第24.5話 幕間 “詩乃”って呼ばれるだけで、幸せになれるんだって
幕間
恋する姉と、それを見守る妹の夜。
◆ ◆ ◆
月森詩乃と柚葉は、テーブルを挟んで夕食を取っていた。
「でさ、直哉とはどうなの?」
「ど、どうって?」
「“ど”を二回言った時点でもう怪しい。手は繋いだ?」
「う、うん。演劇の舞台でだけど、アドリブで……繋いだ」
「へぇー。あれ、アドリブだったんだ。意外とやるねぇ。
で、キスは?」
「っ……!」
「お、顔真っ赤。ってことは、してないな?
でも、したらどうなるかは想像してるでしょ~、ニヤニヤしちゃってさ〜?」」
「ち、違っ……!」
「違いません。表情が全部、物語ってます。
これは恋に落ちた女の顔ですな」
柚葉は腕を組みながら、得意げにうなずいた。
詩乃はもう、顔から耳まで真っ赤で、まるで味噌汁よりも湯気を出しているようだった。
「……でも、いいんじゃない?」
「え?」
「お姉ちゃんさ、昔は恋愛とか避けてたでしょ。
でも今は違うよ。お姉ちゃん、ちゃんと恋してる。
顔に書いてあるもん」
詩乃はうつむいたまま、箸の先でおかずをつついた。
「そっか。私、変わったかな……。
でも、直哉さんと一緒にいると、なんか、落ち着くっていうか
……ふわっとしてて」
詩乃は顔を染めながら囁くように喋る。
「“詩乃”って、呼ばれるのも……。
ちょっと優しくて、でも茶化したような声で言うの。
なんだか、名前を呼ばれるだけで幸せになって……。
あの言い方、ずるいよね……」
彼女は彼の声を思い出すように言った。
「この前、家に来た時、帰り際にね。少しだけ肩が当たって……。
あの時、ちょっとだけ……こ、こっちから抱きしめたくなったの……。
でも、そうしたら戻れない気がして……」
「さっきから糖度高すぎでしょ。
あーあ。今の録画しとけばよかったなー。
将来、落ち込んだ時に見せて、『昔のお姉ちゃん、超かわいい〜』って言いたかったなぁ」
柚葉はからかいながら笑うが、心の中では安堵していた。
重たい日々を過ごしていた姉が、
こんな、ぽわぽわした感想を口にする日が来るなんて――
「そんなに言わなくても……私、そんなに変かな?」
「うん。ていうか、ちょっとキモいぐらいニヤけてる」
「キモいって言わないで……!」
「褒めてるって。
今のお姉ちゃんめっちゃ可愛かったもん」
柚葉はにっこり笑ったあと、自分の茶碗を持ち上げた。
詩乃は、湯気の立つ味噌汁の椀を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「明日ね。演技じゃないデート、初めてするんだけど、
それを考えただけで、ずっと少しだけ心臓がドクドクしてて……」
その声は、誰に聞かせるでもないような、
でも隠したいほど照れてるような、不思議なトーンだった。
「変かな、こんなの。
私、直哉さんに、本当に恋してるかもまだわからないのに……」
柚葉は思わず、箸を持ったまま口を開けて固まった。
「お姉ちゃん……ここまで言っておいて、
直哉の事、どう思ってるかも分からないの……?」
「えっ? う、うん……。
私……やっぱり直哉さんに恋してるのかな?」
少し困ったように返す詩乃。
「ここまでのろけ話全開にしておいて、当の本人が無自覚だったとか……。
我が姉ながらドン引きだわ。
自覚しない系ヒロインでも目指してるの?」
「ちょ、そんな風に言わなくても……!
わ、私……恋、したことないから分からなくて……」
「それなら、明日デートなんでしょ。
だったらその時、じっくり考えてみれば? 恋なのかどうか。
そしたら、簡単に分かる事だからさ」
「うん……。ゆっくり考えてみる」
柚葉は呆れながらも、声色はどこか嬉しそうだった。
(……ほんとに、変わったな。お姉ちゃん)
ずっと、余裕なんてなかったはずの人が――いまは、直哉の事を考えただけで、笑ってる。
それだけで、どこか安心するような感覚があった。
そして柚葉はふと、真剣な顔つきになる。
「――でも、ね。なんかホッとした。
ちゃんと恋して、ちゃんと悩んでるお姉ちゃん見たらさ」
「……え?」
「……お姉ちゃんがあんな奴とずっと一緒にいた時、全然笑ってなかった。
私、あの関係……ほんとに怖いからさ」
詩乃は、少し驚いたように柚葉を見た。
「まださ、あいつのことは解決した訳じゃないけど、
直哉がいるようになっただけで、
お姉ちゃん、随分変わったよ。
ほんと、それ良かった……」
「柚葉……」
「もし、直哉がバカなことしたら、私が張り倒しに行くからさ。
……幸せになってね、お姉ちゃん」
「……ありがとう、柚葉」
「ま、これからも定期チェックするからね? ニヤけ度測定は妹の仕事だから」
二人の笑い声が、穏やかな夜のリビングに広がっていった。
食器のカチャリという音と、テレビから流れるCMの音だけが、静かに空間を満たしていく。
だけど――それが不思議と、心地よかった。
詩乃は、お味噌汁の椀をそっと持ち上げ、ふうっと息を吹きかけた。
その横顔を、柚葉はちらりと見つめる。
かつては、どこか遠くを見てるような、張り詰めた顔ばかりだったのに。
今の詩乃は、ちゃんと“ここ”にいる。
たった一人のことで、悩んで、照れて、笑って――
その全部が、姉としても、女の子としても、なんだか眩しかった。
――お姉ちゃんが幸せそうに笑ってるなら、それだけでいい。
たとえこの先、どんなことがあっても――
あの人が、お姉ちゃんの笑顔を守ってくれるって、なんだか信じられたから。




