3話:転校生の兄妹二人、その三
声のした方を向いたらそこに一人、女性が立っていて、こちらに向いて優しそうにニッコリと微笑んでる。
女性の外見は……、肌は綺麗な色白。真っ白なブラウスに薄ーい黄色のスカート。クセ毛一切無しの明るい栗色の長い髪は腰まで流れていて、風がその人を通り過ぎる度に、楽しそうに、静かになびいている。
――と、いくつか女性の特徴を言ってみたが、その全部が女性を優しそうな人だと表現していた。
そして、なによりも一番それを表しているのは、女性の目。
見つめられてるだけでその大きくて穏やかな目の中に包まれているような感覚がする。
口から笑みが見られなくても、目を見ればまるで常に笑っているような、イラつきとかそういうものを全く感じない。
他の特徴を見た後でそこを見れば、優しさがいよいよ表現された目だと思われるのは間違いない。
「坂原さん? 今日転校してきた坂原さんよね?」
首を少しななめに傾けて、二人に対しての質問を言う。どことなく立派なお屋敷にすんでるお嬢様のような、こんな学園にはとうてい似合わないくらいとても丁寧な口調だ。
声も普通な声がさらに磨かれたようにキラキラしている。
「……!」
まじまじと海祐の後ろに隠れて女性を観察してた波花だったが、一瞬女性と目が合い、慌てて兄のかげに完全に体を隠した。
波花は同い年の人間には普通に接するが、面識の無い大人にはこうした態度を取ってしまうのだ。
昔から知ってるそんな妹の性分。しようがないやつだ、と、自分の後ろに隠れた波花を見て、海祐は軽くため息を吐いた。
「はいはいそのとおりでございます。で、あなたはどなた?」
ため息を吐いた後に視線を波花から女性に戻して質問仕返す。ついでに最後のあなたは〜のあれはシャレのつもりなのか?
それを聞いて、波花は何故か少し信じられないような顔を海祐の背中に向けた。
自分がこんな風におびえてるのにどうして兄はそう平然としているんだ? ちょっとでもいいからこっちに構っておくれよ。
そんな気持ちをぶつけてる。
あつかましいヤツ。兄上を何と心得ているのだ?
「私は星野紗英。中等部、三年三組の担任よ」
またまた真似できないくらい、やっぱこんな場所には相応しくない丁寧な口調で応える。
海祐はそれに少々驚きながらも、とにかくこの女性が用があるのは自分ではなく波花だとわかって、本人が今どんな気持ちか知らずに、
「ああ、そうですか! じゃあ……」
そう言って背中にビタリと引っ付いてる波花をはがして、「ハイどうぞ!」と、女性の方にドンッと両手で押した。
離れた途端に波花と海祐の間には、まだチャイムが鳴らないのをいいことに走り回る話し声と風が入り込んで来て、見えない壁を作ってしまった。
それ越しにニヤニヤ笑っている兄を見てると、さっきまで助けてほしいと思ってた気持ちが一転、段々腹が立ってくる波花。それに比例して『見てる』が『睨んでる』に変わる。
「波花ちゃんね?」
と、秋山と名乗る女性が波花に近づいて来た。視線を海祐に向けていた為、気づかなかった波花は、声の距離が近づいていたから驚いてビクッと肩を動かして振り向く。
せめて耳だけでも後ろに気を使っていれば足音でわかってこんなに驚かずにすんだものを……。
「あなたの来るクラスの担任だから、これからよろしくね!」
そう言ってどこまでも優しそうな笑顔を波花に向ける。
ところが波花はそれに何も反応する事なく女性と海祐をかなりのスピードで交互に見る。体は女性の方に向けて首だけを前後ろにと、忙しそうに動かす。
二人が浮かべる笑顔の意味を理解しようとしているようだが、全く異なった意味を持つ二つのそれを同時に理解するのは、少なくとも波花にはムリ。
