謁見
厚い扉の向こうに通された応接の間は、重苦しさはなくどこか私的な空気が漂っていた。
窓から差し込む柔らかな光が、白い石壁と調度品を穏やかに照らしている。
「久しいな、サラシャ」
ソファに腰掛けた国王アルフレッド・アルバ・ヴァレンシアが、穏やかな声でそう言った。
その隣には宰相シグルド・レヴィン、少し離れた位置に内務大臣ドミニク・コルテーゼが控えている。
サラシャは一歩前に進み、軽く頭を下げた。
「ご無沙汰しております、陛下。お変わりなくお過ごしのようで、何よりです」
「そう堅くなるな。今日は公式の場ではない」
アルフレッド王は苦笑しながら手を振った。
「最近は城の薬草庫も忙しかろう。君が来ると、いつも薬師長が安心した顔をする」
「光栄です。ですが、あの方の方がよほど城の事情に詳しいですよ」
サラシャは柔らかく返し、場の空気を和らげる。
その様子を見て、シグルドが静かに口を挟んだ。
「相変わらずだな。必要なことだけを、過不足なく話す」
「宰相閣下にそう言われると、褒められているのか疑ってしまいますね」
軽いやり取りに、部屋の緊張が一段階下がった。
その時、アルフレッド王の視線が、サラシャの背後に立つ人物へと向けられた。
「……さて」
王は少し声の調子を変えた。
「そちらの者は?」
サラシャは一瞬だけ視線を沙良に向け、すぐに王へと戻す。
「こちらは沙良と申します。少し前に私が保護し、現在は私の家で世話をしています」
沙良は一歩前に出て、ぎこちなく頭を下げた。
「沙良です。突然このような場にお呼びいただき、恐縮です」
言葉遣いは丁寧だが、どこか距離を測るような慎重さがある。
それを見て、ドミニクが興味深そうに目を細めた。
「保護、とは?」
「身寄りがなく、事情も複雑でして。今は私の手伝いをしながら生活しています」
サラシャは詳細には踏み込まない。
だが、その“踏み込まなさ”こそが、この場にいる三人の注意を引いた。
シグルドが静かに言葉を継ぐ。
「市場での異変の際、君と共に行動していた人物だな」
沙良の肩が、ほんのわずかに強張ったのを、サラシャは見逃さない。
「ええ。偶然、居合わせただけですが」
「偶然にしては、興味深い一致だ」
アルフレッド王はそう言って、沙良を正面から見据えた。
「沙良、と言ったな。君は、あの場で何か“おかしい”と感じたか?」
その問いは穏やかだったが、核心を突いている。
沙良は一瞬、言葉を選び――そして正直に答えた。
「……はい。ですが、それが何なのかは、まだ分かりません」
その返答に、三人は視線を交わす。
サラシャが、静かに口を開いた。
「陛下。本日は、その件についてお話があるのでは?」
アルフレッド王はゆっくりと頷き、背もたれに身を預けた。
「さすがだな。では、本題に入ろう」
部屋の空気が、再び引き締まる。
「――昼間、交易区で起きた異変。
そして、その中で“動けていた者”がいたという事実についてだ」
その言葉を合図に、雑談の皮を被っていた時間は終わりを告げた。
ここから先は、王国の中枢と、この世界の“歪み”に関わる話となる――。
アルフレッド王は一度、机の上に置かれた書類に目を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「交易区で発生した異変は、我々が把握しているだけでも三件目だ」
沙良とサラシャの視線が、自然と王に集まる。
「最初は王都南区。街路の一部が、数分間“存在しなかった”。次に、城外の水門付近で時間の進みが不規則になり、日照の記録と実際の体感にズレが生じた」
王は淡々と語るが、その内容は明らかに異常だった。
「そして今回、交易区。空間そのものが停止したかのような現象だ。音、動き、人の意識――ほぼ全てが固定されていた」
「“ほぼ”……ですか?」
サラシャが静かに問い返す。
アルフレッド王は頷いた。
「完全ではなかった。監視部隊の報告では、その場にいた全員が影響を受けた――はずだった」
そこで王は、視線を沙良へと移した。
「だが、例外があった」
空気が、はっきりと変わる。
「サラシャ。君と――」
王は一拍置き、
「沙良。君だ」
沙良は息を飲んだが、視線を逸らさなかった。
「異変の中心付近にいながら、二人は行動可能だった。
完全にではないにせよ、“止まった世界”の中で意思を保っていた」
