表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

Girls be ambitious!

第一話:Boys be ambitious.

 Boys, be ambitious.

 ――少年よ、大志を抱け。


 いつの日かの退屈な授業中。教室に吹いた風がたまたま自分の教科書のページをめくりあげる。その時、ふと教科書に目をやったら映り込んだ言葉がこれだった。


 誰がこんなことを言ったのか、別に教科書を見る前からどこかで耳にしていて、記憶の中にずっと残って心の中で響いていた。


 恥ずかしい話、野心を抱くことを許された気がしていた。夢を目指す事を許された気でいた時期がある。しかし今は違う。安易に夢を持たせる言葉や人が嫌いになった。有名人たちやプロプレイヤーたちが名言だとばかりにこぞって言う。


 ――夢や希望は諦めなければ実現出来る!


 多くの人らは、これに感化されてしまう。


 自分も出来ると錯覚した。確かに諦めなければ叶うのかもしれない。しかし現実は違う。多くは道半ばで尽きてしまい諦めなければいけない時が必ずくる。


 かつての自分はそうだった。今では忘れてしまった大事だった何か。それに感化されてしまった当時の少年は思ったんだ。何か大きな事をやり遂げれる気がした。何かを残せる男になりたいと思った。恥ずかしい話、自分がこれから成す事が世界を変えれる気でいた。


 そう信じて夢中になって真剣に取り組めば取り組むほど、現実を知るようになる。得意分野と思っていた事や負けないと思っていたものの中に上位互換が居た。上位互換を見つけてしまったら最後、今まで一直線に見えていた視界は広がり、上位互換と思った対象の更に上位互換が居ることを知った。


 天井は遥か上でキリがない……。

 

 終わりが見えない事や自身の至らなさに自己嫌悪して今まで大切にしていたもの全部がどうでも良くなってしまった。

 そして言われるのが「きっと頑張り続ければ――」とかなんとか。


 頑張り続ければ報われるとでも言いたいのか?この経験は無駄ではなかったとでも言いたいのか?そもそも本当に継続して取り組めるなら誰かに言われなくてもやり続けれるし、それこそが才能であるべきだ。


 言葉を重ねる程に惨めだよ……。自分が百パー間違っている事くらいわかっている。


 こんな気持ち誰にもわかりっこない。わかられたくもない。

 だから俺は言わずにはいられない。

 安易に夢を持たせるな……と。


「はぁ……」

 

 本当はもうそんな怒りも、とうに無くなってるんだ。

 今や、誰かを応援したり何かを読んで純粋に楽しんでいる方が心地いいと感じるくらいだ。すごく自分がわかる。


 挑戦者の才能より、傍観者の才能に恵まれていた。


 それを知った当時はその事すらにも苛立ちを覚えた。何かを見て感心したり感動した時に「素晴らしい!」ってなる……でも「悔しい」って。


 そんな感情も、繰り返すうちに苦しい事に気がついた。


 一度そう悟ってしまった時から自分の中の何かが壊れた気がして、そこから徐々に劣等感を持つことや一人もがいてるのが馬鹿らしくなり今に至る。


「――札幌農学校の初代教頭ウィリアム・スミス・クラーク博士……」


 教科書に載っている彼の銅像が目障りに感じ、普段あまり使おうとしないシャーペンを手に取りクラーク博士に落書き。バットを持たせて、帽子を被せて、背景は野球場。バッターボックスがお似合いだ。野球の大国から来たんだ、おあつらえ向きだろ?