でも、海祐に突然前へ押された時に生じた焦りがそれほど大きかったのなら仕方がない事なのかもしれない……。
ま、なにはともあれ、これにて波花の取り引きは成立した訳で(絶対、意味違う)、波花の焦る表情はこの時点でもう凍りついたように固まっていた。
その表情で女性と向き合う波花。顔だけでなく、体のあちこちは、女性のやわらかな視線に固められてしまっていた。
後ろで持ってる鞄も、両手が固まって握力が強くなったせいで、だいぶシワが増えてる。
そんな状態のまま、波花は女性の白くて綺麗な左手に背中を軽く押され、足は海祐と逆方向に進み出した。
「じゃあなー波花!! 頑張ってこいよー!!」
そしたら三歩くらい進んだところで海祐がめちゃくちゃ軽々しくそう叫んだ。
「お兄さん。まだそんなに離れてないんだからもう少し声のボリューム下げて」
すると大げさに手まで振る海祐を女性は栗色の髪を揺らして振り返り、注意する。もちろん足は止めずに。
それは今までみせていた『屋敷にすんでるお嬢様』のような口調ではなく、ちゃんとした『教師の口調』だったようで、叱られた気分は十分に海祐の中にあった。一気にテンションも下がった。
「すいません……」
「あとネクタイ緩んでる」
「……へ?」
ポツンと一人でネクタイを結び直している海祐を背にして(遅刻は必至)、波花達は少し行ったら左の方に見える階段を使って二階に上がった。
二階は一階とでは窓から見える景色くらいしか変わり。
相変わらず教室の扉から聞こえてくる話し声や窓から入ってくる風が波花にぶつかってきた。
波花も相変わらずで、まだかなり緊張していた。女性とは二三メートル程間をあけて歩き、ずっと下を向いて自分の足の動きだけを見ている。
そしてついに三年三組についた。
扉の中からは生徒達のである話し声。とうとう波花の心の中も本格的にどしゃ降りになる。
するとそんな様子の波花を見てて心配した女性が、後ろから波花の両肩に自分の両手をそっと置いてこう言ってくれた。
「そんなに緊張する必要ないわよ。皆いい子だから冷やかすなんてこと絶対しないもの」
「……」
何も言わずに頷く波花は女性の手から伝わってくる体温に、凍りついた自分の身体がだんだんと溶かされていくのを感じて、少しずつだが扉より前に行こうとする勇気が湧いてきたのだった。
そして、女性はそれを確認して、扉を開けた。
ガラッ
「はいみんな静かにー! 今日は転校生が来てるわよー」
教壇に手を置いて生徒達を見渡しながらそう言う女性は、見渡す最後に教室の外にいる波花に微笑んだ。
「入って来て」
教室中の話し声が止み、女性の二言目は良く聞こえる。
波花は一瞬迷ったが、ここの担任であるからにはここの生徒達の事を一番知っているのは女性だと、波花はさっきの女性の言葉を信用して教室の中に右足から入った。
当然、生徒達の視線は波花に集まる。
波花は教壇に着くまで女性のこちらに向ける笑顔一点だけを見つめてそれらに対処した。
それでも着いたら嫌でも必ず前に向かなきゃいけない。緊張をおさえる為に女性は再度、波花の肩に手を置いて、
「ささっ波花ちゃん、自己紹介してっ」
と、言った。
「は、はいっ!!」
それに反応したはいいが、必要以上に声がデカくなってしまい、『い』の部分で声が裏返ってしまう。
そして自己紹介。
「ど、どうも! 長澤・パイレーツ・デービッド・徳川・アキヒロ・コルレオーネ・ピーナッツ・田中・カルボナーラ・オオバヤシ・まさみですっ!! よろしくお願いします!!」
偽名にも程がある……。
波花は物凄い自己紹介を言い終わると頭を深く下げて、驚き目を丸くする生徒達の方に頭のてっぺんの黄緑色を差し出した。
ダラダラと……全然ファンタジーにならない……。
もう少しお待ちを……。