第34話 元カノの、あいつを破滅させる代わりの条件が重すぎた。それでも、俺の覚悟は――
旅館からある程度離れ、見晴らしのいい場所まで行く。
美咲との会話を誰かに聞かれない為だ。
――スマホが震えた。着信相手は美咲だ。
『もしもし』
「俺だ。美咲、何かあったのか?」
『……うん。……アンタ、神崎と揉めてるって言ってたよね』
「ああ……」
彼女が橋の上で泣いていたあの日、俺は確かに言った。
『なんで……あいつとやりあってるの……?』
相変わらず、美咲の声には覇気がない。
疲れ切っている。そんな印象を受けた。
「神崎に苦しめられてる子がいる。
その子を救いたいからだ」
『あの橋の時に言ってた好きな子かな。……名前聞いてもいい?』
「……月森詩乃だ」
名前は出したくなかったが、事実を告げなければ話が進まない気がした。
『あいつの本命彼女とはね……。
……神崎から奪ってでもだなんて……』
「奪う訳じゃない。
ただ、あいつから救いたいだけだ」
『そういう事言うの……ホント、直哉って感じだね」
美咲は苦笑した。
『橋の上の時のお礼、言ってなかったなって……。あの時の直哉にさ、本当に助けられたよ。……ありがとう』
美咲から感謝の言葉を聞くとは……。そんなの十年以上の仲でも、両手で数えられる程度だ。
よっぽどあの時、参っていたのだろう。……いや、美咲が変わったのもあるか。
「……それで? 今日掛けたのはその話だけか?」
『それだけじゃない。……アンタ、神崎と揉めてるんだよね? ――だったら』
美咲は、一拍置いて。
『私があいつを破滅させる証拠、持ってくるって言ったら、乗る?』
その声は震えていた。
「……本気で言ってるのか?」
『本気も本気。
あの橋の時、今の私なら直哉の味方になれるかもって、言ったでしょ? それがこの話』
……そんな証拠を美咲が手に入れられる? あの用心深い神崎から?
にわかには信じられない。
『……だけどね、神崎を破滅させる証拠を持ってくる代わりに条件があるの。それは――私が出すどんな条件にも直哉が応じてくれること……』
瞬間、神崎の言葉が脳裏に反芻した。
『あいつ、言ってたぜ。
“直哉とよりを戻したい……”、ってな』
――軽く、嘔吐しそうになった。
……だが、恐らく神崎と上手くいってないであろう美咲を考えると――それが最も現実的な話だ。
美咲と、また付き合う……?
想像するだけで頭が拒絶反応を起こした。
「どんなっ……具体的に何だよ……?」
『それは先には言えない。……ここまでの話だけで応じてくれるか否か知りたい……。
どんな無茶苦茶な事でも直哉が応えてくれるって知っておきたいから……』
美咲の口調は真剣そのもので、冗談や試す類で言ってるのではないと、長年の付き合いから分かった。
『――ねぇ……どんな条件でも呑むって約束出来る?』
美咲の声が耳に落ちた瞬間、息が詰まった。
美咲との記憶も容赦なくよみがえった。
支配的で息苦しかった日々、10年以上信じていた少女の醜い面を見せられる地獄。
そんな女と、もう一度付き合う? 本気で?
心臓が一拍、重く鳴った。
喉がひどく乾く。言葉にしたら、戻れなくなる気がした。
頭の片隅で、美咲の手が肩に置かれ、耳元でお願いという名の命令を囁かれたあの日々の感触がよみがえる。
胸の奥が、冷たくざらついたもので満たされていく。
吐き気にも似た嫌悪が込み上げ、それでも喉の奥で必死に押し殺す。
そんな話――俺には重すぎる。
――それでも、あの日、自分は誓ったじゃないか。
詩乃を必ず救うと。
なら、俺がどうなろうと構わない。
詩乃が笑って過ごせる日々こそが、俺にとって一番大事なことだから。
「――出来る」
はっきりと言った。
その瞬間、口の中が鉄の味で満たされたような気がした。
吐いた言葉はもう戻らない気がした。
だけど、詩乃を救えるなら、この重さも飲み込む。
それが、俺の選んだ覚悟だ。
『そう……それがアンタの答えなんだね』
美咲の声に少し安堵が混じった。
『直哉は相変わらず強いね……いや、昔よりも強くなった……?』
「……前にも言った通り、今は救いたい子がいるからな。
ただ、それだけだ」
気持ちが悪い……。覚悟を決めたとはいえ、まだ尾を引いている。
改めて、美咲がどれだけトラウマなのかよく分かった。
だがもう決めたことだ。
詩乃が助かるためなら、この決断に後悔はない。
『さっきの“出来る“って言葉……到底、普通の人が言える言葉じゃないね……』
「………。それより、早く条件を言ってくれ。どんな条件でも受ける」
『そうだね、言うよ――条件……』
「………」
生唾をゴクリと飲みこむ。
胃がキリキリしてきた。
そして美咲は――告げた。
『私が……神崎とやりあって――証拠を持ってくる勇気と覚悟を、私にちょうだい』
「……は?」
――あまりに、美咲が明後日の方向のことを言うので、一瞬、何を言わんとしてるのか分からなかった。
証拠をくれる代わりに復縁かと思ったら、求められたのはまるで精神論だった。
『私ならあいつを抑える証拠を手に入れられるはずなのに……。
私には直哉みたいな勇気も覚悟もないからさ……。怖気づいて……。結局何も出来ないまま……。
だから、どんな方法を使ってでも私に覚悟と勇気を出して……出来るんでしょ?』
――美咲の言葉を整理中。
「あの……俺とよりを戻したいって話は……」
『……何の話?』
「神崎が、美咲が俺とよりを戻したがってるって言ってたけど……」
そう言うと、美咲は呆れたようにため息を吐いた。
『あいつ、そんな嘘、直哉に吹き込むとか……クズすぎ……。
私がそんなこと、アンタに言える訳ない――いや、私ってそういう事言う奴だもんね……そりゃ、信じちゃうか』
徐々に思考が追いついていく。
――美咲の言葉にどっと安堵した。
胸の奥から、重しが外れたみたいに息が軽くなる。
――よかった……俺はもう、美咲の監視下で余生を送らなくていいんだ……。
……と、次の瞬間、込み上げてきたのは別の感情だった。
相当の覚悟をして美咲とよりを戻す決意したのに、神崎の野郎!!
