第17話 さらば、亡霊。さらば、侯爵家よ
サーフィス入りの小人を見送った後、クローディアはエルネストに向き直った。
「さあ、エルネスト様、これから外出ですわよ!」
「教会だね」
「そうです! 亡霊を引き受けてもらうのです。本当の理由は言えないまでも、慰問と称して、亡霊を鎮めてもらえますよう、それとなくお願いしに行きましょう!」
よかった。道具を待つ間、時間を見つけては、離れないエルネストとともに、厨房を借りてお菓子を沢山作っておいたのだ。
「お菓子も持っていきましょう!」
「ああ」
エルネストも力強く頷いた。
持参するのは、お菓子だけではない。
エルネストから、ドワーフから得た最新情報を侯爵に話し、寄付も出してもらえるようになった。侯爵にしても、息子の話に半信半疑なものの、慈善活動の一環として、教会への寄付をするのは問題ないので、寄付の了承と2人の外出の許可が出た。
もちろん、がっつりと護衛付である。
そうして2人は、パースフィールド侯爵の屋敷から一番近く、かつ、一番大きい教会を訪れた。
亡霊がどこの教会に飛ばされるのかわからないから、とりあえず近場の教会へと赴いたのである。
結果、亡霊が違う教会に飛ばされていたなら、後日また、そこへ訪れればよいのである。
この地に縛られている亡霊である。それほど遠くに行くまい。
パースフィールド侯爵領は広大である。従って大小あれど、教会の数も多い。願わくば、すべての教会を回るはめにならないよう、願いたいものである。
ちなみにこの国は多神教ではあるものの、主神はやはり女神エーレフィアである。
教会に着くと、2人は神父に早々に挨拶をした。
メインは侯爵家子息、エルネストの慰問であり、クローディアはおまけである。
神父はエルネストの不意の慰問にも快く応じてくれ、思わぬ寄付に顔を綻ばせる。
そしてさすがだと思ったのは、貴族であるクローディアの髪がベリーショートなことに、神父様は一切触れなかった。
大変できた、お人である。きっと教会に併設されている孤児院の子供たちにも、様々な事情のある子どもが沢山いるのだろう。そういった子供たちを見て来ているからこそだろう。
うむ。神父様、どうかその慈悲深い心で、侯爵家の亡霊をよしなに、とクローディアは心の中で礼をした。
それから2人は、孤児院にも足を向け、お菓子を差し入れてから、礼拝堂に足を踏み入れた。
濃紫の長い絨毯の先、最奥のステンドグラスを背に、女神エーレフィア像が飾られている。2人は階段上にある女神像に近付くと、片膝をついた。
そして手を組み、祈りを捧げる。
どうか。どうか。この場に導かれた亡霊に安らぎをと。
そしてどうかグレームズ男爵家の平穏もお願いします、と、クローディアはこっそり祈りを追加したは内緒である。
教会からパースフィールド侯爵家に戻った2人は、午後、侯爵アウグストを後ろに亡霊を教会へと送るべく、手を繋ぎ、侯爵家をめぐる。
もう手を繋がなくてもよいくらい、亡霊を感知できるとエルネストに伝えたのだが、完全に感知できるようになるまで念入りにしたほうがいいとの言葉に、がっくりと肩を落としたのはつい先ほどだ。
クローディアとしては、この件が一段落したらグレームズ男爵家に帰るのだがら、亡霊が視えなくなっても一向にかまわない。いや、むしろいらぬ苦労をせずにすむのだから、その方がありがたい。
その考えが見透かされたのか、少し怖い笑顔で、エルネストががっちり手を握ってきた。
クローディアの口角がひくりとなったまま、2人が最初に見つけた亡霊は、クローディアが一番初めに視た亡霊、ララが一時的に吹き飛ばした亡霊だった。片手がない兵士。片方の眼球が頬まで垂れ下がっている。風もないのにぶらぶら目玉が揺れている。姿は最初視た時と、変わらない。
思わず悲鳴を飲み込んだ。この屋敷の中で彼が一番ひどい姿をしている。隣のエルネストも久しぶりにその亡霊をじっくり視たからなのか、顔が青ざめている。
今まで視なかったが、やはり、屋敷内でうろうろしていたらしい。
まずは彼から。エルネストと深くかかわり合うことになった、きっかけを作った彼を一番先に送ろう。
「エルネスト様」
「ああ」
エルネストが右手に持ったレタの鏡を亡霊に向ける。
クローディアも左手をエルネストの手に重ねる。
「この地に思いを残す同胞よ、我ら2人が願う。女神、エーレフィアの慈悲が届く場へと導かれんことを! ターリーマーシャリア!」
刹那、鏡の部分から膨大な光が溢れる。
「ああっ!」
その悲鳴はエルネストか。パースフィールド侯爵か。それともクローディアか。
光は網のように広がり、亡霊を包む。絡み取られる亡霊。やがて人の輪郭が消失。光の筋に変化し、鏡へ吸い込まれた。
その間、10秒ほど。
残るは静寂のみ。もうあの亡霊はいない。
驚いた。目が飛び出るほど驚いた。