 それに時期だっていい。窓からは入道雲が見えて蝉の鳴き声が遠くから聞こえてくる。授業の内容よりも、外の音の方がずっとよく聞こえる。……気がする。


 熱風が汗を乾かし少しだけ涼しく感じてる。夏独特の強い風が教室に吹き込んだ時に思うんだ。そろそろ夏休みなんだなぁって。


 夏休みと言ってもどうと言うことはない。

 このまま変化のない日々の中で自分自身、何も育まないまま、この風のように流れ、流されて。ただ生きていく。そう思っていた。


 あの女の子に出逢うまでは。


   ◇

 ミーンミンミンミンミー。

 炎天下、遠くの方を見たら大きな雲が確認できるが自分の真上には一切の雲がない。快晴の空とはまさにこの事。


 額から……いや、頭皮からも汗がドバドバ溢れて止まらない。鼻先と(あご)先に汗が集まり雫となって地面へとポタポタ落ちていく。


 多分、髪の毛先からも汗の雫が落ちてきている。


 ――時は(さかのぼ)ること数時間前。


「あぁ〜……きもちいぃ」

 冷房の効いた涼しい部屋でジュース片手にゲーム三昧。部活動に入ってる訳でなくただ気ままに過ごしている所に部屋の扉をノックする音がした。


「何〜、今すげぇ忙しいんだけど」

「訳のわからない事言わないで、あんた暇でしょ?買い物行ってきて頂戴」

 扉を開けて母がお使いを頼んできた。


「えぇ〜……。やだ」

「……小遣いあげるわ」

 母のその一言で気分が良くなる。冷房で冷えた気怠い体を無理やり起こして、急いで着替える。


「現金な子、洗濯物増えるから、そのままで行きなさいよ」

「やだね。どんだけ面倒でも寝巻きのまま外には出られない。それは俺に残された最後のポリシーだ」

「もうっ、変なこと言ってないで早くして頂戴。玄関に買い物リストとお金、それとお小遣いも含んで置いてるからお願いしとくわねぇ〜……」

 母は部屋を後にした。


 俺は早く服を着替えて、ワックスで頭髪を整える。自分も部屋を後にして、玄関の靴箱の棚に置いてある買い物リストと現金を確認。自転車のキーを持って家を出た。


 ――そして現在。


「チャリはパンクするし、小遣いって大層な言い方してたけど、アイス一本分だけだし……」

 (だま)されたとは言わない。確認しなかった自身の落ち度だ。


「はぁ〜……これで熱中症で倒れでもしたら俺は二度と御使いなんて行かないからな」

 しかしまぁ不思議なもんで。この暑さも嫌いじゃなかった。太陽は(まぶ)しいし汗は止まらない。でもやたら追い風だけが吹いて、服の隙間から入ってくる風が地肌のベトつきを乾かしてくれるのが心地いい。


 そんな感覚を覚えた時、周りの景色がゆっくりになった様に感じる。


 忙しなく働く大人たちが何人も通り過ぎていく景色や交差点で立ち止まり眺める車の一つ一つがスローに見える。一人だけが時間の軸から取り残されてしまった様な錯覚。


「大丈夫?」


 背中をチョンチョンと指で突かれて女性から声をかけられた。ぼんやりしてた景色が明確になりまた街の景色は喧騒(けんそう)を取り戻す。


 ハっとして振り返るとそこには制服を着る小さな女の子がいた。


「お兄さん、大丈夫?」

 多分、大丈夫ではなかったと思う……。心地いいと思った反面、明らかに意識が遠のく様な感覚に今気づいた。この少女に声をかけられなかったら、あのまま倒れていたかも知れない。


「あっ、ありがとう。助かったよ」

「そっか、今日はめっちゃ暑いもんね。これあげるから気をつけてね!」

 女の子はパ●コアイスの片割れを笑顔で差し出した。


「あっ……ありがとう」

 俺はひんやりと冷えたパ●コアイスを受け取った。


 黒髪のセミロング。風に(なび)いた後ろ髪が白銀に輝いていて――。天真爛漫で無垢なその笑顔に思わず見惚れてしまった。彼女は少し恥ずかしそうな素振りを見せてから何処かへと走り去る。


