王都の異変と特殊技術
沙良とサラシャが倉庫を出て自宅に戻った頃には、夕暮れが街を染め、柔らかな光が窓から差し込んでいた。沙良が深呼吸しようとすると、サラシャは無言で水を差し出してくれた。彼女もその静かな空気に倣い、黙って水を受け取る。
「少し休もうか」とサラシャが言い、二人はそれぞれ椅子に腰掛けた。沈黙の中で水を一口飲み干した沙良が、ふと遠くを見るような視線を向けるサラシャに問いかけるような表情を浮かべると、彼女は静かに語り始めた。
「沙良、この国には時折、不思議な異変が起こる事があるの。見かけ上は自然災害に見えるものも多いけれど、ただの災害では説明しきれない異変がね。」
沙良は小さく頷いた。「例えば、どんな事が起きるの?」
「時には街の一部が突然異なる地形に変貌し、数日後に元に戻ったという事があったり、あるいは時間の流れが一時的に乱れたりする事があったわ。そうした異変がんここ最近頻発しているの。これが自然のものだと思っている人もいるけれど、上層部の多くは対立国による攻撃だと考えている。」
沙良はその言葉に眉をひそめ、思案し始めた。「それが本当に人為的なものなら……その根拠は何かあるの?何かの兵器や、あるいはこの世界独自の技術や力でできるものなの?」
サラシャは一瞬考えるように目を伏せた後、沙良に向き直り、ゆっくりと話し始めた。
「実は、この世界には特殊な技術が存在するわ。その名を『コード』。これは、特定の条件下で世界そのものに干渉し、現実を“書き換える”力を持つ技術なの。」
「書き換える……?」
「そう。コードを扱う者は、通常の人間には起こせない事象を操作できるわ。物質の原子に干渉して操作したり、空間をねじ曲げたり、時間や因果関係さえも改変できるとされている。その力を行使できる存在は限られていて、その者達の総称を『Re;writer (リライター)』と呼ぶわ。」
「Re;writer……」沙良はその単語を反芻し、何か自分の知識欲が刺激されるのを感じた。
「Re;writerは、コードを発動する際に『Override』という詠唱を用いるわ。これにより、世界に干渉し、事象を望む形に“書き換える”ことができるの。これは非常に高度な技術で、力を持たない者には到底扱えない。でも、そうした力が他国で利用されている可能性があるからこそ、上層部はそれを脅威とみなしているの。」
沙良はその説明を聞きながら、自分のプログラミングの知識と不思議な一致を感じ始めた。コード、書き換える力、Override――まるでプログラムの世界での「コード」操作のように思えてならない。
「つまり、そのコードはこの世界の“プログラム”みたいなものかもしれない……」沙良は小声で呟いたが、それを聞き取ったサラシャがわずかに微笑んだ。
「沙良、あなたにはこの世界で特別な役割がある…それはもしかしたら、この『コード』に関係があるのかもしれないわね。沙良の、そのプログラムというあなたの世界の知識でこの“異変”に立ち向かう力を見出すことができるのなら……あなたがここに来た意味も、何かしらの形で繋がっていくのかもしれない。」
沙良はその言葉に真剣な表情で頷きつつ、これからどんな役割を果たすべきか思いを巡らせ始めた。
――時は遡り、数ヶ月程前
王都の中心に位置し、その周りを水路で囲まれ悠然と聳え立つ、リザリサ王国が誇る王城。
バレンシア城――その城内の一室――会議室
そこは重厚な柱と紋章で飾られた荘厳な雰囲気に包まれている。円卓のテーブルには、王国の指導者達が今まさに集まっており、国王の隣には宰相シグルド・レヴィンが立っていた。シグルドは王族派の重鎮であり、国王に忠誠を誓う冷静な人物である。
「近頃、王都やその周辺で発生する異変について報告が相次いでいる」
国王アルフレッド・アルバ・ヴァレンシアが重々しく言葉を発した。
一同がその言葉に耳を傾けると、隣に座る軍のトップ、貴族派筆頭の軍務大臣ギュンター・ライナスが口を開く。
「これが対立国の仕業である可能性は高いかと思われます。彼らの新たな兵器、あるいは異端の技術ではないかと」
そこで王族派の内務大臣ドミニク・コルテーゼがすかさず反論した。
「ですが、ライナス軍務大臣。それではこの不可解な事象の全てを説明する事はできません。既存の技術体系ではこれらの事象を再現する事は不可能でしょう。新たな兵器が開発されていたとしても、到底説明できないものが多すぎるのです」