俺、一生、美咲が作ったGPSタグをカバンに忍ばせられて、
玄関出るたびに『行ってらっしゃい』って電話が鳴るホラーな未来を覚悟してたんだぞ!?
俺の覚悟、返して!!
『……直哉、アンタってやっぱり、ホント馬鹿だよね……。
私と復縁してでも好きな子を助けたいなんて、言えるなんで……私なら、言えないな……』
呆れたように言う美咲の声に、少しだけ力が戻った気がする。
『でも……その馬鹿みたいな覚悟に、やっと私も背中を押されたんだ』
「えっ? ……それってつまり……」
美咲は、一拍置いて。
『私、手に入れてみせるよ。神崎を破滅させる証拠』
「ッ!?」
その言葉に心臓が跳ね上がった。
『……私も覚悟を決めたから。
アンタの覚悟を聞かなきゃ、絶対、あいつとやりあう気なんて起きなかった。
直哉の覚悟に触れて、私も勇気が出たからさ。
もちろん、復縁してなんて、頭のおかしな事は言わないから安心して』
その声には、迷いを断ち切った女だけが持つ硬さと熱があった。
「本気で言ってるのか、美咲……?」
『……今の私は、あいつに最も近い立場にいる。
それでも、普通にやったら絶対証拠なんて取れないけど、私だったら、ある方法が使えるから』
そこにはもう、後戻りする気配は微塵もなかった。
美咲の中で、何かが確実に切り替わったのが分かる。
……皮肉な話だ。
神崎の嘘を信じて俺が覚悟を示したことで、美咲まで変わろうとしている。
けど、もしそれで詩乃が救われるなら、この覚悟も無駄じゃない。
「なぁ、美咲……証拠って、何をどうやって手に入れる気なんだ?」
『……それ言ったら、アンタなら絶対止めるから内緒にしとく』
「じゃあ、今の美咲と神崎の関係が漠然としか分からないんだが、そこだけでも教えてくれないか?」
『ごめん……それも言うのは、直哉の性格的にまずいから止めとく』
「言えない事だらけだな……」
『ホントにごめん……』
昔と全く違うノリに俺は戸惑ってしまった。
「……信じていいのか?」
『うん、だから今は待ってて。
ちょっと時間かかるかもしれないけどね……』
『直哉のおかげでようやく決心ついたよ。
アンタの為にも、それに……その詩乃って子の為にも。
あいつを破滅させる証拠、手に入れるから』
以前の美咲からでは考えられない言葉だ。赤の他人の詩乃にまで気遣うなんて。
ほんの少しだけど、今の美咲を信じてみてもいいかもしれない。
「……無茶だけはするなよ」
『なるべくね……。
あ、できれば、証拠手に入れた時に信頼できる教師がいれば話が早いんだけど。アンタの学校にいる?」
「ああ、それなら心当たりがある。
雪村先生――うちの養護教諭が力になってくれるかもしれない」
まだ雪村先生と話し合った訳じゃない。
だが、先生ならば力になってくれると、さっきの神崎とのやり取りで信じられた。
『分かった……それじゃあ、神崎を破滅させる証拠手に入れたらまたLINEで連絡する。あと、最低でも一週間はそっちから連絡はしないで、神崎といる時に連絡来たらまずいから』
『ああ。分かった……。
あとさ、自分の身を最優先にして動けよ。今のお前、何だかあぶなっかしいからさ』
『……気持ちだけ受け取っておく……それじゃ』
最後にそう言い残して通話は切れた。
詩乃を神崎の魔の手からどう救えばいいか今まで分からなかった。
だけど、雪村先生や美咲との件で、ようやく解決策が見えてきた。
美咲から連絡が来るまでは、俺はまずは雪村先生に神崎の事を話そう。
そして、これ以上新しい情報は出ないかもしれないが、それでも尾行や柚葉と協力して神崎への対策はやれるだけの事はやっておこう。
――詩乃を救う為に。
……しかし、元カノと通話しただけで、詩乃に対して妙な罪悪感が残るとか、俺、ヤバない?
完全にバカップル未満の脳になってるだろ。
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