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To be continued  作者: 綾瀬大和
国内線編
17/50

第17話国際訓練にて

第17話「国際線訓練にて」

2021年春。羽田空港の国際線ターミナルに、ひとりの男が立っていた。

白の制服に身を包み、黒のジャケットを腕にかけたその男は、まぎれもなくJALの機長、桐谷隼人――27歳。かつて数々の試練を乗り越え、今や国内線の主力パイロットとなった若きエースだ。


この日は特別な日だった。ついに、桐谷が「国際線への訓練移行」を開始する日。そして、その訓練初日を担当するのは、彼が副操縦士だった頃に絶対的な信頼を寄せていた“師匠”――佐久間貴志キャプテンだった。


「……もう、2年になるのか」


桐谷は国際線搭乗者用の控え室の窓際に立ち、ゆっくりとつぶやいた。

あの冬の日、B787で那覇行きの途中、エンジン火災が発生し、羽田に引き返した初のトラブル対応。さらに、宮崎空港でのギア破損による緊急着陸と、数々の修羅場を潜り抜け、国内線での機長昇格までこぎ着けた。そのすべての基礎を築いてくれたのが、佐久間キャプテンだった。


「おう、久しぶりだな。2年も経つなんて思えないな」


控え室のドアが開き、低く落ち着いた声が響く。

振り返ると、変わらぬ鋭さと優しさを湛えた眼差しの男――佐久間貴志(JAL国際線機長・44歳)がそこに立っていた。


「佐久間キャプテン!」


思わず敬礼しそうになる桐谷を見て、佐久間は肩を叩いた。


「そんなに固くなるな。お前はもう、立派な機長だろ。……それにしても、まだ2年目なのに胴体着陸やエンジン火災の対処をやりきって、国内線の機長に昇格したって聞いたときは、さすがに驚いたよ」


「……ありがとうございます。でも、正直、あの時は――怖かったです」


「怖いと思えるのは、ちゃんと自分の命だけじゃなく、乗客の命も預かっているってわかってるからだ。それができるから、お前は立派なんだよ」


佐久間のその言葉に、桐谷は一瞬、何も言葉が出てこなかった。機長になってからは、後輩に教えることも増えたが、自分が教わる側だったあの頃を思い出し、胸の奥が熱くなる。


「国際線での初訓練、緊張してるか?」


「……はい、少しだけ。でも、佐久間キャプテンが一緒なら、きっと大丈夫です」


「そうか。それを聞いて安心した。今日の訓練機は、成田発・バンコク行きの回送便だ。実戦じゃないが、すべての手順は本番と同じ。副操縦士として入ってもらうが、途中の主操縦権はお前に預ける」


「了解です。全力で務めます」


佐久間はゆっくりと頷き、にやりと笑った。


「楽しみだな、お前の“国際線デビュー”。俺も気合い入れて見るからな」

上空38,000フィート。太平洋を横断する訓練航路の真ん中で、B787-9は静かに巡航を続けていた。


副操縦席に座る佐久間キャプテンは、計器類を確認しながらも時折、ちらりと桐谷の操作を観察していた。


「速度良好、燃料消費も計画通り。桐谷、いいペースだ」


「ありがとうございます」


操縦桿を握る手は落ち着いていた。エンジンのうなりと、無線のやり取り。それらすべてが、いつか“遠い未来のもの”だった国際線の風景に思えた。


「おい、桐谷。お前、いつか海外駐在も視野に入れてるか?」


「……はい。もし任せてもらえるなら、どこへでも飛びたいと思ってます」


「そうか。よし、それなら……ちょっと今から、想定外いくぞ」


「え?」


佐久間の指がgpwsのボタンを操作した。


次の瞬間、警報音が鳴り響く。


《DING! DING!》


「システムトラブル、右エンジンの出力が低下中!あくまで訓練シミュレーションだ、落ち着いてやれ!」


咄嗟にマニュアルの対応手順を脳内で再生する。国内線のとき、羽田へ引き返したあの“火災トラブル”の記憶が一気に蘇る。


「右エンジン、推力制限を確認、パワーバランス再調整。APUスタンバイ中……フライトプランに影響出ますが、このまま目的地へ進みます」


「その判断、なぜだ?」


「現在の天候、最寄りの代替空港の状況、燃料量……すべて鑑みて、継続が最も安全だと判断しました」


「よし……正解だ」


佐久間の声は、訓練のモードから、かつての“師匠”のトーンに戻った。


「お前さ……ほんとに変わったよな。最初の訓練、覚えてるか?俺の指示よりも先に操縦桿握ろうとして、怒鳴られたよな」


「はい……怒鳴られました」


「でも、今は違う。ちゃんと冷静に、全体を見て、責任をもって決断してる」


佐久間は静かに語りかけた。


「俺は、何百人も教えたけど……その中でも、お前みたいに“現場で学びながら成長したやつ”は珍しい」


「……ありがとうございます」


「胴体着陸の対応、エンジン火災の引き返し。どれも一発勝負で成功させた。それに国内線のキャプテンまで、2年目で」


佐久間は少し笑った。


「……まいったな、もう俺が教えること、あんまり残ってないかもしれない」


「そんなこと……まだまだ学びたいです、佐久間さんから」


「なら、次は“海外の空”だな」


ふと、窓の外に目をやると、夕日に染まる雲海がどこまでも広がっていた。異国の都市、言語、文化……それでも“空”だけはどこまでもつながっている。


「俺、夢だったんです。小さい頃、国際線の機長になって、海外にいる家族を迎えに行けるようなパイロットになりたいって」


「……そうか。なら、これは通過点だな」


「はい。もっと高く、もっと遠くへ」


桐谷は深くうなずいた。


機長席の窓から差し込む光は、夕焼けに包まれてオレンジ色に染まっていた。


着陸後、訓練フライトを終えてロサンゼルス空港にて


スポットインしたB787から降りた桐谷は、搭乗橋を渡ってターミナルへ向かう途中、再び佐久間と肩を並べた。


「桐谷。これでお前も、正式に国際線訓練完了だ」


「……本当に、ありがとうございました」


「俺もな。こうして、お前の成長を見届けられて嬉しいよ」


立ち止まり、佐久間はふと真顔になった。


「これからは、どんな空でも“乗客の命を預かる覚悟”を忘れるな。国内線でも、国際線でも、それは変わらん」


「……はい。必ず」


二人は力強く握手を交わした。


その手には、教官と教え子という関係を超えた、パイロットとしての“信頼”が宿っていた。


そしてこの瞬間から、桐谷隼人の“空”は再び広がる。


それは、もう日本の空だけではない。


アジア、中東、ヨーロッパ、アメリカ……彼が操縦桿を握るその先に、“世界”という空が待っているのだった。



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