王都バレンシア
沙良達が近づくにつれ、巨大な門が徐々にその姿をはっきりと見せ始めた。その門は、左右に連なる石壁に対して円柱状の塔が両側にそびえ立ち、威圧感と貫禄を醸し出している。塔は無機質ながらも、長年に渡りこの王都を守り続けてきた歴史を感じさせる風格があり、無数の風雨に耐えてきた石材が所々風化しているのが見て取れた。
「ここが王都バレンシアです」
サラシャが微笑みながら手を広げ、門を指さした。
「この都市は交易で栄えているので、いろんな国の人が集まります。安心して大丈夫ですよ」
沙良は頷き、周囲を見渡しながらついていく。門を通過する際、門番らしき男がサラシャに軽く挨拶を交わし、沙良に一瞬だけ視線を向けたが、特に不審な様子もなく通過を許された。
(…意外とすんなり通してくれたわね。王都っていうくらいだからもう少し厳重かと思ってたけど…。それともサラシャと一緒だからかしら…?)
その重厚な門をくぐると、まるで別の世界へと足を踏み入れたかのような感覚に包まれる。塔や壁の装飾は、異国風の模様が施されており見る者を圧倒する威容だ。塔にはいくつかの小窓があり、門を守る為の見張り台としての役割を果たしているように見えた。
街に足を踏み入れると一気に活気が広がる。石畳の道には色鮮やかな商店や露店が立ち並び、各地から集まった商人たちが賑やかに声を張り上げている。異国の香り漂う香辛料や、見たことのない果物が所狭しと並び、沙良の五感を刺激した。
「どうですか? この街、面白いでしょう?」
サラシャが沙良の反応を気にするように問いかけた。
「ええ、なんだか見た事のない物ばかりで、すごく興味深いです」
沙良の視線は絶えず店々に向かい、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚がさらに強まる。
(…うん。こうなったら、もう開き直るしかないわね…。それにしても…すごく素敵な街並みね…)
今は現状を受け入れた上で考えるしかないと、気持ちを切り替える。
「こちらです。私の家は少し離れていますが、すぐに着きますので」
そこからしばらく歩くと、徐々に人通りが少なくなってきた。先程までの店々の喧騒からも離れた頃、サラシャが立ち止まり振り返った。
「ここが私の家です」
サラシャの家は街の中心から少し外れた場所にあり、周囲の喧騒から少し離れた落ち着いた雰囲気だった。石造りの建物で、手入れが行き届いた小さな庭があり、そこには風に揺れる草花が静かに咲いていた。
「どうぞ、お入りください」
沙良は軽く頷きながら家の中に入るとまず部屋へと案内された。サラシャは沙良に座るよう促し、台所へと足を運ぶ。
「今、飲み物を用意しますね」
待っている間、沙良は部屋を見渡す。家具や調度品は整然としており、掃除も行き届いているようだった。木製の家具は温かみがあり、異国風の装飾が施された部屋は一見して居心地がよさそうだった。
(とても整った部屋だわ……)
だが、何かが胸の奥で小さく引っかかる感覚があった。どこか、あまりにも整いすぎているような気がする。その完璧さゆえに、生活感があまりにもない。
(……さすがに、ちょっと考えすぎね。まだこの部屋しか見てないじゃない…。色々な事がありすぎて敏感になっているのかも…)
沙良がそんなことを考えていると、サラシャがほどなくして飲み物を運んで来た。
「どうぞ。少しクセがある味かもしれませんが、疲労が取れますよ」
そう言いながら沙良の前に差し出した。ハーブの香りが鼻腔をくすぐる。沙良は少し恐縮しつつも、その優しい香りに誘われて一口啜る。
「…落ち着きますね。このお茶、とても美味しいです」
(…ちょっと変わった風味。でもスッキリしていて美味しいわ)
「それは良かったです。そのお茶には回復効果のある薬草を使ってるんですよ。仕事柄、その辺りは詳しいので」
(なるほど、この風味は薬草なのね。……そういえば、さっきより身体が軽くなった感じがする…)
サラシャが微笑みながら自分の仕事について語り始めた。
「私は薬師として働いています。街の市場の近くにある小さな薬局で薬を調合したり、患者を診たりしています。一人で暮らしているので、誰かとこうして話す機会はあまりないんですが」
沙良はその言葉を聞きながら、ふとサラシャの生活についてのイメージを思い浮かべた。家は清潔で、趣味や仕事を大切にしているような印象を受ける。
「薬師なんですね。このお茶も薬草を使ってるとは思えないほど美味しかったですし、いつの間にか疲労のほうも大分和らいでいます。すごい効能ですね。きっと、薬師としての技術が優れているのでしょうね」
「そう言ってもらえると嬉しいです。でも実際にはまだまだ学ぶ事が沢山あります」
サラシャの返答は謙虚で、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「今日は疲れたでしょう。もうすぐ夕食にしますので、まずはお風呂に入って疲れを癒して下さい」
(ん―、さすがに申し訳ない気がするけど…。確かに…あの砂漠を歩いたから汗もかいたし、なにより砂の上に倒れたから砂まみれよね、私……。それに、さすがに今日は疲れたわ……)
まさに、色々ありすぎて心身の疲労が限界と感じ、その申し出を受けることにした。
「ありがとうございます…。それでは、お言葉に甘えさせてもらいますね」
入浴を済ませた沙良が先程の部屋に戻ると、テーブルには異国風の食器が並び、夕食の準備が整っていた。サラシャが運んで来る見慣れない料理が目に入る度に、沙良は不思議な気分に包まれる。香りも、彼女が知っている物とは少し違っている。ハーブやスパイスが混ざり合った香りが部屋中に漂い、食欲をそそる。
