第11話雪の夜空を閉ざすもの
第11話「雪の夜、空を閉ざすもの」
深夜の環八通り、視界は白く煙っていた。
街灯に照らされた路面は、昼間の雪が凍りつき、轍の形のまま光っていた。
タイヤが滑る感覚に神経を研ぎ澄ませながら、桐谷隼人はハンドルを握りしめていた。
B787機長に昇格して、わずか3ヶ月。
その日は羽田〜新千歳のJAL113便を終えて、自宅のある調布に戻る途中だった。
「……今日は疲れたな」
空は荒れていた。
着陸の際、視程は600mを切り、風向きは時折30度以上振れていた。
そんな中で、乗客178名と乗員11名を無事に目的地へ運んだ自負と疲労が、体中に残っていた。
そのときだった。
――キィィィィッ!!
「……っ!!」
前方から突然、赤信号を無視した軽バンが滑るように交差点へ進入してきた。
ブレーキは間に合わなかった。ハンドルを切って回避を試みたが、対向車線の縁石にタイヤを取られ、車体はスピン。
衝撃音とともに、世界が一瞬、白くはじけた。
「意識はありますか? お名前、わかりますか?」
「……桐谷、隼人……です」
腕が、痛む。というより、“焼けるように熱い”という感覚に近い。
頭は打っていない。だが、右腕に感覚がない。
「右上腕骨、骨折の疑いあり!意識は清明。収容先、調布北医療センターに決定」
サイレンが遠ざかる街を駆け抜けていった。
「全治2ヶ月……その間、飛行業務には就けません」
冷静に告げる医師の言葉に、桐谷は黙ってうなずいた。
そのとき、頭をよぎったのは、コックピットの静寂。
計器の灯。
エンジンの低音。そして、タッチダウンのあの感覚。
全部、遠ざかっていく。
「……くそっ」
握りたかった操縦桿は、右手ではもう握れない。
「また空を飛べるのか?」と問われても、医師は「リハビリ次第ですね」と言葉を濁すだけだった。
病室に、柳瀬悠人が現れた。
「……お前、なんだその顔。飛行停止中のベテランか?」
「放っとけ……情けねえだろ」
「情けないかどうか決めるのは、空じゃない。お前自身だ」
ベッド脇に腰かけた柳瀬は、真剣な目をして言った。
「俺が訓練中にパニくってたとき、お前が言ってたよな。“空を飛ぶのは怖くて当然。でも、それでも飛びたいって思えるかどうかが本物のパイロットだ”って」
「……あの時は、元気だったからな」
「今だって同じだよ。ただ、地上にいるだけで、“空を諦めた”わけじゃないだろ」
ギプスが外れたのは、2ヶ月後。
最初はペンを持つのにも苦労した。
書くことも、箸を使うことも、全部“初めて”に戻ったようだった。
だが、桐谷はそのたびに「タッチアンドゴーの繰り返しだ」と自分に言い聞かせた。
地上での訓練も、書類確認も、座学も一から。
会社のメディカルオフィスとも連携し、「復帰審査」の準備を粛々と始めた。
空に戻る。
それは「運が良ければ」ではない。
「すべてを積み上げ直せた者」にだけ、与えられる切符だと彼は知っていた。
再審査フライトの前夜。
桐谷は整備士に借りた整備ノートを片手に、エンジン周りのチェックリストを確認していた。
「怪我明けの人間が、ここまで執念深く来るとはな」と整備士は苦笑した。
「俺はまだ、あの空に名前を刻めてないからさ。機長として」
(To be continued‼︎)