「範囲は?」
サラシャが短く問う。
「交易区の中央通りを起点に、半径およそ百歩。だが境界は曖昧で、歪みが揺らいでいた」
それは、自然災害や偶発現象では説明できない精度だった。
「我々は、この異変を“局地的干渉”と呼んでいる」
アルフレッド王はそう締めくくり、静かに言った。
「さて――」
ここで、宰相シグルド・レヴィンが一歩前に出た。
「ここからは、少し踏み込んだ話になる」
その視線は、明確に沙良を捉えている。
「沙良。君は、あの場で何を感じた?」
問いは単純だが、逃げ場はない。
沙良は一瞬、言葉を選び――正直に答えた。
「……世界が、途中で“書き換えられかけた”ように感じました」
その瞬間、シグルドの眉が、ほんのわずかに動いた。
「書き換えられ“かけた”?」
「はい。止まった、というより……処理が追いついていない感じです」
サラシャは口を挟まない。
あえて、沙良に任せている。
「時間が止まったのではなく、世界の側が、一瞬“待たされた”ような感覚でした」
応接の間が静まり返る。
シグルドは、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
そして、試すように続ける。
「では、質問を変えよう。君は、それが“意図されたもの”だと思うか?」
沙良は、はっきりとは答えなかった。
「少なくとも……自然発生とは思えません」
「理由は?」
「“綻び方”が、綺麗すぎました」
その言葉に、ドミニクが小さく息を呑む。
シグルドは、静かに頷いた。
「良い答えだ。感覚論だが、核心を外していない」
彼は王へと視線を向ける。
「陛下。この者は、少なくとも“観測者”としての資質を持っています」
アルフレッド王は、深く頷いた。
「……そうだな」
そして再び、沙良を見る。
「沙良。君はまだ何も知らぬ立場だ。だが――」
王の声は低く、重い。
「この王国で起きている異変は、君の存在と無関係ではない可能性がある」
それは宣告ではない。
だが、逃げ道を塞ぐには十分な言葉だった。
サラシャが、そこでようやく口を開く。
「陛下。ここから先は、彼女に“選ばせる”段階だと思います」
アルフレッド王は、短く笑った。
「確かに。強制は我が流儀ではない」
王は背筋を伸ばし、はっきりと言った。
「沙良。我々は君に、真実の一端を開示する用意がある」
「その代わり――」
シグルドが言葉を継ぐ。
「君が“何者なのか”を、我々も見極めさせてもらう」
静かな応接の間で、
沙良は王国そのものに“観測”され始めていた。
沈黙が、ゆっくりと場を満たしていく。
アルフレッド王はソファーに深く腰掛け、両手を組んだまま沙良を見つめていた。その視線は威圧的ではない。だが、王として数多の決断を下してきた者特有の重みが、自然と滲んでいる。
「沙良」
名を呼ばれただけで、背筋が自然と伸びた。
「君は、自分が今どの位置に立たされているか、理解しているか?」
「……いいえ。ですが、無関係ではいられない場所に立っている、ということは分かります」
その返答に、シグルドが小さく息を吐いた。
「十分だ」
宰相は一歩前に出る。
「では、我々の立場を明確にしよう。この王国で起きている異変は、既存の法、軍事、外交、そのいずれでも完全には対処できない領域に入っている」
彼の視線が鋭くなる。
「そして君は、その“領域”に反応した」
「……」
「意図せず、かもしれない。だが、反応できた者は限られている」
シグルドは、言葉を選ぶことなく続けた。
「我々は、君を危険視しているわけではない。だが――無視することも、もはや不可能だ」
そこでアルフレッド王が、静かに言葉を継ぐ。
「だからこそ、提案がある」
王は、はっきりとした声で告げた。
「沙良。君に、この王国への正式な協力要請を行いたい」
空気が、張り詰める。
「立場は“協力者”。身分は保証する。居住、生活、身の安全――すべて王国が責任を持つ」
それは、保護であり、同時に拘束でもある。
「見返りとして、君が感じたこと、気づいたこと、そして今後起きるかもしれない“異変”への協力を求める」
沙良の胸が、わずかに締め付けられた。
「強制ではない」
王は、すぐにそう付け加えた。
「拒否も可能だ。その場合、我々は君を一般の滞在者として扱う」
だが、その“一般”が意味するものを、沙良は理解していた。
