第4話 雨宿りの倉庫で、美少女に“ずるいです”って言われた俺の気持ち、わかる?
「雨100%の週間予報で体育祭準備って、もはや拷問イベントだろこれ……」
終わった夏の暑さが未だ残る今日、俺は苦しみながらうめいた。
しかも先生らも『どうせ中止』って顔してんのに、生徒だけ働かせるとか、現代の農奴制か?
「じゃあ、このペアでお願いな」
体育教師が雑に指差したのは、俺と月森さんだった。
「えっ」
思わず出かけた声を飲み込む。
やるのは、玉入れカゴ運搬。
普通男子2名でやる作業だぞ……?
「はい、わかりました」
対して月森さんは、表情ひとつ変えず、静かに頷いた。
動揺、ゼロ。
いや、なんでそんな達観してんの。
そんな感じで始まった、玉入れカゴ運搬という地味な作業。
体育館の倉庫に、使わない備品を移動させる。
「それ、重くない? 俺持つよ」
月森さんが無言で、体育館の器具庫から玉入れカゴを片手で引っ張り出そうとするのを見て、声をかけた。
「大丈夫です……! 慣れてるので……!」
……言ってるそばから、腕、ぷるっぷるなんだけど!?
それ慣れてるじゃなくて、無理してるって言うんですよ!?
「無理しすぎ。そんなの、倒れたら普通に怪我するって」
思わずそんな言葉が出る。
この“無理してるのが普通ですけど? みたいな空気が一番こわい……!
「……すみません。じゃあ、お願いします」
月森さんが少しだけ目を伏せて、俺にカゴを渡した。
別に、重くはない。
けど、なんか……この子、たぶん一人で抱えすぎだ。
デートのときも思ったけど、“助けて”って言うの、苦手なタイプだろ。
玉入れカゴを運び終えて、ちょっと一息。
ふと月森さんがカゴを見て、首を傾げた。
「……脚立があった方が、置きやすいかもしれません」
「あー、確かに。届かんか」
カゴを置く場所は俺の背でギリギリ届くかどうかだ。
「脚立。奥にありますよ」
月森さんが脚立の側まで行って、手を伸ばす。
その瞬間――
「あっ!」
「うわ、危なっ!」
俺は思わず駆け寄って、彼女の腕を引いた。
ガタン、と脚立が揺れて、そのまま倒れそうになるのを支えながら、
月森さんの身体が、俺に倒れ込むように預けられた。
……わりとガチで密着ポジションなんだが。
「……す、すみませんっ!」
月森さんが慌てて身を引く。顔が赤い。
俺も思わず咳払いして、なんとか冷静ぶった声を出す。
「いや、あれ俺じゃなかったらマジで事故だって。反射神経ギリ合格点な俺に感謝してくれ」
「……ありがとうございます。本当に……」
月森さんは、まだちょっとドキドキしてるっぽい顔のまま、小さく頭を下げた。
そのタイミングだった。
――ポツン、と。
「……え」
外で、雨の音がし始めた。
次の瞬間には、ザーッと勢いよく音が広がる。
「……しばらく、ここにいた方がよさそうですね」
「だな。っていうか、急に降りすぎだろ、これ」
雨音が、屋根を叩くように鳴っている。
狭い倉庫の中、俺と月森さんは並んで腰かけていた。
さっきの脚立事件のせいで、少しだけ制服が湿ってる。
俺、濡れた制服で風邪ひいて看病されたい人生だった。
「……でも、さっきは本当に危なかったです。
ああいうの、慣れてなくて」
「普通は慣れてない方がいいんじゃないか?
