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第5話 出だしは順調、解決は妖精に

「いない」

エルネストはぽつりと呟くと、ハラハラと涙をこぼした。

亡霊が近くにいない。それがどれほど安堵するか。きっと亡霊を視たことがないものにはわからないだろう。きっとずっと一人で耐えていたのだ。我慢していたのだろう。

 クローディアは隣に座り、彼の震える小さな肩を労わるように眺めた。

 今クローディアたちは侯爵家の広い庭にある四阿に2人並んで座っていた。

 侯爵家のメイドたちもお茶の用意を済ませると、すぐに下がって2人きりである。

 初めて自分と同じものを視、共有する人間に出会い、一気に気が緩んでしまったのかもしれない。今も縋るようにクローディアの左手を握ったままである。

 これは今日家に帰るのは難しいだろう。

 彼の境遇がわかった今、見過ごすつもりはないが、できれば高位貴族とは関わらずにいたかったとも思う。いつ機嫌を損ね、没落街道まっしぐらになるかわからないからである。内心複雑である。

 少しでもリスク回避する為には、彼の状況をなるべく早く改善して、元に生活に戻る。これが目標だ。テンリがクローディアを待っているのである。

「妖精は、どこに行ったの?」

 ようやく涙がとまり、そろそろとエルネストが顔をあげた。

「庭を見て回ってるみたいですわ。探索するにはもってこいの陽気ですから」

 クローディアはハンカチを差し出す。

「ありがとう。クローディア嬢も見て回りたかったんだよね?」

 エルネストはクローディアの手を握ったままの手と反対の手でハンカチを受け取り、涙をぬぐう。

 手が離されるのかと思ったが駄目だったようである。

 きっとクローディアたちから見えないところで見ているメイドや護衛からは、仲良くなったと誤解を受けているような気がする。違う、いや違わないのか? どちらにしてもできれば、放してほしかった。彼女の願いとはうらはらに、がっつり掴まれた手は離れそうもない。

 諦めて話を進める。

「あら、名前、憶えてくれていたのですね。光栄ですわ」

 さっき聞いたばかりだ。忘れる筈はないだろう。

 が、ずっと無視されて、クローディアは居心地がかなり悪かったのだ。

 多少不敬ではあるが、ちくりとやらせてもらってもばちは当たるまい。これくらいで怒りだしたりしないだろう。しないで欲しい。 

 クローディアの言葉の下にある気持ちがわかったのだろう、エルネストが決まり悪げに下を向いた。

「すまない。失礼な態度だった」

「はい。謝罪は受け取りました」

 ふう。セーフ。内心で汗をぬぐいながらも、クローディアはにっこり笑う。

 エルネストは自分に非があると認めて、たとえ身分が下の者に対しても、謝罪をしてくれた。

 これは友達になれるかも。

 そこでクローディアはブンと大きく首を振った。

 いやいや。侯爵家の子供と友人になってどうする。学院にあがった時にいじめに合うに決まっているではないか。友達ではなく、知人、そうだ、知人の範囲内でとどめておくべきだろう。

「クローディア嬢? どうかしたか?」

「いいえ! 何でもありません。それより、気持ちは落ち着きまして?」

「ああ」

 恥ずかし気に頬を染めるエルネストは、かっこ可愛い。

 少しくせ毛の銀髪が顔にかぶさって、効果をあげている。

 頑なな態度を取り払えば、きっと素直な性格なのかもしれない。

 彼は本当に頑張ったとクローディアは思う。

 クローディア自身も同じ境遇であったが、視えるものが違った。

 クローディアは妖精、姿形は怖いものはいなかった。何より最初のころは小さい者たちばかりだったので、全然恐怖を感じなかった。

 妖精たちがいうには、人間を悪く思う妖精もいるので気をつけるようにとは言われていたが、今まで会ったことがなかった。だから、クローディアの世界は優しかった。

 一方、エルネストの場合は真逆である。

 亡霊の姿は恐ろしいし、エルネストよりも大きいものばかりだったのかもしれない。その上、怨嗟の言葉ばかりを吐き続けられたりしたら、恐怖の毎日だっただろう。

 クローディアだったら、きっと引きこもるだけでなく、おかしくなっていたかもしれない。

 クローディアはぶるっと身体を震わせた。

「クローディア嬢? 寒いのか?」

「いいえ。違いますわ。それより、クローディアとお呼びくださいな」

「では、僕もエルネストと」

「いえ、それはご勘弁を。侯爵家のご子息を呼び捨てにするのは、恐れ多い事でございます。エルネスト様とお呼びしても?」

「僕が構わないと言っているのに」

 エルネストが唇を尖らせる。

「申し訳ございません。ですが、けじめはきっちりとしないと」

「わかった。今は我慢しよう」

 いや、ずっと我慢してくれ。

「ありがとうございます。早速ですが、エルネスト様、あれらを視るようになったのは、いつからですの?」

「父上に王都に連れて行かれてからかな。それまではここでもうっすらと影のようなものは視えていたんだけど、気のせいかと思っていたから。それが王都の屋敷に行ったら、ここにいるよりも強烈な奴がいて。はっきり視たのはそれが初めてだった。それから段々次々視えるようになってきて。僕に視えてるとわかったら、どんどん近づいて来たんだ」

