第15話 俺たちは、あの瞬間――たしかに恋人だった。
文化祭二日目――そのメインステージ。
午前中の模擬店がひと段落した昼過ぎ、生徒たちの足が体育館へと流れ込んでいた。
袖の、薄暗いカーテンの向こう――俺は、出番を待っていた。
こんなに人前に立つなんて、人生で初めてだ。
それだけでガチガチになってたところに、隣から声がかかる。
「……大丈夫ですか?」
詩乃だった。
ヒロインの衣装に身を包んだ彼女は、いつもより華やかで――それでいて、少しだけ緊張した面持ちだった。
「あ、ああ……まあなんとか。詩乃は?」
「緊張はしてます。でも……がんばります」
目を伏せながらも、きゅっと小さくうなずくその姿は、まるで本物の女優みたいだった。
でもその直後、ふと、詩乃は顔を上げて言った。
「……あ、あの、本番の台詞なんですが」
「うん?」
「その……できれば、な、“名前”で呼んでいただけませんか…?」
詩乃は顔をほんのりと赤らめてそう言った。
「名前……? え、マジで“詩乃”って呼ぶの?
それ、破壊力すごない?」
「はい……
あ、いや、あの…!
そ、その……決して、私と直哉さんの関係を恋愛劇に重ねてるとか、そういうわけじゃなくて……!
ただ、その方が、リアリティが……あの……没入感が……っ。
……直哉さんに、“詩乃”って……舞台で…呼んでほしいとか、そんな……ことは……」
顔を真っ赤にして、早口でまくし立てた。
ここまで必死な詩乃は初めて見た……!
だけど、そこまで求められたら俺だって答えたい。
俺は、自然と笑ってうなずいていた。
「わかった。詩乃って、ちゃんと呼ぶよ」
「……あ、ありがとうございます…直哉さん…!」
詩乃は、ほっとしたように微笑んだ。
その笑顔を見ただけで、不思議と緊張がやわらいだ気がした。
詩乃曰く『他の演じる生徒には先に話してある』、との事なので問題もないだろう。
「じゃあ、そろそろお願いします!」
舞台袖の係が声を上げる。
俺と詩乃は目を合わせ、深く、静かに呼吸を揃えた。
(よし、いっちょ青春の主役ってやつ、演じてきますか…!)
ゆっくりとカーテンが開く。
拍手が湧き、ライトが当たる――
俺たちの恋物語が、今、始まった。
演劇が始まって、すでに20分。
緊張の波は、演じているうちに少しだけ消えていた。
観客の気配、ライトの熱、詩乃の声。
その全部が、自然に物語の中へと引き込んでくれる。
……そして、ついにクライマックスシーンがやってきた。
照明が落ち、舞台中央にスポットが当たる。
目の前には、詩乃。
ヒロインの涙を演じるように、彼女はそっと俯いていた。
「……どうして、戻ってきたの?」
詩乃の声が、観客の静けさの中に、ゆっくりと響いた。
(セリフだけど……言われると普通に刺さるやつ)
俺は、迷わず言葉を返す。
「詩乃のことが……今でも、好きだからだよ」
その瞬間、詩乃がびくりと肩を震わせた。
でも、それでも演技は続いていく。
「……やめてよ、そんなの……。
もう、私たち終わったはずでしょ……?」
「終わってない。少なくとも、俺の中じゃ一度も終わってないんだよ」
言いながら、俺はそっと、詩乃の手を取った。
細くて、あたたかい手。
その指先が、微かに震えていた。
たぶん、俺の手も同じくらい震えてるけどな。
そして――ここからは、俺の本当の想いだ。
「俺は……何があっても、詩乃のことを笑顔にしたい。
詩乃がどんな立場にいようと、誰の隣にいようと――関係ない。
俺の目に映ってるのは、詩乃だけだから」
台本のセリフを俺の言葉に変えて、詩乃へ告げた。
舞台の上なのに、自分の心臓の音が聞こえる気がした。
俺はすでに、決意を固めていた。
――本当は、もう気づいていた。
俺は――詩乃に恋してる。
普通なら、恋人のいる女の子にそんな感情を抱くのは許されないことだ。
でも、それ以上に思ってしまう。
『……このまま、神崎に任せておいていいのか』
気づけば、その言葉が口の中で転がっていた。
(俺は……詩乃を救いたい)
だけど――
今までの神崎の言動。
詩乃の口から聞いた、あのDVまがいの支配。
それを思い出すたびに、
俺の中に湧いてくるのは、どうしようもない怒りと――救いたいって気持ちだった。
倫理なんかじゃ、割り切れない。
もしそれが間違いでも、許されないことでも……
あんな顔を見てしまったら――
怯えて、縛られて、それでも誰にも頼れないって顔を見たら――
そんなの、もう見過ごせないだろ。
他人だとか、恋人がいるとか、そういうのは全部あとで考える。
せめて俺だけは、
誰よりも――俺だけでも、あいつの味方でいたいんだ。
たとえ、どれだけ都合のいい感情だとしても。
それでも、俺は――
今、俺が信じられるのは――
この胸の奥に、確かに灯った想いだけだった。
詩乃はしっかりと俺を見ていた。
迷いの色を浮かべた目で、それでも――逃げなかった。
そして、静かに口を開く。
「……そんなの、ずるいよ……そんなふうに言われたら――」
言葉が詰まりそうになったそのとき、
詩乃は、小さく笑った。
「……嬉しいって、思っちゃうじゃないですか……」
その声は、震えていた。
でも、その目はまっすぐに俺を見ていた。
「ありがとう、直哉さん。
……私、ほんとに……嬉しいです」
最後の台詞の後、詩乃がそっと俺の手を握り返した。
それは、台本にないセリフと動きだった。
「……俺こそ、ありがとう。詩乃」
俺も台本にない言葉で返す。
不思議と誰も止めない。
観客も、息をひそめてこの瞬間を見守っている。
沈黙。
そして、暗転。
舞台は静かに閉じていく――
体育館が大きな拍手に包まれる。
観客の拍手が遠ざかっても、手の中の温もりは消えなかった。
ただの演劇だったはずなのに、
俺たちは、あの瞬間――たしかに恋人だった。
※ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
演劇という台本の世界で、ふたりは本音を交わしました。
文化祭編はこれで中盤のクライマックスを迎えましたが、
この後――詩乃と神崎の関係、その本当の姿が明かされます。
ぜひ、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
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