第3話 遠くまで連れて来られましたわ。遥々侯爵家まで。
「えーちら、おーちら。馬車に揺らり揺られて連れられて行きますわ~」
「やめなさい。人聞きが悪い」
「申し訳ありません」
つい、心の声が口から洩れてしまったらしい。
クローディアとギャノンは6日かけて、パースフィールド侯爵領へとやってきた。
本日、問題のお子様と対面である。
はっきり言って、そのお子様にはテンリより興味がない。
早々にあちらから見切りをつけていただいて、日々の暮らしに戻りたいものである。
だいだいクローディアなんて妖精が視えるだけで、後はなんら他の子どもと変わらない無力な大人しい子供なのである。そこのところを押したい。
馬車が止まった。どうやらパースフィールド侯爵家へ到着したようである。門を通り抜けてから数分経ってやっとである。門から歩いて数十歩のグレームズ男爵家とはえらい違いである。
「ほら、出ておいで」
ろくでもない考え事をしている間に、父はさっさと馬車を降りていたらしい。
父の手に掴まりながら、馬車を降りると、パースフィールド侯爵家を見上げた。
「ああ、流石ですわ。ウチとの違いが一目でわかりますわね」
手入れが大変だろうとつい考えてしまうほど、装飾を伴ったライトイエローの石造りの堂々たる屋敷。グレームズ男爵家の何倍あるのかわからない。部屋数は50を超えるのではないか。
「なんだい。言いたいことがあるなら聞こうじゃないか。後でね」
クローディアに身体をかがめて、ちいさーい声で話した父に、クローディアは苦笑した。
侯爵家の玄関前でも、父はどこまでもマイペースである。
そんな父にほっと、身体の力が抜けた。どうやら知らず緊張していたようである。
それはそうだ。見知らぬ土地、侯爵家の大きな屋敷。圧倒されないほうがおかしいのである。
よし、とクローディアは腹をくくった。
折角ここまで来たのだ。せいぜい追い出されるまで、侯爵家を楽しもう。きっと二度とこのお屋敷に来ることはないだろうから。ウチの屋敷に取り入れられるところがあれば、取り入れていけるようにじっくり見学させてもらうのだ。庭だって一個中隊が訓練できるほどに広い。散策し甲斐があるというものだ。
「ふふ。お父様。参りましょう」
2人が玄関先に立つと、観音扉が内側から開いた。
クローディアとギャノンはパースフィールド侯爵家へ足を踏み入れた。
「遠いところ来てもらって、すまない」
応接室に早々に通されたところで、待っていたのは、なんとパースフィールド侯爵当主、その人だった。
クローディアはパカリと開いた口を慌てて引き締めた。
驚きである。まさか当主自らに出迎えられるとは。
その思いを代弁するかのように父が上擦った声をあげた。
「き、恐縮でございます。まさか当主様にお迎えいただけるとは」
「当たり前だよ。こちらから呼びつけて置いて、代理のものに処理を任せるなんてしない。それも大事な息子のことをね。さあ、堅苦しい挨拶はいい。長旅で疲れているだろう。座ってくれ」
父とともに、クローディアは示されたソファに並んで座った。
ふかふかの濃紫の布張りだ。お茶など零したらと思うと冷や汗がでる逸品である。
今まさにギャノンとクローディアにお茶を出しているメイドは毎日緊張の連続に違いない。なぜなら、絨毯も負けず劣らずのソファに合わせた豪奢な濃紫のそれである。
もしクローディアが畑の土を落とさずに、これを踏みしめたならば。
クローディアは軽く首を振った。考えたくもない。
そんな一瞬の逡巡に振り回されたクローディアをよそに、侯爵が切り出した。
「改めて、来ていただいた事に感謝する。私がアウグスト=パースフィールドだ。」
アウグスト=パースフィールド。
侯爵家特有の紫がかった銀の髪に、藍色の瞳。その瞳には息子を心配する色がありありと浮かぶ。
「お初にお目にかかります。ギャノン=グレームズです。こちらが娘のクローディアです」
「娘のクローディアでございます」
ソファに座ったままなので、目礼する。
「面識もないのに手紙で呼びつけて、本当にすまない」
「いいえ、ご子息様を思えばこそでありましょう」