 物凄い速さで。

 その可愛らしい笑顔とその身長に似合わない身体能力の高さに思わず笑ってしまった。

 彼女のおかげで倒れずに済んだ俺はまたゆっくり自転車を押して歩を進める。ゆっくりゆっくりと時間をかけて。


 ほんの少しの不幸がなんだか爽やかな気持ちにさせてくれた、なんの変哲もない一日。

 俺は夏休み中、彼女の笑顔が忘れられないでいた。

 しかし、そんな体験をしたからといって何か日常が変化する訳でもなく、学校が始まるまでの残りの夏休みはずっと部屋に(こも)りきりだった。


   ◇

 

 あっという間に夏休みが終わり、新学期を迎える。まだ夏休みの気分が抜けない気だるい体を無理やり起こして登校する。学校に到着してから思い出す。


 この学校の校舎はとても古く、自身の教室の扉も木製で老朽化が進み、開けるのも一苦労だ。そんな扉を強引に開けてみると教室では久々に顔を合わせた生徒たちがひしめき合い、楽しそうに会話している光景が目に飛び込んできた。


「情報量が多い……」

 何が楽しいのかと、ため息をついて自身の席へと座る。


 すると――

「津秦、お前なにしてたんだよ」

 友人Aが声をかけてきた。


「スイートルームでしっかり休日を満喫していたよ」

「スイートルームねぇ。それよりか転校生来るかもって話、知ってるか?」

「……知らないし、興味ない」

「興味ないってお前、去年より暗くなったな」

「いや、俺は常にこんな感じだった。去年までの俺がおかしかっただけだ」

「あっそ……。なんか悩みでもあんの?」

「ない」

「ダウト」

「しつこいぞ……」

「はいはい、また気が向いたら言ってよ」

「なにもないって――」

 こちらの返事を聞かないまま友人Aはまた別のクラスメイトの元へ行ってしまった。


 あいつは昔からそうだ。こちらを気にかけている癖に、実際は関心がないような振る舞いをする。友人Aとは言うが俺はあいつが嫌いだ。


「転校生か……」

 俺もほんとに天邪鬼になったな。さっき興味ないっていう割にはもう気にしてる。天邪鬼?


 いや、ちょっと違うな。あいつが嫌いだから無意識に関りを避けているのかも知れない。

 

 教室の扉が急にドンドンドンっと、大きな音を立ててガタガタと震えながら扉が開く。 


 この独特で乱暴な扉の扱いは担任の先生だ。他のクラスの扉はこんなに建付けは悪くない。扉が開け辛くなってしまった犯人はきっとこの担任だろう。


「ったく、硬いな……よーし、席に座れー、ロングホームルーム始めるぞー」

 各々ゆっくりではあるが席に座り始める。


「もう知っている生徒もいるかも知れないが二学期から転校生がやってくることになった。有家(アリイエ)!入りなさい」

 先生が有家という生徒の名前を呼ぶと、ギシギシと音を立てるが扉は開かない。


 次の瞬間、教室にドンッと大きな音が鳴り響く。有家と思わしき女性生徒が足で扉を蹴り開けたようだ。

「有家!何してるんだ!」

 勿論、怒り出す担任。対する有家は不貞腐(ふてくさ)れながら反論する。


「いやいやいや、ここの扉の建付け悪すぎますよ。私が通うんだからこれくらい直しておいて下さい」

「……有家、後で職員室へ来なさい」

「はぁ~い」

 まるでちょっときつく(しか)られた五歳児の様だ。そして彼女は担任の隣に立ち、一切動じることなくクラスメイトの前で自己紹介を始める。


「私は有家セカイ。前の学校では皆にアリスって呼ばれてたの、よろしくね!」

 彼女が自己紹介を行ったと同時に教室には窓から風が吹いた。その風が彼女の髪とカーテンを(なび)かせて、カーテンの隙間から差し込む光が彼女を照らす。すると彼女の後ろ髪が白銀に輝いて、みんな言葉を失った。時が止まったように錯覚する。


