2,元ヤン同盟
入学式が終わって、隣近所のヤツと少し駄弁ったりしていると、誰かが俺の背中をつんつんと軽く突いてきた。
「き、如月……サン?」
相変わらず不気味なほどの笑顔を振り向く彼女に、俺は内心ビクビクしていた。
条件は同じはずなのに、弱みを握られているという事実で気が気じゃない。
「鹿島くん西中ってことは、帰り同じ方面だよねー?」
「あ、ああ。そうだよね。てことは西区だよね?」
わざとらしく、わかっている癖に質問してきたので、とりあえず如月のノリに合わせてやることにした。
「じゃあさ、一緒に帰らない?」
「い、いいぜ。けどちょっと待ってな、俺、このクラスに知り合いいるから」
「じゃあ教室の前で待ってるから」
「おう……」
落ち着け、落ち着くんだ、俺。
とりあえずもう一人、ゆーちゃんに挨拶しながら如月対策を練るとしよう。
「なんだよ、鹿島と如月って知り合いなの?」
さっきまで駄弁っていた隣の席の高橋翔太という、明るい茶髪の結構イケメンな男から質問を受けた。
コイツは話していてノリが良く、仲良くできそうな雰囲気なので大事にしたい。
「たまたま地元が同じだけだよ。それより俺、幼馴染このクラスにいるから」
「まじ? え、女の子? オレにも紹介してよ!!」
「別にいいけど」
コイツ、チャラそうだな。
まあ別にゆーちゃんを紹介する分には構わないけど。
「よぉ」
「……あっ」
少し離れて席から立とうとしていたゆーちゃんに声をかけると、向こうも俺を見て口元が緩むのが分かった。
「匠海くん、よね?」
「やっぱゆーちゃんか、顔見たらすぐわかった」
「うん、久しぶり」
この屈託のない笑顔、やっぱりゆーちゃんで間違いない。
「あ、どーも。初めまして、高橋翔太っす。鹿島の幼馴染なんだって?」
「はい、実は……五年ぶりだよね?」
「そうだなー、てかいつ東京から戻ってきたの?」
「中二の時かな、でも家は前と違って北区なの」
だから中学時代に再会しなかったのか。
むしろあの頃に再会しなくてよかったというべきなのか。
「へぇー、俺は全然引っ越してないから、前住んでた所と変わらないよ」
「そうなんだ、それ確信持てなかったから今まで連絡できなかったのよね。今度おじさんとおばさんと、あと渚ちゃんに挨拶しに行かないとね」
ゆーちゃんが東京に行ってから、しばらくは手紙のやり取りはあったが、しばらくして向こうも忙しいのか、年賀状もお互い送り合うこともなくなった。
両手を合わせて嬉しそうに微笑むゆーちゃんを見ていると、昔を思い出す。
ゆーちゃんは大人しくて静かな子だったから、俺がゆーちゃんを連れ回して遊ぶことが多かったっけ。物心がついた頃からずっと仲が良くて、いつもゆーちゃんはおれのそばに居た記憶がある。
だからゆーちゃんが親の仕事の都合で、東京に転校する時は結構悲しかった。
━━俺、ゆーちゃんのこと絶対忘れないから。ゆーちゃんの事好きだから!!
