浴室と二匹
「最近、随分と暑くなったよなー……」
5月も中旬に入り、最高気温が25度を超える日も増えてきた。膝の間に収まっていたユイさんに呟くと、彼女は背中を反らせてこちらを見上げてきた。
「そーなの?」
「うん。俺、暑いの苦手だからさぁ……しかしまぁ、ユイさんはひんやりしてるなぁ……」
「んー」
ユイさんはかなり体温が低い。変温動物だからか? ユイさんの掌がぺたぺたと俺の首や頬に触れるが、冷たくて気持ち良い。
「……ところでユイさん」
「なーに?」
「ちょっと退いて」
「やだー」
「風呂洗いに行きたいんだよ……ハユリさんに構ってもらいな?」
タイミングよく部屋に入ってきたハユリさんに手招きすると、ユイさんは近寄ってきたハユリさんに引っ付いてくれた。ハユリさんにアイコンタクトを取ると、小さく頷いた。
「はいっ、お任せください恩人さん!」
「うん。ごめんなー、すぐ戻るから」
二人を部屋に置いて廊下に出て、浴室の扉を開ける。
浴室の中に、幼女が立っていた。
「………………」
「………………」
無言で見つめ合う。突然の出来事に理解が追いつかずにいたが、ひとまず扉を閉めて深呼吸。
「………………?」
相変わらず頭の中は混乱状態。まずは状況を整理しよう。この部屋の浴室に、見知らぬ幼女が突っ立っていた。しかも、背中を向けてこちらを見返す姿勢ではあったものの、全裸で。
そして何より特徴的だったのが、両生類系の質感をした黒い尻尾と、両腕を覆っていた砂色の鱗。
「…………ハユリさんの、同類……?」
ハユリさんやユイさんのことはよく分かってないけども、あの二人が人型になれるんだから、他に人化できる小動物がいてもおかしくは無いよな。となると、俺一人でどうにかなる問題ではない。
「ハユリさぁーん!」
部屋の方に呼びかけると、すぐに駆け寄ってきてくれた。背中にはユイさんも覆い被さっている。二人とも来てくれたのは、まぁ好都合。
「どうしましたか、恩人さん?」
「何かハユリさんの同類っぽいのが風呂場にいるんだけどォ!」
「はぇ……同類?」
「うん、取り敢えず見てくんない?」
浴室を指差すと、ハユリさんは扉を少しだけ開けて隙間から覗き込み、静かに扉を閉めた。
「何か……いますね……」
「だろ? 尻尾あるし、ハユリさん達と同類じゃねーかと思うんだけどさ……ちょっと事情聴取頼める?」
「じじょ……?」
「ごめん。あの娘に話聞いてきてくれる?」
「はいっ!」
「……あぁ、あと一つ」
威勢よく浴室に突入しようとするハユリさんを引き留める。
「はいっ、何でしょうか恩人さん」
「……できればあの娘に、何か着せてやってくれない?」
「はぇ……分かりました」
ハユリさんとユイさんが浴室に入っていくのを見届けてから、扉を閉じた。
……そういえば、ハユリさんやユイさんは最初から服を着た姿だったよな。なんであの娘は何も着てなかったんだろう……。
15分くらい待っていると、ハユリさんがあの娘の手を引いて戻ってきた。幸いなことに、あの娘は簡素な白いワンピースを着ていた。あと、さっきは気付かなかったけど、このひと脚と首周りにも鱗があるな。
「恩人さん、連れてきましたよ! モリイさんです!」
「あぁそう、ありがとう……取り敢えず、座ってどうぞ」
件の娘――モリイさんがテーブルの対面に、ハユリさんがその隣に座り、ユイさんは俺の背中に回ってきた。モリイさんは眠たそうな無表情でこちらを見返している。
「えー……初めまして」
「ん……あなたがここの家主?」
「何とも言えねえ…………敢えていうなら、居住者?」
俺は部屋借りてるだけだしなぁ……。
「そう……今日の私はモリイ」
昨日はモリイじゃなかったんだろうか。
「……もしかして、こう書いて『モリイ』?」
手近な裏紙にボールペンで『守井』と書いて見せると、モリイさんは小さく頷いた。
「なんで分かるの?」
「まぁ、尻尾が思いっきりイモリだったから……モリイさんはアカハライモリか何かのひと?」
「………………うん」
モリイさんは目を伏せるように頷いた。しかしそうなると分からないことがある。
「へー……じゃあその鱗は?」
そう尋ねると、モリイさんがぱっと顔を上げた。無表情なのは変わらないが、さっきよりも目が大きく開いている。
「……変?」
「変とは言わねえけど、イモリに鱗は無いじゃんかよ。両生類だし」
突然、モリイさんが立ち上がった。テーブルのこちら側に回り込み、すぐ隣に正座する。
「え、何?」
「愚物……」
「何だぁてめえ」
「じゃなき者……!」
「ストレートに褒めてほしかったかなぁ!」
さっきより目が輝いているし本心からの賞賛だったのは分かるんだけどさぁ……!