不思議なものを視なれているクローディアでも、ここまでの不思議な現象は初めてだった。
「成功、したんだよね?」
思わず敬語も忘れ、エルネストに問いかける。
「ああ。ああ!」
最初エルネストも呆然としていたが、二回目の返事は確信したように頷いてくれた。
クローディアもそれでほうっと息をつき、後ろを振り返る。
パースフィールド侯爵も、驚きで目を見開いている。
亡霊が視えなくとも、鏡から発せられた光は視えたようだ。
これで少しは、クローディアたちの話を信じてくれるだろうか。
「さあ、エルネスト様。サクサクと亡霊を教会へ送っちゃいましょう!」
クローディアは切り替えるように、少し声を大きくした。
「ああ!」
エルネストも力強く頷く。
侯爵家は広い。気合を入れて前へと踏み出した。
が、結果としてその日、教会へと導けたのは、亡霊3体までだった。
どうやら、亡霊を送る行為、あの光のエネルギー源は2人の体力と気力を元にしているようで、2人は3人目を見送った後、そこで力尽きてしまったのである。
その為、侯爵家にいた亡霊すべてを送り出すのに、約1週間かかった。
気力も体力も底辺になった2人は、その後十分な休養をとった。回復した2人は慰問した教会へと向かい、礼拝堂を訪れた。
「いるわね」
「うん」
2人が見上げるは礼拝堂の天井。そこには、2人が導いた亡霊たちがいた。どうやら、レタの鏡に導かれた場所は、この教会で間違いなかったらしい。
クローディアはほっと安堵の息をつく。
違っていたら、亡霊たちが導かれた教会を、探さねばならなかった。
送りっぱなしにする訳には行かないからだ。それは流石に無責任すぎる。
こうして亡霊が無事に教会へとお引越し?したのを見届けても、定期的に亡霊がどうなっているか確認は必要だろう。
それにしても、ドワーフのサーフィスの言った通り、亡霊たちは教会からは出られないらしい。
大半はまるで眠っているようにじっと一つのところに浮かんでいる。中には苦悶の表情をしているものやうごめいている者もいるが。それは生前の性根の問題なのかもしれない。
エルネストとともに、クローディアは女神エーレフィア像に膝を折る。
「どうか彼らを、遙かなる高みへ導いてくださいますよう」
これでエルネストの愁いは、大いに緩和された。
パースフィールド侯爵の屋敷内であれば、心穏やかに過ごせる筈である。
クローディアの役目は終わった。
ならば。
次に待つのは、別れである。
教会に亡霊を確認しに行った翌日、パースフィールド侯爵家の玄関ホール。
「クローディア、手紙を書く。そしてできるだけ会いに行く。君もどうか会いに来てほしい」
見送りをしてくれるエルネストは、クローディアの両手をぎゅっと握りしめる。
クローディアは6歳。問題が解決した後、親元からいつまでも引き離しておけないとわかってくれたが、彼の瞳は悲しみに揺れている。
エルネストの言葉に対して、クローディアは曖昧な笑みを浮かべた。
クローディアだって、自分と同じものを視るエルネストとこれからも付き合っていきたい。
けれども、2人には身分差がある。
現にエルネストの後ろにいるパースフィールド侯爵は微妙な顔をしている。
息子がここまで彼女に執着するとは思わなかったのだろう。
侯爵家の子息であるエルネストは、もっと身分に相応しい人と懇意にならなければならないのだから、このままクローディアにべったりでは困るのだ。
今回の解決に、侯爵が納得したかは不明だ。
侯爵家にいたすべての亡霊を教会へと導いた後、改めて3人で話し合いの場を持ったが、すべて納得したようにはみえなかった。
パースフィールド侯爵にとって一番重要なのは、息子の引きこもりを解決すること。
自身が納得しなくても、息子が納得し、通常の日常生活をおくれるようになればよいのである。 それが達成できた後、身分差のある令嬢は、不要なのである。
それはクローディアも心得ていた。
「お手紙の返事を書きますわ」
だからクローディアは、精いっぱいの返事をする。
下位貴族の娘が、侯爵の機嫌を損ねる訳にはいかないのだから。
「クローディア。絶対会いに行くから!」
エルネストがそのつもりでも、実際には難しいだろう。
それでもそれはここで告げない。
やっとクローディアが帰ることに頷いてくれたのだから。
「はい」
クローディアは果たされないだろう約束に、頷き、馬車へと乗り込んだ。
「さようなら、エルネスト様。どうか健やかに」
かくて、6歳のクローディアには、重すぎる案件は幕を閉じた。
見送ってくれたエルネストの姿が、馬車の窓から見えなくなると、クローディアは椅子の背もたれにずるずると身を預けた。
「はあ。つっかれたよー。しばらくは畑を耕して、のんびりしたいわねえ」
それは男爵令嬢としてどうか、と、突っ込むグレームズ男爵家メイドのミカはいなかった。
次回最終話です。