━━わたしも、匠海くんのこと好き。だからずっと忘れないでね。
別れ際にめちゃくちゃ恥ずかしいやり取りを、ていうか告白したよな。
一番身近にいた異性だったし、間違いなく初恋の相手はゆーちゃんだった。
五年前の話だし、ゆーちゃんがそのことを覚えているかは微妙だし、恥ずかしいからできれば忘れていて欲しい。
思い出したら顔が熱くなってきた。
「どうした鹿島、おまえ顔真っ赤じゃん」
「なんでもねーよ。じゃあ俺、ちょっと用事あるから、また明日な」
「うん。これからまたよろしくね、匠海くん」
「じゃ、高橋もまた明日な」
「おー、てか堅苦しいし、オレのことは気軽に翔太でいいから」
二人に挨拶をして廊下へ向かうと、スマホを弄りながら待っている如月の姿が目に入って、如月と一緒に帰る約束をしていたことを思い出す。
ゆーちゃんのことを意識しすぎて完全に忘れていた。
「よぉ、お待たせ……」
「うん、それじゃあ帰ろっか」
「おう……」
如月と肩を並べて帰るのも奇妙だと思ったけれど、特に会話をする事なく、学校を出て電車に乗るまではお互い無言だった。
電車に乗って、クロスシートがあいていたので、二人並んで着席する。
電車の中でも特に会話はなく、ひたすら沈黙が続いて気まずかった。
そして最寄り駅に到着して、今朝ヤンキーに絡まれたあのガード下へ移動する。
自分の自転車の前で如月は立ち止まり、振り向いて長い髪を靡かせる。
「で、なんであんたが同じ学校通ってんだよ。嫌がらせか、狂犬鹿島クン?」
その姿はさっきまで取り繕っていた普通の女の子ではなく、あの西区最強と謳われた鬼の如月その人の姿であった。
見た目は昔より大人しくなっているけど、凄まじい目力とドスの効いた声は昔と変わっていない。
腕を組んで仁王立ちする彼女の姿からは、当時と変わらない威圧感を感じる。
負けじと俺もポケットに手を突っ込み、如月にガンを飛ばして対抗する。
「そりゃこっちのセリフだぜ。なんでオメーがいるんだよ、鬼の如月サン?」
「あたしゃ見ての通り足洗ったんだよ。わざわざ遠くの高校入ってさ」
「こっちだって足洗ってよ、わざわざ遠くの学校入ったってのによ」
一触即発、俺と如月の間に緊張が走る。
如月純子、別名"八中の鬼"。
俺の不良時代、一度も勝てたことがない最強ヤンキー女。
かつて俺が倒すことを目標としていた相手が、まさか自分と同じ境遇で同じ高校に入り、クラスメイトとして再会を果たすとは。
当時の記憶が急速に蘇ってきて、如月との喧嘩の数々を思い出す。
「まさかあの鬼の如月サンが、真面目ぶって普通の女子高生やってるとはな?」
「それはこっちのセリフだよ。あの狂犬鹿島が普通の男子高校生? 短ランにボンタンはどうしたんだよ、剃り込みはやめたのかよ?」
如月はニヤリと笑って、挑発するように俺の過去と今を比較して煽ってきた。
先に煽ったのは俺のほうだけど、ストレートに言われるとムカっとくる。
「テメーだって金髪はどうしたんだよ、清楚系ぶってんじゃねーぞ」
「そっちこそ真面目ぶってんじゃねーよ。弱い癖にイキって喧嘩売りまくってよ」
「コラてめえ、喧嘩売ってんのか?」
「そっちこそ、あんま舐めてっと昔みたいに潰すぞ」
「…………。」
「…………。」
「……なぁ、やめようぜ? 俺は一般人になるって決めたからよ」
「そうだね……あたしも真面目になるって決めたから、もうやめよう?」
喧嘩が今にも始まりそうな空気だったが、俺も如月も成長したのか、それともこれから始まる高校生活がいきなり終わることを恐れたのか、お互い意外なほど素直に身を引いた。
「それにしても、お前なんで俺のことわかったんだよ。名乗ったっけ?」
「声と目付きで思い出した。最初は他人の空似かなーって思ったけど、アイツらと喧嘩し始めて確信に変わった」
どうやら今朝の揉め事はバッチリ如月に見られていたらしい。
「お、俺は話し合いしてただけだぜ?」
「蹴飛ばして土下座させるのが話し合いなんだ、さすが狂犬鹿島は言う事違うね」
「全部見てたんかい!?」
「全部は見てないけど、墓穴は掘ったな」
「あっ…………」
ニヤニヤ笑う如月の顔面を見て、俺は心底コイツが怖いと思った。
