気な理由になるかなぁ……』
守家は舌を伸ばして残骸をパーツごとに飲み込んでいく。最後の一欠けらを絡め取り、口内に収めたところで、玄関扉が静かに開いた。
「ただいま……あれ、モリヤさんだ……ヨツバさんもいる?」
帰宅してきた康祐を、守家は目を丸くして硬直したまま見つめていたが、口に残っていた怪異の欠片を飲み込んでから、小さく頭を下げる。
「お、おかえりなさい……家主……」
「うん、ただいま。そういやクモの二人は?」
「…………映李先輩の方は、ベッド下に入っていくのを、見たけど…………」
「そっかぁ……ぐわっ!?」
靴を脱ぎ室内に上がろうとした康祐の顔に、カラスのままの四葉が飛び掛かる。止めようと手を伸ばしかけた守家は、一瞬静止し、天を仰ぎ、溜め息を吐いて手を下ろした。
「……まぁ、あの姿なら、間違っても殺しはしないか」
「ちょ、助けてモリヤさん!」
カラス姿の四葉と格闘しながら助けを求める康祐に、守家は親指を立てた。
「大丈夫……頑張って、家主」
そしてヤモリに姿を変え、壁を這い上り、居室天井のLED照明の陰に潜り込むと、電灯の熱に身体を晒しながら眼下の監視を再開した。




