第36.5話 幕間 スマホの履歴が、全部“恋”だった
幕間
恋を知った少女の、静かな夜。
◆ ◆ ◆
修学旅行から帰ってきた日の夜。
私は、布団に身を投げるようにして、そのままくるまった。
いつもの部屋のはずなのに、静かすぎて、どこか物足りなかった。
頭の中が、修学旅行の出来事でいっぱいになっている。。
――神社の裏手。
――ふすま越しの囁き声。
――2人だけの女子部屋。
――そして、旅館の裏で交わした、初めてのキス。
(……夢みたいだった)
体が、ふわふわしている。
足先から胸の奥まで、ぬくもりが残っている気がしてならなかった。
思い出すだけで、胸が熱くなる。
……あのとき、ふすまの向こうで聞こえた『詩乃』って声。
少しかすれていて、でも迷いのない優しい響き。
名前を呼ばれるたびに、心の奥まで届く気がした。
そんな気持ちのまま、私はスマホを手に取った。
画面を開くと、そこには――履歴。
《修学旅行 キスのあと 女子 気持ち》
《好きな人 キス 嬉しい 泣きそう》
《恋人じゃない人とキス 胸の鼓動 止まらない》
《彼氏じゃないのに 大好き》
《好きって いつ言えばいい?》
(……もう、なにこれ)
(こんなに検索して……完全に恋する女の子じゃない)
そんな自分が、恥ずかしいのに、ちょっとだけ嬉しい。
思わず自分の額をスマホでぺちっと叩く。
――痛くもない。
でも、顔が熱い。
直哉くんのことを考えるたびに、胸がぎゅっと苦しくなって、
でもその何倍も、幸せがあふれてくる。
……呼んじゃった。
“直哉さん”じゃなくて、“直哉くん”。
たったそれだけの違いなのに、口にしたとたん、胸がドクンと跳ねた。
――そして彼は、ちゃんと笑ってくれた。
ほんの少し照れたように。
でも、すごく優しい顔で。
私は、スマホを胸にぎゅっと抱きしめる。
(いいよって言ってくれたときの声……耳が覚えてる)
ふすま越しに聞こえた“詩乃”って声も、女子部屋でそっと差し出された手も、夜のキスも。
全部が、たった数日で、思い出になった。
でも、それはもう――一生分くらい、私の中で輝いていた。
ふと、また検索履歴を開いてしまう。
《“くん付け” 呼ばれたら嬉しい?》
《女の子から 名前呼び 変だと思う?》
《大切な人に触れたとき 震える理由》
《キスした時 胸がはじけそうになる》
(……まだ告白、してないのに)
言えないまま、修学旅行は終わってしまった。
だから今は――この余韻の中で、そっと“好き”を育てたかった。
(……キスの時の私、きっと顔、真っ赤だったな)
唇がふるえて、喉の奥がカラカラになったことまで、鮮明に覚えてる。
唇に残る、ほんの一瞬の熱。
夜風の中で感じた、直哉くんのシャツからふわっと香った洗剤の匂い。
思い出すだけで、また布団に顔を埋めたくなる。
でもそのくせ、思い出したい。
何度でも、あの時間に戻りたい。
「……直哉くん」
小さな声が、喉の奥でかすれた。
呼ぶたびに、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。
誰にも聞こえないように、ひとりごとのように。
「……また、呼んでいい?」
答えなんてないのに、鼓動が跳ねる。
“直哉くん”って呼ぶたびに、胸がきゅうってなる。
だけどそれが、すごく心地よくて――やめたくなくて。
(……もう、好きって、言いたくなっちゃう)
唇を噛んで、少しだけ涙ぐむ。
これが恋なんだって、また自覚した。
あの人に好きって仕方なく言ったこともある。
でも、こんな風に震えるような想いじゃなかった。
今のこの気持ちは、比べものにならないくらい、
ずっとずっと――大切で、切実で、あたたかい。
こんなふうに想っていいのかなって、まだ少しだけ怖い。
でも、もし許されるなら――このまま、好きでいたい。
(……この気持ちが嘘じゃないって、証明したい)
私はそっと布団から顔を出して、スマホを見つめた。
画面には、今も小さく光る文字。
《恋人じゃない人に、恋してしまったら》
――この気持ちを伝えたい。
――今度こそ、本当の言葉で。
(……怖い。けど、前に進みたい)
昔の私なら、こんな気持ち――怖くて、逃げていたかもしれない。
画面の明かりが、ゆっくりと暗くなる。
部屋には静寂だけが残り、私の胸の鼓動だけが、夜に溶けていった。
そのまま、私は目を閉じた。
明日も“直哉くん”と呼べますように――そんな願いを胸に抱いて。