 夏休みの時、声をかけてきた女の子。あまりにも幼い容姿だから同じ年齢だとは思わなかった……。


「有家、お前その後ろ髪染めてるのか」

「先生、これは地毛です」

「はぁ……それも後で詳しく聞かせてもらうからな」

「ほんとなんですって――」

 担任は彼女の言い分に対して聞く耳持たずって感じで、呆れた様子を見せてから座る席を指定した。

 担任が指さしたのは俺の後ろの席。彼女は視線をこちらへやると俺の顔を思い出したのか、こちらへとあざとい笑顔を向ける。


 俺も素直に笑い返したらよかったのだが照れくさくて、そっぽ向いてしまった。

「お前ら知り合いか?」

 彼女は先生の問いに答えずに席へと移動した。すれ違い様に小さな声で「あの時の――。」と呟かれてドキッとする。

 汗が止まらない。きっとこれはまだ夏の暑さが残るせいだと言い聞かせた。


   ◇


 ロングホームルームは担任の他愛もない世間話を聞かされて、緩やかに時間が流れていく。最初こそは転校生の登場で少し落ち着きがなかった生徒たちも担任の呪文のようなお経の様な話を延々と聞かされて静かになっていく。


 つまりは眠たくなっているという事だが、この中で一人だけが違った。後ろの席からちょっかいをかけられている。背中を指でなぞられている。しかも絶妙なタッチで。妙にくすぐったいがこの静かになってしまった教室で変な声を出すわけにもいかない。


 誰かに見られていないかと周囲を見渡すと友人Aと目が合った。こっちを見てニヤついてやがる……。

 クソがッ。

 ロングホームルーム終了のチャイムが鳴り響いた。


「おっ、もうこんな時間か……。今日はこんな所か、お前らも帰り道は気をつけろよ。最後の奴、カギ閉めて職員室へ持ってきておいて~」

 担任は生徒名簿を片手に教室を後に……と思いきやひょっこり扉か頭を出して有家を手招き、そして教室を後にした。


 担任が教室を後にしたと同時に生徒たちも席を立ち帰る人もいれば、まだ話足りないのか雑談を始める生徒も。でもほとんどの生徒は有家に群がった。

「ねぇねぇ、どこから来たの?」

「私もアリスって呼んでいい?」

「その髪、可愛いね」

 群がる生徒の多くは女子生徒で弾丸の様に有家に質問をする。


 前の席の俺は跳ね除けられてしまい、荷物も取れないでいる始末だ。すると友人Aが笑いながら隣に来た。

「津秦、あの子と知り合いなの?」

「……いや」

「ダウト、こればっかりは信じないぞ。白状しろよ」

「知り合いって程じゃないよ。夏休みに一度だけ。ほんとに一度会っただけだ」

「えぇ~、あんなに親しそうにしておいて」

「お前の眼は節穴か。あれのどこが親しそうに映ったのか」

「そうか、お前後ろ見えてないんだもんな。あの子凄いお前に対して興味ありそうだったぞ」

「そんなバカな……。やっぱりお前の眼は節穴だ」

 俺は何も期待しない。そう決めてるんだ。確証もない他人の言葉を信じない。

 

 自身の眼と体感でしか信用しない。人の言葉に乗せられて浮ついた気持ちになりピエロのように踊らされるなんてもう懲り懲りだから。


 友人Aと一緒に有家の周りを取り囲む女子たちを眺めて、カバン回収の機会を伺っていた。

 すると見なれない男子生徒たちが群がってゾロゾロと入ってきて教壇に立つ。いかにもって感じに柄の悪そうな連中だ。

 上級生か?