 エルネストはクローディアの手を握る。

「そうなのですね」

 じわじわと近づいてくる。怖すぎる。

「エルネスト様、大変言いにくいのですが、あの亡霊たちが消えたのは一時の事ですわ。また現れます」

「え」

 エルネストは途端顔を青ざめた。

 ララの言葉は聞こえなかったらしい。ララがそうしたのかもしれない。

「ララが一時的に遠ざけたのです。ララでも、追い出すのは難しいそうです」

「そんな! じゃあ、僕はまた」

 エルネストは俯き、また震え始めた。クローディアは自分の手を握っている彼の手に、右手を重ねる。

「大丈夫ですわ。2人でなんとか解決しましょう。エルネスト様が心穏やかにすごせますように」

 顔をあげたエルネストは縋るようにクローディアを見る。

「本当に?」

「はい」

「なぜ、そこまでしてくれるの? 失礼な態度を取った僕に」

「同じように、他の人が視えないものを視て、声が聞こえてしまうからでしょうか。それにエルネスト様は元々は失礼な方ではないでしょう?」

「クローディアは本当に、僕と同じものが視えるの?」

「正確には違いますね。エルネスト様に触れていると亡霊たちが視えるみたいです。エルネスト様も同じでは?」

 エルネストは首を傾げる。

「エルネスト様は、ララのような妖精を今まで視た事はありますか?」

「いや、今日が初めてだ」

「私もエルネスト様が視ているあれらを視るのは初めてです」

 クローディアはエルネストの方へ体の向きを変えた。

「エルネスト様、これからいう事はララが言っていたのですが、私もエルネスト様も他の人間よりも眼も耳もとてもよいのだそうです。だから他の人たちよりも視えて聞こえてしまうのです。この世界は人間が見ている以上のものが多くいるみたいです。私たちも人より多く視えますが、すべてではありません」

 クローディアはそこで少し考える。どういえば、わかりやすいだろう。

「そう、例えば、この国の主神である女神エーレフィア様のお姿は視えないでしょう?」

「主神は本当にいるの?」

「ララがいうには、いるらしいです。ララもお会いしたことはないそうですが、もっと偉い妖精は女神さまとお会いした話をしてくれるそうです」

「そうなのか」

「私たちが視えていない存在が確かにこの世界にある。その世界で、私たちは普通の人よりそれらを多少見ることができるようです。そしてその視える範囲が、私とエルネスト様とまた違うのですわ」

「僕は亡霊を視、君は妖精を視られる」

「そうです」

「僕も妖精の方がよかった」

 エルネストが唇を噛む。

「そうですね。選べるのであれば、その方がよかったですね」

 そうなのだ。これはきっと生まれつきのもので、選択の余地などなかった。

「不思議なのは、2人が接触すると2人が視える範囲が広がるというところですわ。これは理由がわかりません。またこの現象は他の視える人たちと接触した場合もそうなのか。それとも私たち2人だけなのか。これもわかりません。」

 実はララは考えられる理由を言っていた。2人は相性がいいのだろうと。

 それは断固として告げない。ええ。告げませんとも。

「どちらにしろ同調できたおかげで、エルネスト様の状況が分かりましたし、対策も立てられるというものですわ」

「対策? 対策なんてないよ。目を瞑って、耳を塞いで逃げるしかない」

「そうですね。1人ならそうするしかなかったでしょう。でも私たちには、ララがいます」

「妖精?」

「そうです。ララの他にも、私の家には沢山の妖精がおります。きっと相談に乗ってくれますわ」

「でも、ここには1人しかいないよ」

 エルネストはララを1人、人間と同じように認識できるらしい。クローディアと同じである。

「大丈夫ですわ。いざとなれば、ララがきっと仲間と連絡をとってくれるでしょう。あるいは、この家にいる妖精を見つけて協力してもらうのもいいですね」

「ここにもいるの?!」

「いると思いますよ」

「本当に?」

「はい。そうしましたら、後でご挨拶しましょうか?」

「うん!」

 よかった。エルネストの顔が少し明るくなった。

 少しは気分が上向きになってくれたら幸いである。

 ララが帰ってきたら、話し合いが早急に進めよう。

 目の下に濃いクマ。あまりに痛々しい。

 エルネストが少しでも早く安心して眠れるように。

 そしてクローディアの平穏な日々を取り戻すためにである。

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