――何も知らされない。
――守られない。
――そして、異変に巻き込まれる可能性だけが残る。
「……」
答えを出す前に、沙良は一つだけ、どうしても確認したいことがあった。
「協力すれば……私は、この世界について、どこまで知ることができますか?」
その問いに、シグルドが即座に答える。
「知るに足るだけ」
「必要な範囲で、真実を共有する」
アルフレッド王は、さらに踏み込んだ。
「そして――君自身に関わることについては、隠さぬ」
沙良の指先が、無意識に強く握られる。
その時、サラシャが一歩、彼女の隣に立った。
「沙良」
柔らかい声だが、迷いはない。
「あなたはもう、偶然ここにいるだけの存在じゃない」
一拍置き、静かに続ける。
「でも……選ぶのは、あなたよ」
誰も、急かさない。
王も、宰相も、答えを強制しない。
だが、この場にいる全員が理解していた。
――ここでの選択が、沙良の立場を決定づけることを。
沙良は、ゆっくりと息を吸い――そして、顔を上げた。
胸の奥で渦巻く不安と恐れを、言葉に変えようと唇を開く。
「……私は――」
その瞬間だった。
「待ちなさい」
アルフレッド王の声が、静かだがはっきりと空気を切った。
沙良は、思わず言葉を飲み込む。
王は立ち上がらなかった。
ただ、ソファーに深く腰を掛けたまま、淡々と告げる。
「本来であれば、君が協力を受け入れた“後”にのみ伝えるつもりだった情報がある」
シグルドが、わずかに目を細めた。
それが予定外であることは、沙良にも分かった。
「だが――私は先に示そう」
王の視線が、沙良を正面から射抜く。
「この王国だけではない」
一瞬の沈黙。
「すでに我々は、他国においても、この異変と同種の現象が確認されているという報告を得ている」
沙良の呼吸が、僅かに乱れた。
「そして」
王は言葉を区切る。
「その中には、君やサラシャと同様、異変の中でも“動けた者”が存在したという情報も含まれている」
部屋の空気が、一段階、冷えた。
「人数は不明。正体も、意図も、敵か味方かすら分からない」
シグルドが低く補足する。
「だが確実なのは、彼らが“偶然”ではないということ。そしてーー君と、同種の存在の可能性だ」
沙良は、思わず一歩、後ろに下がりそうになるのを堪えた。
「……そんな……」
王は、そこで一度だけ、沙良から視線を外した。
「本来ならば、君に背負わせるべき情報ではない」
再び視線が戻る。
「それでも、私は先に話した」
沙良は、混乱の中で、それでも疑問を口にした。
「……どうして、ですか?」
声が、わずかに震える。
「私が……まだ、協力すると言っていないのに」
王は、即答しなかった。
代わりに、ゆっくりと語る。
「君に“選ばせる”ためだ」
「?」
「恐怖も、不安も、危険も含めた上で――それでもなお、この国に関わる意思があるのか」
アルフレッド王は、微かに笑った。
それは王の威厳ではなく、一人の人間の笑みだった。
「私は、知らぬまま頷かせる協力を、信頼とは呼ばない」
「……!」
「真実を伏せて縛るなら、それは支配だ」
言葉が、静かに胸に落ちる。
「だが我々が欲しいのは、支配された力ではない」
王は、はっきりと言い切った。
「理解した上で、共に立つ者だ」
沈黙。
沙良の視界が、少し滲んだ。
(この人は……)
王でありながら、国の未来を賭けながら、それでも一人の“外の人間”に、誠実であろうとしている。
サラシャが、何も言わず、ただ静かに頷いた。
――背中を押すのではなく、肯定するだけ。
沙良は、深く息を吸い、そして、はっきりと口を開いた。
「……分かりました」
視線を上げ、まっすぐに王を見る。
「私は、この王国の協力要請を受け入れます」
「怖くない、と言えば嘘になります」
それでも。
「それを知った上で、見て見ぬふりは出来ません」
一拍置き、静かに続ける。
「私に出来ることがあるなら……それを、隠さず使わせてください」
アルフレッド王は、ゆっくりと頷いた。
「感謝する、沙良」
その声は、王のものだった。
「ここに、正式に協力関係の成立を宣言しよう」
シグルドが一歩進み、低く告げる。
「――これより君は、王国の“内側”に入る」
その言葉の重みを、沙良は確かに受け取った。
そしてサラシャは、心の中でだけ、静かに呟く。
(ようやく……ここまで来た)