「つまり、貴殿はRe;writerによる干渉だとお考えか?」ギュンターが問い詰めるように言う。
ドミニクは冷静に頷き、「そうです。Re;writer、つまりこの世界に干渉し事象を改変する能力を持つ者が関与している可能性は否定できません。」
「異変に関しては他にも報告がございます」宰相シグルドが一枚の紙を手に取り、慎重に目を通しながら発言した。
「例えば、街の一部が突然異なる地形に変貌し、数日後に元に戻ったという報告。時の流れが乱れ、日が沈むはずの時間に朝日が昇ったとも」
この発言に、他の出席者たちは顔を見合わせざわめきが広がった。アルフレッド王は沈黙のままその様子を見つめ、やがて低く静かな声で発言する。
「もしもこれがRe;writerによるものだとすれば、放置するわけにはいかぬ。我々は異変の調査を進めるとともに、彼らの動向を監視しなければならない」
ギュンターは眉をひそめ、苛立ちを隠せないように声を荒げた。
「コルテーゼ内務大臣。ならば国内におけるRe;writerの捜索と捕縛を優先するべきではないか?もし彼らが我が王国に対して攻撃を仕掛けているとしたら、我々は対抗策を講じなければならない」
一方で、ドミニクは慎重に提案を返す。「確かにRe;writerの存在は危険ですが、無闇に捜索を行えば国民に不安を広めるだけです。異変が人為的なものであるか、自然現象の一環か、さらなる調査が必要です」
そこで、ドミニクは一端言葉を切り
「…そしてもう一つ」と再び言葉を続ける。
「先程のライナス軍務大臣の提言通り、他国の工作であった場合です。起こっている現象からしてRe;writerが関わっている可能性は非常に高いです。今までは我が国以外でその存在は確認できておりませんでしたが、此度の一件で他国の関与があった場合、他国に、私達がまだ知らないRe;writerがいる事は確実となります。もし彼らがこの力を使い、我が国に干渉しているとしたら…」
その言葉に、一同の間に緊張が走る。
ギュンターは険しい表情で呟くように言葉をこぼす。「他国にもRe;writerがいると?ならば、これはただの偶発的なものではなく、明確な意図を持って我が国に干渉している可能性があるということか」
「その通りです。」ドミニクが冷静に頷いた。「彼らが意図的に干渉しているならば、国を守る為に我々は対策を講じなければなりません」
その時、アルフレッド王が立ち上がり、重厚な声で場を締めた。
「異変が起きている地域の調査を進めると共に、近隣諸国の動向を探らねばならない。もし他国にRe;writerがいるとすれば、その動向を把握することが急務となる。その上で王都の防備を強化し、Re;writerを含むあらゆる異能の者達が関与していないか確認する。ここにいる我々は常に情報を共有させ、国を守る為に皆が協力し合わねばならぬ」
出席者たちは各々の意見に違いを残しながらも、最終的には国の安全の為に一致団結する決意を固めこの日の会議は解散となった。
――時は戻り現在、市場での異変があった日の夜遅く
国王アルフレッド・アルバ・ヴァレンシア、宰相シグルド・レヴィン、内務大臣ドミニク・コルテーゼの三人は、密談の為に部屋に集まっていた。ここは王城内でも限られた者しかその存在を知らず入室も出来ない。そして外からの音を遮断する厚い扉と壁が、ここでの話が外部に漏れることを防いでいる。室内の窓には重厚なカーテンが引かれ、部屋を深い陰影で包んでいた。
アルフレッド王が静かに口を開く。
「さて、急遽2人に集まってもらったのは、王国全土に放っている監視部隊からの新たな報告についてだ。昼間に起きた交易区での異変は聞き及んでいると思うが、実は異変が起きた交易区担当の監視部隊から不自然な報告が上がっている」
それにシグルドが目を細めながら、淡々と応える。
「今回の異変は、その範囲内の全てものが時間が凍ったかの様に一時停止していた、と聞いています。そしてその異変の最中動けていた者がいた…という報告ですね。しかも、その二人の中にはサラシャが含まれていると聞きました。」
その報告に、ドミニクが少し驚きの色を浮かべた。
「サラシャ・イリシム……彼女が動けていたというのは、ただの偶然ではないでしょう。彼女は王宮御用達の薬師であり、私達が常に頼りにしてきた人物。彼女の知識と技術は王国内でも他に類を見ないものです。」