「もっとこう……あるだろ? 『賢き』とか『聡き』とか、プラスの形容詞がさぁ……」
モリイさんは首を傾げてこちらを無表情で見上げる。
「人間は……愚物、だから……?」
「人間への偏見エグくない?」
モリイさんは目を伏せて、首を横に振った。
「人間が、家主みたいに愚物じゃなき者だったら……私が『こんな風』になってない」
モリイさんは両手を持ち上げて掌を広げて見せた。細かい鱗に覆われた彼女の両手は、指からその先にかけてひだ状の指紋みたいな模様に覆われている。
「いや家主じゃねえけどさぁ……」
モリイさんの指を軽くつついてから離そうとすると、彼女の指がそのままついて来た。……というか、指が離れない。くっついてる。
「モリイさん? 離れねえんだけど?」
モリイさんは何も言わず、無表情で俺の顔を見上げている。ユイさんも常に無表情だけど、モリイさんはまた雰囲気が違うな。何か目の下にクマもあるし、正直ちょっと怖い。
「いやマジで取れねえ……ヤモリか何かかよ……」
「うん」
モリイさんの即答。
「さっきイモリって言ってたろ……うわっ」
指が外れてくれたが、引っ張る勢いで危うく転びそうになってしまった。
「イモリとヤモリが違うの、分かるの?」
「いや普通に分かるだろ……両生類と爬虫類だぞ? ビジュアルもまるっきり違うし」
「…………やっぱり家主は愚物じゃなき者……!」
「だからもっとストレートに褒めてよ……」
モリイさんが再び立ち上がり、またテーブルの反対側に戻ってしまった。そして座り直し、背筋を伸ばしてこちらをまっすぐ見る。
「改めて、アカハライモリの守井。家主の水源を守らせてほしい」
「家主じゃねえけどな? ……水源?」
「うん」
モリイさんがまた立ち上がり、廊下に出て、浴室の前で立ち止まった。
「ここと……あと、そこ」
そう言いながら台所も指差す。たしかに水道の蛇口はある意味『水源』といっても良いかもだけど……。
「別に良いけど、多分ちょくちょく退いてもらうことになるよ? 風呂入る時とか、洗い物の時とか……」
「うん」
「あ、あと食えないものとかある? アレルギーとか食性とか……」
「それは大丈夫。食べるものは向こうからやって来るから」
…………ハユリさんやユイさんは虫食べてるから分かるけど、モリイさんも似たようなものなのかな? しかし、害虫駆除役が3人もいて、うちの害虫絶滅しないかな。いや、絶滅してくれるのは衛生上とても良いことなんだけどさ。3人の食うものが無いと餓死しない? 少なくともハユリさんは人間用の食べ物も好き嫌いあるとはいえ食べられるのは分かってるけど…………まぁ、時間のある時にモリイさんにもいろいろ食わせてみるか。
「それなら、うん。これからよろしくモリイさん」
右手を出すと、モリイさんは握手を返してくれた。
「よろしく。…………あっ、二つだけ」
「何さ?」
「手は、洗った方が良いと思う。イモリには、毒があるから」
「人型でも出るんだ、イモリ毒……で、もう一つは?」
「明日の私は『モリイ』じゃないから、よろしく。また明日、挨拶する」
「ふーん…………『守家』とか?」
適当に思いつきを口にすると、モリイさんの尻尾が大きく振るわれた。
「なんで分かるの?」
「だってヤモリっぽかったし……」
「やっぱり愚ぶ……聡き者……!」
「おっ、改められて偉いぞー」
モリイさんは浴室の扉を開けると、もう一度こちらを見上げてから敬礼してみせた。
「じゃ、家主。明日『守家』になったら、またご挨拶する……!」
モリイさんは手を振りながら浴室の中に戻り、扉を閉めてしまった。……そういえば、まだ風呂掃除してねえんだけど。早速で悪いけど、一度退いてもらわなきゃだなぁ……。