(…すごくいい香り。まずい!お腹鳴りそぉ……。でも、どれもこれも何だか知らない食べ物ばかりね)
一方で、少し戸惑いも感じていた。
(それにしても、偶々あの場に居合わせだけで、しかも初対面なのに、なんでここまでしてくれるのかしら……。…いやっ…、おかげで助かったんだけど……)
「この土地ではこんな料理が一般的なんです。今日は簡単な物ばかりですが、どうぞ召し上がってください」
サラシャが笑顔でテーブルに料理を並べる。焼いた野菜や香ばしい肉料理が中心だが、どれも見たことのない調味料で味付けされているようだった。沙良はゆっくりと口に運ぶ。
「おいしい……でも、少し変わった風味ですね。どんなスパイスを使っているんですか?」
「この地域は乾燥した気候なので、保存性の高いスパイスやハーブをよく使います。特にリサリダ王国では古くから交易が盛んで、さまざまな土地から珍しい調味料が齎されるようになったんです」
沙良は興味深そうに話を聞きながら、さらに問いかける。
「リサリダ王国はそんなに昔からあるんですか?」
「ええ、リサリダ王国は何百年もの歴史を持つ古い国です。元々は小さな集落から始まりましたが、交易によって徐々に大きくなっていきました。首都バレンシアは古代の王達が築いた要塞都市が発展して出来たんですよ」
サラシャが静かに説明する中、沙良は目の前の料理に目を落とした。見慣れない食材が美しく並んでいるが、その風味はどこか懐かしくもあり、だからこそ違和感も拭えない。
(……要塞都市?ゲームとか漫画では聞いた事あるけど…。でも、この国の実際の歴史なのよね、現実感は全く湧かないけど…。それにしても、この料理の味や香りは初めて食べるはずなのに不思議と懐かしい感じがする…。私の味覚に合ってるのかしら……?)
「要塞都市……。それだけ戦争や外敵の脅威もあったってことですね」と沙良は目の前の料理を一口噛みしめながら、ふとそう口にした。
「そうですね。最初の頃は周辺の国々との争いが絶えませんでした。特に北の大陸からは何度も侵略を受けましたが……、当時の王達は見事に国を守り抜いたんです。」
サラシャがそう話すと、彼女の表情が少しだけ厳しくなった。歴史に誇りを持っている事がその一瞬で伝わってくる。沙良は無意識のうちに目の前の料理をじっと見つめながら、ふと心の奥に再び何かが引っかかるのを感じた。
(……知らない土地なのに、言葉が分かるのも変なんだけど…。聞いた事もない国の話なのにあまりにも自然に聞いていたわ…。料理の味も理解できる…でも、こんなスパイスや食材、私は今までに一度も見た事がないはず…)
「それが今でもリサリダの誇りとなっています。歴代の王家は常に国民を守ることを重んじてきました。そして王国に平和と繁栄をもたらしたのですよ」
サラシャが話す歴史を聞いて、沙良は考え込む。彼女が知らない国や王国の話が、どこか物語を聞いているように感じる…。
(……でもやっぱり、しっかりとした歴史があるのね。この国なら、あるいは…)
「あっ。よかったら……。この食事に使われている食材はほとんどこの街の市場で手に入る物なんですよ。市場には色んな物が売られているので、明日案内しますね。」
「…市場……?…市場ですか!?是非見てみたいです!………あ…、失礼しました……」
「ふふふ…、大丈夫ですよ。では明日に備えて今日はゆっくりと休んで下さい」
思わずはしゃぎ過ぎた事に気付き我に返ったが、沙良の頭の中には知らない世界の風景が浮かび上がる。どんな光景が広がっているのか、彼女は一瞬、胸の高鳴りを覚えた。
(すごい楽しみだわ!まあ……考えなきゃいけない事は多いけど…。せっかくの未知の世界だもの。色々と興味深いわ!)
食事を終えた後、サラシャは静かに立ち上がり、食器を片付けながら沙良に声をかけた。
「今日は本当に疲れたでしょう。もうゆっくり休んで下さい。明日は市場に行って、そのあと都市を案内しますから」
「何から何までありがとうございます」
沙良は深く頭を下げ、サラシャの案内で寝室へと向かった。広くはないが清潔で、シンプルな寝具が整えられている部屋だった。窓からは涼しい夜風が入り込み、心地よい静けさが辺りを包んでいる。
「それでは、私はもう少し片付けをしてから休みますね。おやすみなさい、沙良」
「おやすみなさい……サラシャさん」
サラシャが去った後、ベッドに横たわった沙良は思ったよりも柔らかい寝具の感触に包まれながら、静かな夜風を感じていた。肌を撫でるように心地よい風。目を閉じると今日一日の出来事が頭を巡る。
(……私は、一体どこにいるんだろう。この場所が現実だなんて、今だに信じられないわ……)
何度もそう思ってみるが、目を開けても見えるのは異国風の部屋。あの親切なサラシャの存在が、余計にこの違和感を強くしている。居心地が良すぎる。完璧すぎる。
(……サラシャさんとの出会いも、言葉がわかるのも、どこか私に都合が良すぎるような気がするのよね…)
胸の鼓動が速まっていく。眠らなければならない事は分かっているのに、自然と考えてしまう。
(……でも、サラシャさんはなんで…私に疑問を持たないのかしら?何も気にしていないみたいだし……)
考えれば考えるほど沙良はこの世界に対する疑念を深めていった。体は疲れているはずなのに、心が落ち着かずなかなか寝付けない。
(明日、もっと情報を集めないと……)
そう心の中で決意した沙良は、やがて疲れに負けて深い眠りに落ちていった。