アルフレッド王が深く息をつき、慎重に言葉を選ぶように語る。
「サラシャが異変の中で動けていたのは、ただの薬師としての能力だけでは説明がつかぬ。もしかすると、彼女も我々が今まで考えてきた以上の力を持っているのかもしれぬな。」
シグルドは小さく頷きながら、王に補足する。
「実際、サラシャには市場で一緒に行動していた同行者がいたと報告されています。その名は…沙良とか言いましたね。彼女もまた、異変の影響を受けていなかったと聞いています。」
「沙良…」アルフレッド王はその名を反芻しながら、深い思案の表情を浮かべた。
「彼女についての詳細な情報はまだない。だが、サラシャがあえて共に行動するほどの人物であるなら、何か特別な背景があるのかもしれぬ。」
ドミニクは手元の資料をめくりながら、慎重に言葉を選んで発言する。
「私の知る限り、沙良についての記録はほとんどなく、王国民ではなく他国の者だと思われます。しかし、この異変の中で動けていたのは、彼女もまた何かの能力を秘めている証左ではないでしょうか?」
アルフレッド王は深く考え込みながら、静かに結論を出した。
「よろしい、サラシャには直接話を聞く必要がある。もし、沙良という人物が我が王国にとっても重要な『Re;writer』の一人であるならば…我々は彼女の力を正確に理解し、必要に応じて協力を仰ぐべきだ。」
シグルドが同意を示し、「その通りです、陛下。同時に彼女の力が異変に関与しているのかも、慎重に見極める必要がございます。」と続けた。
こうして、サラシャ・イリシムと彼女に同行していた謎の人物・沙良が、王国内で起きる異変への鍵を握る存在である可能性が浮上した。王、宰相、内務大臣はその重大性を改めて認識し、今後の対策と調査に向けた準備を進める為に方針を固めていく。
部屋に静寂が戻る中、アルフレッド王が再び深く考え込みながらゆっくりと口を開いた。
「サラシャに直接話を聞く為には、慎重な段取りが必要だ。彼女が異変に対して何を知っているのか、そしてこの件に関わりがあるのかを、正確に理解する必要がある。」
シグルド宰相が小さく頷きながら、王に同意を示した。
「その通りです、陛下。彼女をただ問い詰めるのではなく、自然な形で彼女の知識と意図を引き出すべきでしょう。あくまで、彼女を信頼しているという姿勢を崩さないことが肝要です。サラシャも聡明な人物ですから、我々の真意を悟られないようにするのは難しいですが…」
ドミニク内務大臣が鋭く付け加える。
「しかし、取引が必要ですな。サラシャも我々に全てを話すかどうかは分かりません。彼女の協力を確保するために、何か誘引となるものを提供するべきかもしれません。彼女が望む報酬、もしくは安全保障といったものを、こちらから提案してみるのも一つの手かと。」
アルフレッド王は少し考え込む表情を浮かべた後、低く静かな声で指示を下した。
「ならば、まずはサラシャと親しい侍女を通して、こちらへ来てもらうよう伝えよう。表向きは昼間の異変について、薬師としての意見を伺いたいということで構わぬ。それをきっかけに、沙良という者の詳細や、彼女が異変の中心で感じたことを探ってみよう。もし必要とあれば、国の発展のための特別な研究や支援を約束することも辞さない。」
シグルドはその提案に満足げに頷き、冷静に提案した。
「また、彼女が来た際には、我々三人だけでなく、信頼できる筆頭護衛官も一人立ち会わせてはどうでしょう。直接手を下す意図はもちろんありませんが、彼女が語る際に、無言の圧力としては効果があるかと思われます。」
ドミニクもその意見に同意し、鋭い目でアルフレッド王に確認を取った。
「筆頭護衛官にはそのように指示をいたしましょう。サラシャは決して軽んじてはならぬ人物です。もし我々にとって有益な協力者となるのなら、その地位をより強固なものにするための支援も約束してもよいと思われます。」
アルフレッド王は静かに二人の発言を聞き、少しの沈黙の後に、強く頷いた。
「よろしい。すぐに手配し、サラシャ・イリシムに接触を図るのだ。そして、もし沙良という者が王国にとっての重要な鍵となり得るのならば、どのような力を持っているのかを確かめねばならぬ。」
こうして、国王、宰相、内務大臣の三人はサラシャを呼び出し、密談の場を設けるための段取りを決定した。それぞれが慎重な態度を崩さず、異変の真相とサラシャの意図を明らかにするべく、次なる手を進めるのだった。