「ホームルームが始まった時、騒音を立てた奴はどいつだ!」

 群がる男子生徒の一人が大声で言う。

 教室は静まり返り、教壇近くに居た生徒たちも自分の荷物を持って席を離れた。

「多分それ私かも~」

 有家は自身に群がる女子生徒を退けて手をあげた。

 周りの女子生徒は「やめときなよ」「あぶないよ」と言いながらもわが身可愛さに有家よりも後ろに立つ。


「お前か……ちょっと俺たちについて来いよ」

「いやだよ」

「あぁん、やっぱお前舐めてるだろ」

「舐めないよ、だって汚そうだもん」

 それまで静かだった生徒たちがアリスの一言でクスクスっと笑い始めた。それを聞いた柄の悪い男子生徒の一人が「黙れ」と言って、机を蹴り倒して威嚇する。


「なんで連れていかれるかわかんねぇのか?」

「……正直わかんない。だって扉を蹴破ってちょっと大きな音が響いただけだよね?」

「それだけじゃねぇよ。扉を蹴破る馬鹿がテメェしかいないから、わざわざ探しに来たんだよ。お前夏休みに俺のダチに手ぇ出しただろ?」

 柄の悪い男子生徒の一人がそう言うと生徒たちはざわつき始めた。


「いやいやいやいや、こんな小学生みたいな女の子に先輩方がやられるわけないでしょ?ねぇ?」

 友人Aが有家の前に立って庇おうとしている。いや、これは完全に煽っている。

「おいっおまっ、やめとけって――」

 そう言った瞬間、女子生徒たちの姿が頭をよぎる。


「津秦、らしくないな」

 友人Aは憐れむような目線を向けた。

 柄の悪い先輩から視線を外してしまった友人Aは殴り飛ばされてしまった。らしさって、お前カッコつけてやられてたら意味ねぇだろ。


「あ~あ、先輩たちこんな事しちゃいけないのにどうするの?」有家は友人Aを心配そうにつつく。

「おめぇは今のソイツと比べれない程ひでぇ事したじゃねぇか」

「何のこと?」

「夏にテメェがやった奴は全治三か月で大事な試合に出れなくなったって言ってるんだよ!」

「ん~……でも私正当防衛だよ?」

「何が正当防衛だよ!お前怪我の一つもしてねぇだろっが!」

 男が有家に襲い掛かる。

 その拳はアリスの顔面に直撃し、有家の小さな体は後方へと大きく吹っ飛んだ。


「おっ、おい。お前やりすぎだって――」

「へっ、スカッとするぜ」

 柄の悪い連中も予想外だったのか心配そうする。


 流石に俺も心配になり有家の元へ駆けつけて声をかけたり体をゆするがビクともしない。保健室へ運ぼう。女子生徒には教師を呼んでくるように伝え、女子生徒たちも戸惑っていたが「早く」と急かすと数名だけ走って教室を飛び出した。


