2話:転校生の兄妹二人、その二
「疲れた〜ぁ! もう歩けなぁ〜い!」
半ベソかきながら目の前にいる海祐にそう言って、ただいまの自分の状況を教える波花。
あれからあたまボケボケの状態で家を出た彼女は、学園へと走る兄に腕を掴まれながら無事に全部の意識を取り戻して自分の足で走り始めたのだったが、自慢になるくらい体力が無いもんだからほんのちょっと走った所ですぐに息を切らしてしまった。
もう学校の一角が見えてきているというのにもかまわないで、道のド真ん中にペタンと座り込み、足をさする。
でもこの一本道は人通りも少ないし、今現在の通行人の数はゼロ。彼女のコレが他人の迷惑になる事はまずありえないだろう。
太陽の光のせいで焦げ付いたように黒いアスファルトの上で、まるで自分の家みたいに一休みする波花は良く目立つのがその証拠。
だが、たった一人の兄上にはとてつもなく迷惑な行動だった。
「頑張れ波花!! あともう一走りだ!!」
道の真ん中で、その辺にころがってる石コロみたく小さくなっている妹のそばまで寄って来て彼女の前でしやがんで、そして彼女の右肩に自分の左手を乗せて、どうにか波花を立たせようと説得する海祐だが、それでも本人は、泣き顔を横にブンブン振って嫌がっている。
そんな彼女の後ろからさっきからずっと柔らかくて、とても素早くて、力強い風が吹く。それはグイグイと背中を押し、それでも動かない彼女の前を諦めたかのように通り過ぎて、どこかに消えてゆく。
「兄ちゃーーん。おんぶしてーぇ」
そう言ってるうちにとんでもない事を言った波花。
両腕を前に、すなわち兄の方に差し出し、振り回す。
これが中学三年生の言う言葉なのか?! そう思いながら目を丸くしたい発言だ。
だが彼女は、そんな事を深く考える年頃であるんだが、実際は小学生かそれ以下というくらいの中身に、年頃という看板を張り付けているだけなのだ。
つまり波花は、幼い見た目より更に幼い性格。それにいつも振り回されてる海祐は普通に成長している高校三年生。
「おねがーい。おんぶしてぇ〜!」
だから、こんな事を言ってる妹に対しての反応は当然、
「あのなぁ……。お前、もうちょっと頭使ってからモノ言っておくれよ。俺がお前を学校まで背負って行って、それで先生に見られたら恥ずかしいだろ」
「じゃあ先生を背負って行けばいいじゃない!!」
「ムチャクチャだ!!」
確かに。
自分なりに、ならこうすれば良い、と言っている様子なのであるが、聞いた言葉を並べ替えたのが、だいぶ完成しきれていない。矛盾だらけだ。
「あぁ!! チクショウもう時間がないっ!!」
ついに観念したのか海祐。波花に言われた通りにする。
吸った息を吐き出す時間も無いくらい、素早く、彼女を背中にかついでわずかに見える学園へとレッツゴ……駆け出した。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
のどを潰すいきおいで叫びながら思い切り両足で地面を揺らす。そこはアスファルトのはずなのになぜか彼が走った後に砂煙が現れている。マンガみたいだ。
しかも、よほどあわてているのか、さっきからネクタイの結び目がゆるんでるのに気付いていない。
そんな兄の背中に乗っかり、「ゴーゴー!!」と言いながら、向かい風に髪をゆらして、楽しそうに無邪気な笑みをうかべる波花。いったいさっきの泣き顔の自分は何だったのか?