相手は侯爵、こちらはしがない男爵、たとえ畑の収穫期に呼びつけられても、にっこり笑って謝罪を受け入れるしかない。上に逆らっては生きてはいけない貴族社会。底辺貴族には厳しい世界なのである。
「そう言ってもらえると助かる。クローディア嬢は、可愛らしいね。ニコルから聞いた通りだ」
何をどう聞いたのか、詳しく聞きたい。クローディアは栗色の髪に濃い緑の瞳と、父と同様の色合いで令嬢特有の色白さはない。毎日畑に出ているため、ほっかむりをしていても日に焼けてしまうのだ。今日は薄―くおしろいをはたいているため、ちょーっと日焼けしてるかなくらいになっているが、実際は結構いってしまっている。
きっと見た目ではないだろう。性格をほめているに違いない。
ニコル叔父よ。どのように話したのか。せめて、事前に説明が欲しかった。
「お褒め頂き、恐縮ですが、娘がお役に立てるかどうか」
「大丈夫。きっと息子の心を開いてくれる。そう、私は信じているよ」
重いプレッシャーである。
大人の会話に振られていないのに、割り込むのはどうか思うが、無礼を承知で、ご子息の状態を尋ねなくてはなるまい。
でないと、なんの説明もないまま、ご子息と対面させそうな雰囲気が出ている。
そういえば、手紙にはお医者さまも原因が分からないと書いてあった。父の言である。
身体的病気ではない。精神的なもの。
状況が全く掴めていないのか。あるいは話したくないのか。
だが、こちらに助けを求めている以上、話してもらわなければならない。
ヒントの1つもなければ、何か粗相をしてしまって、窮地に追いやられたらまずいのだ。
侯爵家に睨まれたら、ぺしゃんこにされてしまう底辺貴族なのだから。
「あの、侯爵さま、ご子息は今、どのようなご様子なのでしょうか?」
クローディアは意を決して尋ねてみる。
アウグストは一瞬真顔でクローディアを見つめた後、目を伏せた。
「手紙に書いた通り、あれが、エルネストが、部屋に引きこもってしまったのは、今年の初めに王都に連れていった時からだ。エルネストもそろそろ王都で色々と学んでもらわねばと思い、連れていった。最初の数日は何事もなく過ぎた。しかし、徐々にエルネストの様子がおかしくなっていったのだ。
物陰に怯え、人に怯え、果ては、家族さえも遠ざけるようになった。訳を聞いてもただ首を振るばかりだ。とうとうベッドからもでなくなってしまった。医者からこれではいずれ身体も衰えてしまうと言われ、領地に連れ帰った。王都よりは落ち着くのか、一日中ベッドからでないということはなくなったが、部屋からは滅多に出なくなってしまった」
アウグストは両肘を膝につき、組んだ手に顔を寄せる。
「以前は勉学はもちろん、剣の稽古も積極的で、私についてよく領地も回っていたのだ。それが今は一向に外に出ようとしない。このままでは息子の世界は狭いまま終わってしまう」
そこでアウグストは視線を上げて、真っ直ぐにクローディアを見た。
「私も息子の状況を改善しようと試みた。あれに近い年齢の子供、男子女子問わず、招いて何とか息子の気持ちを開かせようとした。だが、一向に埒があかないのだ。いったい何があったというのだ」
最後はクローディアに話すというよりも、自問しているようだった。
「クローディア嬢。どうかお願いする。君の機知に富んだ、そして大らかな心であの子を救ってほしい。元の明るいあの子に戻して欲しい」
手を尽くして、もうこれしかないところまで来たものの目を向けてくる、侯爵が辛い。
国の重鎮。並の圧ではない。
ただ、一言言わせて欲しい。クローディアもまだ若輩者の6歳の女子である。
いったい叔父はどのような話をしたのか。首根っこをガタガタ言わせて問いたい。
本当に過大な期待はやめて欲しい。
それを言えない男爵家の娘という立ち位置が辛い。
クローディアが言えるのは、この一言、これしかない。
「頑張りますわ」
クローディアはじわりと額に滲んだ汗を拭くために、ハンカチを取り出した。
隣にいる父も同様の行動をしていた。
「ありがとう。では、早速で悪いが、クローディア嬢、息子に会ってもらえるかな」
クローディアは侯爵の圧に押されるように、執事に従い、父を残し、応接室を後にした。




