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To be continued  作者: 綾瀬大和
国内線編
2/50

第2話ぶつかる理由

第2話ぶつかる理由


 翼を動かす風はまだ冷たく、春の終わりを引きずっていた。

 羽田のJAL訓練センター。午前6時50分。

 訓練生用の控え室に入った桐谷隼人は、壁際の椅子にバッグを置き、黙ってコーヒーの缶を開けた。


 「今日もやるだけっすね」


 自分に言い聞かせるように、小さくつぶやく。


 昨日の訓練では、教官・佐久間の指導中に、隼人は言い返してしまった。

 「その判断、現場では遅いですよ」と。

 正直なところ、言い方がまずかったとは思っていない。だが、空気が変わったのは明らかだった。


 案の定、控え室の中でも視線は微妙だった。


 「おはよ、桐谷」

 同期の柳瀬悠人が入ってくる。髪をきちっと分けた彼は、訓練生の中でも成績が安定しており、教官からの信頼も厚い。


 「昨日……またぶつかったんだってな」

 「まあ、納得いかないことは納得いかないっすから」

 「でもな、教官に正論ぶつけたって、実機じゃ誰も助けてくれないぞ。チームで動くって、そういうことだろ」


 隼人は缶を机に置き、視線を窓の外に向けた。

 「……わかってるっす。でも、自分だけは譲っちゃいけないってときもあるっしょ?」


 柳瀬はため息をついて、隼人の隣に座った。

 「その“譲れない”が全部自分の中だけで決まってる限り、お前は一人で飛ぶことになる」


 言葉は重かった。だけど、それをはね除けるほど、隼人の心はまだ熱くて、強情だった。


 午前8時。訓練開始。

 今日はシミュレーターでの「緊急事態対応訓練」──航空機トラブルを想定した操縦練習だ。


 シミュレーターのコクピット内には、隼人と教官、もう一人の訓練生・高梨が入った。


 「今日は複数トラブルが発生する。焦るな、判断は冷静に。クルー間のコミュニケーションを最優先に」


 教官の佐久間が簡単な説明をした後、訓練が始まる。

 B787のシミュレーターは、リアルそのもので、まるで本物の空に浮いているかのような臨場感がある。


 離陸。巡航。順調に見えたが、異常警報が鳴る。


 「エンジン火災、左エンジン!」

 「了解。エンジンカットオフ手順に移行します」

 「ちょ、待て。桐谷、状況確認してからだ!」

 「いや、確認してる暇ない! 火災が拡大してる!」


 隼人は即座にレバーを操作し、左エンジンを停止。だが、対応が早すぎて、他の操作との連携が取れない。


 「フラップダウン早すぎる! 揚力下がってる、これは危ない!」


 コクピット内が混乱する。結局、シミュレーター内での機体は失速し、緊急着陸不能という「シナリオ失敗」となった。


 訓練後のブリーフィング室。

 空気は、重い。


 「……桐谷。お前の判断、たしかに火災対処としては間違ってない。ただし、クルーと意思疎通せずに勝手に進めた操作は、現場では“暴走”とみなされる」


 佐久間教官の口調は冷静だが、明確だった。


 「火災より怖いのは、クルー間の意思の食い違いだ。飛行機は“個人”で飛ばすものじゃない。何度言わせる気だ」


 黙り込む隼人。言い返したい気持ちもあったが、今はただ飲み込むしかなかった。


 訓練生控え室に戻ると、また柳瀬が待っていた。


 「……大丈夫か」

 「まあ、やっちまったっすね」

 「お前って、正義感だけで飛ぼうとしてないか?」


 隼人は机に突っ伏したまま、答えなかった。


 「俺も昔はそうだったよ。自分が一番正しいって思ってた。でもな、空は一人じゃ飛べねぇ。指一本分でも、操縦がずれれば大事故になる。だからこそ、“信頼”が大事なんだよ。コクピットは、孤独じゃない」


 柳瀬の言葉が、初めてスッと心に入ってきた。


 その夜、寮の一室。

 隼人はノートを開いて、いつものように操作手順を書いていた。だが、その横に、いつもと違う文字を残した。


 「空はひとりじゃ飛ばない」

 「信じる、聞く、任せる」


 それは、彼にとって初めての「妥協」ではなかった。

 空を飛ぶという夢に、さらに一歩近づくための、「変化」の兆しだった。


 深夜、訓練センターの屋上に立ち、隼人は空を見上げた。

 羽田の上空には、定期便が星のように光りながら飛んでいる。


 「あそこに行くまでに……変わらなきゃなんねぇのは、俺か」


 そして、彼はひとつ、心に決めた。


 「ぶつかるだけじゃ、空には届かねぇ」


 明日からは、もっと周りの声を聞こう。もっと、信じて飛ぼう。

 自分だけじゃなく、チームで飛ぶ――その意味を、少しずつ理解し始めていた。


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