 その様子を見ていた柄の悪い男たちも、教師が来たら不味いと感じたらしく教室を去った。


「その子、運ぶの手伝うよ」

 友人Aが起き上がってきた。


「こいつちっさいから一人で大丈夫だ。一応ついて来てくれ」

「おう」

 有家を抱き上げて背負う。見た目通り、見た目以上。凄く軽い。話があまり見えないが、さっきの奴らとのやり取りを整理すると――。


 有家は柄の悪い連中のダチという奴に襲われそうになって、有家は正当防衛としてダチという奴を病院送りにした。


 はぁ~、自業自得だろ。

 でも――

「こんな軽い奴がそんな事出来るかよ」

 誰にも聞こえない程小さな声で呟いた。


「できるよ」


 耳の近くで突然ささやかれて驚いてしまい有家を落としてしまう。


「イテテテ……もっと丁重に扱ってよ。えぇえと――」

「津秦だよ。そんでもってこいつは友人A」

「友人Aってなんだよ」

「それよりか、お前は大丈夫なのかよ。顔物凄い腫れてきてるぞ」

 友人Aのツッコミは無視して話を進める。


「そうなの?……あっ、ほんとだ」

 彼女は自身の顔を触って初めて腫れているの実感したらしい。


「それもわからないのかよ。さっさっと保健室行くぞ」

「大丈夫だよ……それより、あの人たちの所へ行ってくるね」

 有家は立ち上がって一人歩き出す。

「あの人たちって、さっきの奴らだろ?行くな危ないぞ」

 有家の腕を掴んで引き留めようとしたが、簡単に振りほどかれてしまう。

「あっ、あの人かな?」

 有家は廊下から校舎外へと目線をやる。


 確かに、さっき教室に乗り込んできた柄の悪い生徒たちがのんびり下校している。有家は探し物を見つけたかのように廊下の窓から身を乗り出して男たちを確認し、窓から飛び降りてしまった。


「ちょっ!ここ――」 

 呼び止めても既に遅く、俺と友人Aは慌てて窓の外を確認する。


 それもそのはずで……


「津秦、ここ四階で間違いないよな……」

「そうだった気がする」

「じゃあ何であいつ全然平気そうにまた歩いてんだよ」


 知らないし、俺だって聞きたいよ。彼女が飛び降りるのを目撃した生徒も多いのか学校全体が少し騒がしくなった気がする。有家は歩くスピードを速めて目標の男に近付く。


 例の男子生徒も騒がしさに気になったのか振り返ると有家が居ることに驚いたがもう手遅れだった。なんとあの小さな体で自分の三倍はありそうな大男を殴り飛ばした。


 有家が殴られた同じ頬を殴り、よく見ると有家が殴り飛ばされたくらいの同じ距離まで吹っ飛んでいる。俺と友人Aはただ有家を見下ろすことしか出来ず唖然としていた。

「こらー!なにしてるー!!」

 先ほど女子生徒に教師を呼ぶように頼んで今頃来たわけだが、残念。教師も四階であるため窓から叫んで注意する事しか出来ない。


 下の生徒たちには聞こえていないのか、吹っ飛ばされた男子生徒の取り巻きたちも有家に襲い掛かる。教師は慌てて下の階へと走っていった。有家はまた攻撃をくらう。腹や腕や足。しまいには倒れこんでしまってリンチ状態。


 男たちも暫くすると蹴るのを辞めた。

 その場を去ろうとした男子生徒たちが校門に向かって歩き始めたとき、倒れこんでいた有家がゆらりと起き上がって、逆に男を一人づつ襲い掛かる。男たちも応戦したが全く歯が立たず。


 最後に立っていたのは怪我だらけの小さな少女、有家だけだった。有家はこちらを見上げて笑顔で手を振る。


「とっ、とりあえず手振っとけ――」

 俺も友人Aも戸惑い訳も分からず手を振り返す。数名の教師が慌てて有家の元に駆けつけて有家の腕を引っ張ってどこかへと連れていく。彼女はそれでも俺たちに手を振るのを辞めなかった。


   ◇


「あっ、津秦君。来てくれたんだー」

 きっと保健室に連れて来られているだろうと思い足を運ぶと、読み通りそこには有家が居た。


 友人Aは俺の代わりに事情説明をしてくれるというので置いてきた。有家の怪我は酷いものだ制服もボロボロで顔は腫れあがり、殴った衝撃の為か手も真っ赤。気丈に振る舞う……って感じじゃない。