こんな危険な事が頻繁にある人生は嫌だろ?」
「ふふっ……たしかに」
ふっと笑ったその顔が、
どこか子どもみたいで可愛らしかった。
「……でも、なんだか変ですね」
「何が?」
「こうしてると、ちょっとだけ安心するんです。
雨の音とか、誰かと話してる感じとか」
「俺、意外と安心できる男だったりする?」
からかうように言うと、月森さんは一拍置いて、小さく息をついた。
「……確かにそうかもしれません」
視線を逸らしながら、ぽつりとこぼす。
「なんだよそれ。褒めてんのか?」
思わず笑いながら聞くと、月森さんは少しだけ目を細めた。
「どうでしょう?」
その余裕のある微笑みに、またしてもやられる。
あー、ダメだ。それ、俺に効くやつだから。
思わず笑ってしまった俺に、月森さんも小さく肩を揺らした。
「でも本当に、家族以外の人に、こんなに強く“ありがとう”を感じてちゃんと口にできたの、久しぶりかもしれません」
マジか。俺、なんか人類の役に立った気がしてきた。
「おいおい、俺かよ。ありがとうの安売りする時代になったのか?」
「そうかもしれませんね」
そう言って、月森さんはまた、少しだけ微笑んだ。
その笑みは、どこか心細くて、それでいてあたたかかった。
しかし、真面目に考えると、
家族以外に強い気持ちで、ありがとうって言える機会もないほど、神崎に束縛されてるって事だよな?
……そう考えると、無邪気に喜べる話でもなかった。
「こういう時間、好きです。……神崎さんには、言えないですけど」
それはまるで、自分の気持ちに気づくのが怖いとでも言うような声だった。
外の雨音が、少しずつ小さくなっていく。
「……もうちょっとだけ、雨、やまないといいのに」
「そんなに、ここ落ち着くか?」
「違います。
ただ、今日は、ちょっとだけ居心地がいいんです」
「そっか。じゃあ、俺ももうちょっとだけ、ここにいたいかも」
それ以上、言葉は続かなかったけど。
その時間が、なんだかとても大事に思えた。
雲の隙間から、夕陽の気配が覗きはじめた。
「……戻りましょうか」
「ああ」
扉を開けて外へ出ると、地面はまだ濡れていたけど、雨はもう小降りだった。
並んで歩きながら、何も言葉はなかったけど、どこか、さっきとは少しだけ違う空気があった。
校舎の前。
分かれ際、月森さんが一瞬だけ立ち止まって、
くるりと振り返る。
「じゃあ、また」
小さな声でそう言って、
ほんの少しだけ、微笑んだ。
そして去っていった。
俺はまた歩き出しながらも、
まだ先ほどの月森さんの笑顔を思っていた。
――あの一瞬の笑顔で三日は戦える。できれば週またぎしたい。
◇ ◇ ◇
夜更け。
雨音が、静かに窓を叩いていた。
布団にくるまりながら、月森詩乃はスマホを握っていた。
画面には、無数の検索履歴。
《脚立 落ちた 支え方》
《倉庫 体育祭 怪我》
《体育祭 備品 倒れそう》
《抱きとめられたときの対応》
《好きじゃない人にドキドキした》
――そんな言葉たちが、整然と並んでいる。
自分でも、なぜこんなことを調べているのか、わからなかった。
でも、
彼に支えられたときのあの感触だけは、ずっと、腕に残っていた。
怖いはずの瞬間なのに、どこか安心してしまった自分がいた。
こんな気持ち、いつ以来だっただろう。
ダメなのに。
神崎さんが知ったら、きっと怒る。
……彼にバレたらどうなってしまうだろうか……
ふと、天気アプリが画面に表示された。
《明日も、雨》
その予報を見て、
心のどこかが、少しだけほっとした。
また、彼と過ごせる時間が出来るかもしれない。
そんなふうに思ってしまった自分に、胸が少しだけ痛くなる。
こんな気持ちは、いけないのに。
……でも、もし何も思ってないなら、こんなに検索しない気もする。
……わたし、どうしちゃったんだろ。
月森はそっと抱きしめるように、スマホを胸元に当てた。
画面の向こうには、数日前に撮った手を重ね合った写真。
削除できないままの、それ。
演技のはずだった。
嘘のふりをして、作った証拠のはずだったのに。
なぜかこの胸が、ほんの少しだけ熱かった。
月森は、目を閉じた。
雨音に包まれながら、願った。
――ほんの少しだけでいい。
次にあの人に会うときも、笑えますように。
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