喧嘩が強いだけじゃなくて、頭も回るのかよ。
「大方そんなことだろうと思ったよ。あんな連中、会話が通じるわけないし」
「頼む!! まじで今朝のことはクラスのみんなには言わないでくれ!!」
両手を合わせ、恥を忍んで如月に頭を下げた。
「別に言う気はねーよ。あたしも元ヤンだってバラされたくねーし……」
「ホントか!?」
「アンタがあたしの過去を黙ってるって約束してくれるならね」
「するする!! 約束する、約束するから、黒歴史開示だけは勘弁してくれ!!」
「あの鹿島が頭下げるなんて、どんだけ必死なんだよ……絶対言わないから」
よかった、とりあえず俺が元ヤンだということは黙っててくれるようだ。
最も向こうも同じ過去を抱えていて、同じ弱みを俺も握っているから、約束してくれることは計算のうちだった。
「で、どういう風の吹き回しなんだよ。あの狂犬鹿島がヤンキーやめるって」
如月は呆れかえった様子でそんなことを聞いてきた。
「なんか急に萎えたんだよ。ぶっちゃけ喧嘩ダルいし、普通に青春したいだけ」
「自分から喧嘩吹っかけまくってたくせによく言うよ……」
「そういうテメーはなんで八中の頭やめて、急に真面目になるって決めたんだよ」
「あたしだって色々あったんだよ。もうやんちゃはやめて、真面目になろうって決めるくらいの出来事があったんだよ」
あまり詳しい事情を話したくないのか、随分と濁された表現だった。
過去に揉めていた相手と言えども、これ以上追及するのは無粋だろう。
あまり怒らせて機嫌を損ねられたら、それこそ俺の過去を暴露されかねない。
「……ま、色々言ってもよ、結局不良やめて真面目になるって点は同じだろ?」
「そうだな。で、アンタもあたしも過去がバレたらまずいって点は同じだな?」
目標にしていた因縁の相手との再会。
正直、再戦を挑みたい気持ちがないわけではないが、正直今更という気持ちが大きいことと、ド派手に喧嘩して俺の過去がバレることのほうが問題だ。
それは向こうとて同じことであると、話していて分かった。
「……俺たち色々あったけど、手打ちって事でいいよな?」
「それ普通仕掛けられた側が妥協して言う事だろ。まあ、あたしは別にいいけど」
「まあ、アレだ。今まで突っかかって悪かった……これからは穏便に行こうな?」
「別にもう今更どうでもいいよ。それより明日からどうする?」
「どうするって?」
「あたしらの関係だよ。アンタを呼び出すためとはいえ、クラスのヤツにあたしら知り合いみたいに思われてたじゃん」
確かに、翔太は俺たちがどういう関係なのか気になっている様子だった。
あの場は適当に誤魔化したものの、一緒に帰ってしまっている以上、明日になれば間違いなく追及を受けることだろう。
過去を秘密にしなければいけないため、正直な関係を言うことはできない。
「……普通に同郷で、そういえば同じ塾にいたよねって事でいいんじゃね?」
「塾? ……アンタ、そんなの行ったことあんのかよ」
「ねーよ。だけどそれが一番辻褄合うし、なんか聞かれたらそれでいくべ」
「確かにそうだな……鹿島って案外頭いいじゃん、それでいこう」
これならいきなり仲良しに見えても何ら違和感はない設定だし、如月からも褒められたけど、我ながらいい発想だと思った。
「それであたしからも提案なんだけど、友達作るなら同じグループにしない?」
「は? どういうこと?」
「相互監視。アンタだって見える距離にいないと気になって落ち着かないだろ」
「あー、確かに……」
言われてみれば、確かに裏で秘密を暴露されているんじゃないかと、疑心暗鬼になる可能性は高い。
悪く言えばお互いを信用していないという事だけど、そういう意味では相互監視ができる環境下、つまり同じ友達グループに入るのは名案だろう。
「じゃあ決まり。お互い、卒業まで絶対に隠し通さなきゃいけないしね」
「……だな」
誰かが言ったわけでも、お互い言ったわけでもないけど、これはいわば同盟。
バレたらまずい者同士、元ヤン同盟結成の瞬間である。
「ま、よろしくな、"元"狂犬鹿島サン」
「オメーもな、"元"鬼の如月サン」
こうして俺と如月はお互いの利益のため、手を結ぶことになった。