 本当に何もなかったかのように笑顔でケロっとしている。


 四階から飛び降りても平気、数人がかりで襲ってきた男たちを全員なぎ倒す。こいつは一体何なんだ。


「お前――」

「お前じゃなくて、アリスって呼んで」

「あっ……アリス、それって――」


「大丈夫じゃないわよ」

 保健室の先生がアリスの手当てをしながら続けて喋る。

「大丈夫なわけない。この子、痛みを感じてないのよ……」

 先生は凄く深刻そうな顔で、むしろ先生の方が泣きそうな顔をしている。


「先生ー、ほんとに大したことないって」

 アリスは申し訳なさそうにするがどちらかと言うと笑ってごまかしている感じ。

「とりあえず、ここだけの処置じゃ不安だから病院に行きましょう」

 先生が心配になって席を立とうとする。アリスは先生の服の裾を引っ張りその足を止めた。


「先天性無痛無汗症……」

 アリスは観念したように告白する。

「なんだそれ?無痛……無汗って?」

「すっごく簡単に言えば読んで字の如く、生まれつき痛覚と温度感覚が消失してるって感じ」

「嘘……珍しい難病よ」

 保健室の先生は驚愕している。


「私のこれは難病だけど、私にとっては神様からくれた最高最悪のプレゼント。痛みや温度感覚を感じないからこそ出来る事があるんだよ」

 アリスの説明に理解が追い付かない。

「もったいぶらないで教えてくれよ」

「ん~、制限の解除ってわかる?」

「もしかして、身体機能……でも痛みや温度感覚がないならリミッターの解除が可能になる……でもまさか…………」

 保健室の先生は何かを察したように口を押さえてぶつぶつと独り言を始めた。


 それを見たアリスはにやりと笑い先生に言う。

「先生知ってるんだぁ」


「いいえ、知らないわ。だって理論上だけの話。それだってもう学術的に否定された……いわゆるフィクションよ。それに有家さんが抱えるのは難病であって、そんな超能力じゃない。こんなローファンタジー的な現象が目の前にーー」

 先生が嬉々として語る中でアリスは無表情で何かを訴えかけるようにジッと見つめていた。


 その目線に先生も気づいたのか顔を真っ青にして「ごめんなさい」と一言。

 先生はアリスの手当てを手早く済ませ、保健室を後にした。


「……俺も、ごめん」

「津秦君も気にしなくていいよ。先生だってあんなに気にしなくていいのに」

「いや、誰だって気にするだろ」

「私はこの力を隠す気なんて一切ないの。制限の解除は便利だよ?身体能力だけじゃない。学習能力だって桁違いで出来ない事の方が少ないし――」

「聞いた感じ、()()凄い超能力っぽいけど、万能じゃないんだろ?」

「そうだよ。痛みを感じないだけで無茶をしたところは無事じゃ済まない。――でも知らずに負傷と回復を繰り返してたら、そこそこ頑丈になっちゃった」

 アリスは笑って答えた。


 言葉に詰まる。


 純粋に驚いて彼女の特異な体質について褒めてやればいいと思うのに、彼女の特異な体質の話を聞くと余計に胸を締め付ける。

「どうしたの?」

 アリスが問いかけてくる。

「あっ……いや。なんでもない」

「嘘、何か言いたそうな顔してる」

「そんな顔してるか?」

「まぁね」

「あのさ……」

「なに?」

「いや、変に思わないでくれよ。凄い嫌な感じがするんだよ。こう、腹立たしいって言うか……。今のお前だって痛みは感じないだろうけど怪我もしてるし――」

「心配してくれるんだ?」

「悪いかよ……」

「その気持ちは嬉しいけど、私はこの力を使うことを辞めないよ?」

 アリスは立ち上が保健室の窓を開けて、こちらに振り向く。


「何より私は強くなきゃいけない」


 アリスは強い眼差しをこちらに向けた。俺はそれを直視できずに目線を逸らす。


 アリスが開けた窓から強い風が入り込み、目線をアリスに戻すとアリスの姿は無くなっていた。

「はぁ……何してんだろ俺」

 保健室に一人残された俺は馬鹿々々しくなり、保健室を後にする。


 先ほど自分が他人にかけた心配やアリスに感じた苛立ちについて。ふと懐かしいような既視感を覚えた。でもそんなことを忘れて日常に戻る。


 俺は何も変わらない。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

続きが気になる方や面白いと感じてくれた方は

感想やブクマを頂けると励みになります。


よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