所変わって、咲原学園校門前。
「……」
「ゼェッ…ゼェ……」
四つん這いになって、まるでバイクのエンジンをふかすように荒い息を喉の奥底で震わせ呼吸する海祐の横で、目を今日一番の大きさにまで開け、無言で咲原学園校舎を見上げる波花。
咲原学園。偏差値、校舎の外見。どちらともいたって普通な所。
適当に開いた窓からは、大勢の生徒達の話し声が聞こえてくる。
その声の人数を数えれば、大分の生徒はもう登校しているという事がわかる。
それでも、校舎にある大きな白い時計の黒い針がさしてる数字を見ると8時25分をさしていて、校庭には玄関に慌てて入って行く生徒が二、三人いる。どうやらギリギリ間に合ったようだ。
「……兄ちゃん」
「アい……?」
地面に向かって、激しく深呼吸を繰り返していた海祐は、突然波花から声をかけられた。
聞いたら先程の元気の良い笑い声が全く思い出せなくなってしまうくらい、元気が無い。
その声のした方を見上げると、それに相応しい、元気が無く、何やら思い詰めた表情でこちらを見ている彼女がいた。
今のこの表情の意味、転校というものを経験したことのある者ならば理解出来るかもしれない。
これからもう少ししたら、大勢の初対面の人の前で、やりたくなくても、自己紹介をして頭を下げなくちゃならない。
一言でまとめれば不安なのだ。
ついさっきまでは、笑いながら楽しくここまで海祐の背中に乗って来たのだが、実際に学園を見てみると、この君流町の空のように快晴だった彼女の心の中に、急に、どんより雨雲が浮かんできたのだ。
「……本当にどうしても行かなきゃダメ?」
「……」
実は、ここに引っ越して来る時もこのような事があった。まえに住んでた町の駅のホームで、乗る電車が来ても、扉の前でしまるギリギリまで俯いて固まり、海祐を困らせていた。
今の波花はその時と全く同じ事を言っている。
だがそんな目で言われても困る。学園はもう目の前。流石に今は甘やかす事は出来ない。
「だめだよ。ホラッ、行くぞ」
海祐は地面に向き直って大きく息を吐くと、立ち上がり、右手で頭の後ろを引っかきながら、少しきつくそう言った。
そして、あの時と同じように無言で下を向く波花の背中を押して、校舎へと入って行った。
――その海祐の行動がいけなかったのか、玄関から廊下に来たところで、波花の心の中の雨雲はとうとう小さめの雨粒を落とし始めた。
「嫌だよ! 一人で行きたくないよ!! 兄ちゃん一緒に付いて来てよー!!」
玄関を抜けたら、誰も居ない薄暗い廊下に続いていて、どこからともなく聞こえる生徒達の楽しそうな話し声と、窓から入ってくるひんやりした風だけが自由に廊下を走り回っている。これが雨が降り出した原因だ。
その廊下の真ん中で、必死に兄貴に掴み掛かる波花。
「ムリ! 俺は高等部だからここでお別れだよ!! 第一高校生の俺が中等部に居たらおかしいだろう!!」
「なら背を低くしてればいいじゃない」
「バレるわ!! そんな事しても」
「だったら高校生の中学生と言えば……」
「意味わかんないよバカ!!」
もしもここに人が沢山居れば必ず注目のまとになるであろう、二人のどちらかといえば漫才に見える、やりとりする大声は、話し声と風の障害になり、白いペンキが塗りたてで綺麗な壁にはね返えされる。
「わかった、じゃあいいこと教えてやるから手、離せ」
「いいこと?」
「ここの学園長、実はヅラなんだぜ……!」
「どうでもいいよっ!!」
この間、波花の表情が緩んだ時間は一秒足らず。
いったい学園長がヅラという情報はどれだけ安い情報なのだ?
そんな事を言っていると──
「あなた達」
だしぬけに誰かに声をかけられた。優しそうでおだやかな、若い女の人の声だ。
二人は、声をかけられるまで互いに言い争いをしながら見合っていて、ヒールの音と共に、こちらに近づいて来たその人物に気づかなかった。
すぐさま二人は声のした方に首を動かした。
また更新が遅れてしまいました……。自分が暗すぎてお詫びする言葉も見えません。
今度の更新はこんな事にはならないようにしますので、どうかよろしくお願いします。
それでは、オバコバでした。